芸術における精神のタネ

ここ2日ほど、長野の安曇野へ行ってきた。安曇野には、「安曇野アートライン」と呼ばれるところがあって、アートラインの名の通りその辺り一帯は美術館や博物館が点在している箇所だ。

その辺りを巡った。それがとても良い発見を得ることができたので書きたい。



初めに訪れたのは「安曇野アートヒルズミュージアム」だ。ここはガラス作家であったエミール・ガレの作品を収蔵している。

今回ガレの名前は初めて知ったが、アール・ヌーヴォーの一派として代表的な活躍をしていたようだ。ジャポニスムの影響を受け、蜻蛉や昆虫、鼠、植物文様などどこか懐かしいような、既視感の覚える繊細なガラス作品が並ぶ。そして、ガレ作品の魅力は見た目の美しさだけでなく、それを生活と密接に関係づけて表現していたところにあると感じた。

そして、彼にとって恐らく生涯のモティーフとなったのは「海」であったのだろう。刻々と変化していく海の色と水流を、ガラスで大胆かつ繊細に表現している。最も印象に残ったのは、ガレの遺作である「海馬(タツノオトシゴ)」だ。ガレにとっても特別な意味を持ったタツノオトシゴが前面に出た作品だが、その背景となる海の色は黒みのかかった紫であり、海藻の揺らめきなどがとても不穏だ。ガレはまだ若くして白血病で亡くなったそうだが、死を前にしてなにか思うところがあったのだろう。

他の作品と比べても異質で、より精神性の高さを感じずにはいられなかった。



次に訪れたのは、日本の近代彫刻の代表的な人物である萩原碌山の作品を収蔵した「碌山美術館」だ。

美術の教科書にも載っている「女」が収蔵されている美術館だ。碌山美術館の面白いところは、その敷地全体が一つの展示室のような趣のあるところである。木々に囲まれて、背丈以上もある大きな作品と囲いもなにもなく向き合うことができる。顔を近づけたり、作品の周りを巡ったり自由な鑑賞が楽しめる。

「女」は入ってすぐの第一展示室で見ることができる。煉瓦作りの可愛い建物の中に、「女」はある。

輪郭は滑らかだが、両脚のしっかりとついた土台は荒削りで上を向こうとする女の希望をまるで妨げるようだ。当時、平塚らいてうの女性解放運動が行われる中で、旧来の社会の中に留め置かれている「女たち」の苦しさを表現した傑作である。

実際に「女」のような姿勢を取ることはかなり苦しいらしい。視覚的には、そのような苦しさを感じさせずむしろ自然に立ち上がろうとしているように見えるのが素晴らしい。だがふと「女」の足元を見ると、重苦しい心地になってくる。しっかりと据えられた下半身は、「女」の立つ旧世界が未だ堅牢なことを想起させるからだ。萩原は、虐げられる存在を可視化する上で「女」を用いたが、そのテーマの訴求性は現代においても十二分に通用する。

そして、もう一つ面白いと思ったのは「女」のモデルとなった女性についてだ。相馬黒光という3歳上の女性だ。彼女は聡明で教養の深い女性で、萩原に芸術に関する知識を授けたとされる。知的な黒光に萩原は憧れた。ミューズのようなものだろうが、既婚者であった黒光との関係は萩原にとって生涯悩ましいものであっただろう。萩原は30歳の若さで突然吐血し、亡くなる。亡くなった後に、黒光は萩原のアトリエを片付けるように頼まれて、「女」を見つける。

彼女は、それを見て「女」の苦しみは私の苦しみでもあると語ったとされる。

碌山美術館でのもう一つ印象に残ったのは、高村光太郎の「手」だ。これは「女」とともに私が見たかった作品で、まず圧倒されたのはその大きさである。高村も語るように、あえて実物よりもかなり大きく作られた「手」は仏像の手に見られるような印の形にインスピレーションを得たとされる。ごく自然な形で、真似をしたくなるような「手」である。

だがなによりもまず強烈なのは、その大きさで大きな手というものがこれほど強い印象を残すことに驚く。

それは、「手」というものが単なる肉体の付属品というものを超えて、ストーリーあるいは人格というものをも顕すからであろう。大きな手からは、芸術家の研ぎ澄まされた視線から露わにされた人間性、精神性というものを感じずにはいられなかった。

ドイツの画家にデューラーという人がいるが、彼もインクと紙に祈りを行う「手」を描いている作品がある。ただ祈る手を描いたものなのだが、これもまた手を通して祈る人の信仰心やひたむきさが伝わってくる。



翌日は、「豊科近代美術館」を訪れた。市役所の敷地内にある美しい美術館だった。この美術館は、彫刻家高田博厚の作品を多く収蔵する。さて、美術館を巡る中で最も印象に残った展示が、この豊科近代美術館内で開かれていた高田博厚のトルソ展であった。

