近代からの自己意識

「近代からの自己意識」


先日、「ちくま近代評論選」を読んだ。思想の近代化の模索をテーマに編まれたアンソロジーで、とても良かった。

通して読んでみると、私は夏目漱石と森鴎外の文章が好きでとても共感できる。恐らくこの2人は、現代人にとっての自己意識やアイデンティティの同一性の獲得という問題を、近代化されてゆく日本において正確に捉えた明治人ではなかっただろうか。



夏目漱石からは「私の個人主義」が収録されている。漱石自身の進路についての深い葛藤と言いようのない生活への虚無を土台として、「自己本位」という四字へと思索は集約されていく。漱石の書いたものでは私はとりわけ「草枕」の一節が好きで、なぜかといえばこれもやはり「社会の中で生きること」の言い知れぬ虚無の率直な吐露であるからだ。それでいてまるで歌うようにテンポが良い。


「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」


この後に続くのは、どこへ越したところで住みにくく、これ以上住むところがないと悟った時に芸術が生まれる。そして、そうした人々の心を豊かにするから芸術および芸術家は尊いのである。こういうことを書ける漱石はやはりすごいと私は思う。

さて、少し本題から逸れたが「私の個人主義」について考える。

夏目漱石は英文学を東京帝大において専攻し、イギリス留学まで果たしたが、結局のところ英文学がなんなのかさっぱり分からなかったし、そもそも日本人であるじぶんが英文学を学ぶことについての疑問も抱いていた。そして、もう一つ漱石には重大な問題があって、それこそが「腹の中が常に空虚で」あることだった。


「私はそんなあやふやな態度で世の中は出てとうとう教師になったというより教師にされてしまったんです。……その日その日はまあ無事に済んでいましたが、腹の中は常に空虚でした。空虚ならいっそ思い切りが良かったかもしれませんが、なんだか不愉快な煮え切らない漠然たるものが、いたるところに潜んでいるようでたまらないのです。……私は始終中腰で隙があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、ないようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。

私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をしてよいか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです」


この文章は、恐らく深い共感を持って今日でも受け入れられるに違いない。漱石の苦悩は、社会的にはそこそこやっていけるけれど、何か満たされず、かといってこの次元を思い切って抜け出ることのできない人間の悩みが書かれてある。それまで強固であった徳川封建制が崩壊し、西洋知識の怒涛の奔流を経て時代は明治へ、そして近代へとひた走るわけだが、そこに位置した夏目漱石は独りはたと立ち竦むのである。さらに漱石は「ただ一本の錐さえあれば」この状態を突き破ってみせるのに、それは与えられず、かといって自分で見つけることもできずただ陰鬱な日々を送っている、と続ける。ここまで読むと、明治の知識人がこれほど親近感を覚える悩みを抱いていたこと、また認識していたことに驚く。いや、むしろ現代人特有の悩みの始祖的な煩悶がここにあると見るべきかもしれない。

それまでの集団を前提とした自己意識から、自己意識そのものを始点とした認識への脱皮が漱石の中で行われていく。その中で文学というものが極めて重要な役割を果たす。それこそが、文学という概念を自力で作り上げていく過程に他ならない。そして、漱石は今までは全く他人本位であったから駄目であったという結論に至る。そして、それと対になる概念として自己本位というものを考えるのだ。それを立証するために文学とはなんら関係のない書籍を読むようになり、科学的・哲学的な思索にふけるようになる。そして、「こだわりがあるならば、それを踏み潰すまで行かなくてはならない」と力強く主張する。そこにかつて虚しさを抱き、不快なことばかりに目を向けていた「海鼠の精神」のような漱石はいない。これこそが近代人としての目覚めであったと、私は改めて思うのだ。



さて私の専らの関心事は漱石の脱皮そのものではなく、この苦悩そのものである。この苦悩からの脱皮よりも、こうした苦痛の抱き方や認識の方に何かとても大切な示唆が含まれているように思えてならない。

漱石の抱いた苦悩とは、表面的にはそれほど他者に知覚されえないものだ。実際に漱石は東京帝大というこの国の最高学府で学び、まだ海外留学が一般でなかった時代にイギリス留学まで果たしている。エリートとしての未来は約束されたようなもので英語教師として働き、その後は朝日新聞の専属作家になっているのは周知の通りだ。だがそうであるからこそ、彼はやり切れない虚しさというものを抱く。


