「推し、燃ゆ」雑感

上半期の芥川賞受賞作は宇佐美りんの「推し、燃ゆ」だった。宇佐美りんについては、受賞のニュースで初めて知った作家だ。彼女は大学生でインタビューでは専業作家になるのかとの質問に、「普通に働きたい」と言っていた。

のっけから言うことではないかもしれないけれど、私はこの「推し」という言葉が大嫌いだ。「推し」という言葉そのものというよりも、そうやって安直に一つの単語を使い回して、背景にある種々雑多な感性や感情や言語を「ひっくるめる」構造がなんとも言えず気持ち悪いと思う。それは商業的には一時的に爆発的に消費され、その後は見向きもされない消費行為と対をなしていると思う。

どこを向いても「推し・推し・推し」、他に言えないのかと思うくらい。そうした単語が、今や芥川賞にまで進出したか、と私は真っ先に思った。



さて、本文であるが主人公は女子高生で、彼女には熱狂的に「推す」男性アイドルがいる。彼女の生活はこの「推し」を中心に回っているが、その「推し」がファンへの暴行事件を起こしてしまい、大炎上する。「燃ゆ」とは、直截にこの大炎上を指す。 主人公の生活はこの大炎上事件をきっかけに変化していくのだが、作中では次第に主人公を取り巻く環境にも焦点が当てられていく。はっきりとは明示されていないが、恐らく主人公は知的にボーダーであり、面倒見の良い姉も内心妹に葛藤を抱いている。そして両親も娘のそうした背景を受け入れているとは言い難い。やがて主人公は高校を中退し、家も半ば追い出されるようにして一人暮らしをする。だがそこでも上手くいかない。片付けができず、家はゴミ屋敷のようになってしまい、就職活動もままならない。そんな最中で「推し」は突然芸能界を引退する。

最後の場面で、主人公は癇癪を起こして綿棒のケースをぶちまけるが、それを拾う場面に本作のハイライトがあると思う。


「綿棒をひろった。膝をつき、頭を垂れて、お骨を拾うみたいに丁寧に、自分が床に散らした綿棒をひろった。……這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った」


全体的には「まあまあ」な印象だった。面白いわけでもなく、つまらないわけでもなく……という。所々目を引く表現もあるし、10代特有の熱狂や生きづらさ、喪失を描いてはいるけれど、題材的には良くあるものだ。「推し」という言葉選び(遣い)や、主人公の知的ボーダーな描写に時代の息吹を感じるが、この手の描写では同じ芥川賞受賞でも村田沙耶香にはやや劣ると個人的に感じた。だが終盤の主人公の行動とその描写に不思議な「生への希望」を感じたのも確かではある。

ここまで書いていると、「推し」という言葉とそこから広がる空間には自閉的な趣があるなと感じた。それは臨床的なものを指すわけではないが、徹底して閉じられた自己完結的な嗜癖があるように思う。本作のテーマはそうした狂気と紙一重の「炎上」だったのだろうと思う。

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