トルソとは、頭と手足を廃し胴体のみを表現した作品である。トルソとは、イタリア語で「木の幹」「胴体」を意味する語である。また、「未完成の作品(芸術)」を指す場合もあるそうだ。この展示室内には、様々な姿態のトルソが展示されていた。その一つ一つは、当然のことながら頭もなく手足もない。あるのはただ強調された胴体の動きだけである。それなのに、大きなストーリーが展開されている。想像力が掻き立てられるのだ。そして、不思議なことに男性の隆々としたトルソよりも女性のある場面では儚く弱く、そして柔らかで滑らかなトルソの方が生き生きとして感じられるのだ。

高田の言葉が展示室内にかかげられている。



「姿態や構造に過剰な説明がなく、ただ黙って在ることがそれに接するものに無限に語りかけてくる。これが美術の本質だ。言い換えると首も手も足もないただ人間の中心なるトルソだけで美を示せる作家が本当の彫刻家だ」



頭や手足は、説明であるのだ。

展示室内に入ると、三体の彫刻があり手前では頭と手足のある「完全な」作品である。そして、真ん中の作品には手足がなく、最後の作品は頭と手足を欠いた「未完全な(トルソ)」となる。その流れを見ると、いかに私たちの感性が顔や手足といったものの「物語り」に依存しているのかが分かる。

それらを欠いた中心的 (本質的)な存在と向き合うことによって、本当の「語り」が見えてくるのだ。その高田の試みがとても挑戦的で美しいと感じた。

トルソの美しさは、無駄を廃したことによる美というよりは、「欠損の美」であると改めて感じた。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケにも通じるが、完全さというものは美しさとイコールではない。想像の余地、ストーリーが作られる余地が残されることによって、美というものはようやく私たちの前に顕れるのかもしれない。

そして、完全な作品による語りというものに依存した、均された私たちの感性というものをもトルソは剥き出しにしていくのであろう。

このトルソ展はそうした意味でもとても良かった。



最後に訪れたのはアンデルセン童話の挿絵で有名ないわさきちひろの作品を収蔵した「安曇野ちひろ美術館」である。

絵本の挿絵がこれほど魅力的に愛されるのも不思議なことだなぁと思いながら訪れた。正直名前と絵柄は知っていても、その魅力というものに対して私はあまり理解が深くなかったからだ。

だが多くの作品を見る中で、また違った感触を受けた。まずは色遣いの優しさである。目に優しく、子どもが見ても明確な輪郭線などはないのに明らかであること。そして、描かれる人物たちには普通ある白目というものがない。黒目一色であるのに、表情がとても生き生きとしている。また植物や動物に対する緻密さと、愛情を感じた。

ちひろの母親は今で言う生物の先生だったらしいが、そういう環境も影響しているのだろうか。そして、彼女が生涯のテーマとしたのが「子ども」であった。だから彼女にとって、アンデルセンの童話は特別な意味を持っていたに違いない。実際にヨーロッパを訪れ、数多くのスケッチを残す中で「アンデルセン童話」を実際に見てきたのかもしれない。そして、ちひろの絵柄とどこか哀しさを湛える「アンデルセン童話」が妙に合った部分も大きいのではないかと思う。

そうした子ども時代には鋭敏であった感覚や感情がある。それらにあえて言葉を与えるのなら、感受性というものになるだろう。ちひろの絵には、そうした多くの人が喪いゆくだろう感受性が呼吸をしている。

だから、飽きない「なにか」を持っているのだろう。




さて、色々と見てきたが優れた作品には共通するものがあることを感じた。

それは、高い精神性と訴求力である。精神は哲学と言い換えてもよい。

ガラスであれ、彫刻であれ、挿絵であれまず感じるのは創作者の純度の高い精神性だ。

それはもちろん創作者によって異なったものである。慈しみや怒り、哀しみなどそれらが極めて純度の高いところから汲み出されて昇華されている。そうした中で、創作者の持つあらゆる精神性(哲学性)は、普遍性を持ち得る。そして、そこで作られた作品こそが優れた作品である。そうした作品は、必然的に強い訴求力を持つことになる。

創作者の持っていた精神のタネは、必ずしも特別なものではない。人が人らしい心を持っていれば必ずその中にあるものである。

芸術はそうしたものを、意識されずに顕にすることがある。またそのようにすることが、芸術の目的であるのかもしれない。

精神のタネは、恐らく私たちの本質的なところにあるものだ。普段の生活に追われて、私たちはまだまだそこへと辿り着けないでいる。

別にそこへ行かなくても、生活をしていけるが故に芸術は現代においては不遇である……。

だがそのタネを取り出して育てることは、間違いなく死ぬ瞬間まで続く、「生きるという行為」を豊かにしてくれる。

芸術に触れる意義と、社会の中に芸術が在ることの素晴らしさとは、そこにある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る