今の自分は、なにか本当の自分ではないような気がする。かといって、これが「自分である」と言い切れるだけのものも持っていない。このままではいけないと思いながらも、日々の生活というものの中にかまけて埋没していくばかりだ。ただひたすらに虚無ばかりが募って、自分自身が摩耗していくのを見ているばかりだ。


漱石は、近代化にあたってこれまでの日本で強固に存在していた集団的自己意識から、自律的自己意識への変遷を明確に認識した作家であったと思う。自己本位というのが、個人主義というものに当たるだろうが、その個人というものの認識が江戸時代のそれと明らかに異質なものである。他の存在から切り離された自己意識というものはそれまでの日本においてあり得ないものである。だが、近代化という大きな歴史のパラダイムシフト、西洋知識の膨大な乱入という背景によって自己意識は大きく変質していった。

自己本位とは、今の感覚では「わがまま」に近い受け止めを為されるが漱石にあっては極めて重要な概念であった。

それはなぜか?漱石が先に述べているように、これまでは他人本位であった。それは何も彼だけにとどまる現象ではない。前の時代において他人本位とはむしろ当然のものとして身につけるべき社会的自己意識であり、思想そのものであった。だが自己意識が認知されてくるに従い、そうした他者つまり外部の環境によって自己を規定することの不自然さ、虚しさが知覚されるようになっていく。これには当然文明開化による異国の思想流入も影響しているだろうが、日本人としての意識が歴史的に大きく動いていたこと、動かざるをえなかった点も指摘しておきたい。永遠に続くかに思えた徳川幕府の終焉は、政権崩壊・政権移行という単純な歴史的出来事に留まらず、それまでの歴史的思考やそこに関連づけられた自己意識への強烈なアンチテーゼになる。

ここに、明治知識人及び国民作家としての夏目漱石がいかなる次元にいたのか改めて考えなければならない。漱石自身の悩みは極めて個人的な範疇から始まり、次第に時代そのものを反映したものへとなっていく。この過程こそ注目に値する。そして、こうした思索の螺旋はそのまま現代人へも移植可能なものである。私はここに最も共感を覚えるのである。他人本位から自己本位とは、結論としては目新しいとは思わない。外へ向かった思索が行き詰まった時自閉的に自己へ向かうことは珍しいことではない。漱石の時代においてそれをなしたことにはもちろん歴史的な意味はあるだろう。

だがもう一歩深く見るならば、そもそも漱石の抱いた虚無と苦痛そのものを問題とすべきなのである。ここに近代化への大きな思索的煩悶が吐露されているからだ。

それは他者と隔絶された明確な自己意識と、他者から引き剥がされた(あるいは意図的に引き剥がした)が故にある苦悩がある。そして、そうした人間には新たな思考上の基準が必要になる。それこそが集団的自己に変わって、自律的自己であったのだ。それは個人であり、漱石にとっての自己本位であったのだ。

同時代の森鴎外も「妄想」という文章において同じようなことを書いている。軍医や父親、夫という役割をまるで舞台役者のように次々とこなしているが、これがすなわち「生」であるとは思えない。一度舞台から降りて、化粧を施した顔を見たいと思うがそれは叶わず、自分の姿が立ち昇って来るかに思えばやってこない……というようなものだ。



自己実現は、人間の欲求の中で最も高次のものである。なぜかといえば、曖昧模糊たる自己がはっきりと(自分自身によって)規定され、しかもその能力の発揮が十分に(さらにいうならば)社会的にも認められた形でなされるからだ。

そのために重要なのは、自己意識の一致である。「自分○○である」と自分自身で規定できるかどうかは、人間の発達において極めて重要な次元だ。だが、現代においては「なりたい自己」と「なれる自己」の乖離が甚だしい。リアルでは取りうる選択肢は限られているものの、現代特有のネット社会とは反対に「なれる自己」があり過ぎて病理的なほどである。

漱石の提示した思想はそのまま現代にも通じる普遍性がある。もっといえばこれは漱石特有のものでもない。他者を知覚した人間が持ちうる普遍的な思索であるだろう。

そこから未だ隔たることなく、私たちは新たな自己意識の煩悶を生きている。自分が何者かであることの問いは、恐らく死ぬまで途切れることはない。

漱石を越えて、現代の私たちは次の時代へ何を繋げることができるだろうか?

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