個人であり、大衆である。

大衆についての凍りつくような分析、と聞いて真っ先に思い出すのはヒトラーの「我が闘争」だ。

彼は大衆を「忘却力は高いが、理解力は低い」として徹底的に内心では見下していた。そうした分析眼がヒトラーをして稀代の演説家、独裁者たらしめたのだと私は読後に思った。

私たちの時代は、「大衆」とともにある。その中にはもちろん「私」という単位も含まれる。一人一人は賢明であっても、それが集団となると思わぬ方向へと進んでいくことはよくあることだ。心理学が群集心理の恐ろしさを社会実験で暴いて見せることもよくある。

社会の中で蠢く「大衆」について、その時代についてオルテガ・イ・ガセットは「大衆の反逆」内において興味深いことを書いている。それを辿りながら大衆について考えていきたい。

オルテガは大衆(私たちの)の時代について、以下のように書く。



「我々の時代は、自分がすべての時代に優る時代であると信じていると同時に、1つの出発点であると感じながら、しかも、それが末期の苦悶とはならないといいきる自信もないのである。……たぶん、他のあらゆる時代に優り自分自身に劣る時代、ということができるだろう。極めて強力でありながら、同時に自分自身の運命に確信のもてない時代。自分の力に誇りを持ちながら、同時にその力を恐れている時代、それが我々の時代なのであろう」



近代というのは、私は「個人」から「個人」という自意識から始まったのだと思う。そういう意識から、「すべての時代に自分が優る」。それはこれまでの集団社会の中にあって、革命的なことであったのだと思う。それは前時代からの脱皮であり、新時代の幕開けでもある。1つの希望でもあり、底なしの恐怖でもあるのだ。

国家、政治、経済、法律、社会正義……あらゆる世界が個人をその単位として出発していった。それが近代であり、その中に生きる人々の意識であった。人はこうして、強力になったのだ。「個人」という単位によって。

だがそこにこそ私たちの悲劇がある。個人というストーリーには、確実なものがないからだ。

オルテガは続けてこう書く。



「我々の生きている時代は、信じがたいような実現への能力が自分にあると感じながらも、何を実現すべきかを知らない。我々の時代は一切の事象を征服しながらも、自分を完全に掌握していない時代、自分自身のあまりの豊かさの中に自分の姿を見失ってしまったように感じている時代なのである」



大衆の特徴の一つというのは、ある種の無知さにあると思う。それは単純に「馬鹿」、つまりものを知らないということではなくて、オルテガの指摘するような「自分が何をすべきなのかを知らない」という類の無知さである。だがこの無知さというのは単に馬鹿であるというよりも、より一層深刻な「馬鹿さ」なのだと思う。だから、大衆は長い目で見た本当に知るべきことよりも、目先の暮らしや利益というものに汲々とする。そして、不幸にも私たちのこの時代、大衆の時代というのは豊かな時代でもある。ここでの豊かさというのは、抽象的な意味である。



「……我々は今日、地球上のいかなる地点もかつてない最も現実的な偏在性を持っていることを改めて認識するのである。この、遠いものが近在する事実、不在のものが目前に実在する事実は、各人の生の地平線を驚くほど拡張した」



そうした豊かさというのは、実は表層的なものであって、むしろ私たちの内面というのはその前の時代にと比べて貧相なものになっているのかもしれない。私たちは、私たちの内面をよくは掴んでいない。そして、それを知らないまま生きている。そうした人々の集まりが大衆であり、それは社会をかつてないほど変えて動かしていく存在である。



「……彼らの最大の関心事は自分の安楽な生活でありながら、その実、その安楽な生活の根拠には連帯責任を感じていないのである。彼らは、文明の利点の中に、非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる奇跡的な発明と構築とを見て取らないのだから、自分たちの役割は、それらをあたかも生得的な権利ででもあるかのごとく、断乎として要求することにのみあると信じるのである」



そして、大衆というのは基本的に無責任なものである。社会的責任や、社会的正義というのはまるで別世界の出来事だ。自らの生は、生まれながらに持って自分たちのやるべきことは「権利の主張」のみであると、純粋に信じ切っている。私たちは、自らの力を知っていながら、本当は「知らないで」いる。

だが時代はそう単純ではない。私たちの存在が、これほど強大になるまでに社会はどれほど複雑に進歩していったのか。

三島由紀夫はかつて、「今は理性がないのではなくて、むしろ理性の方が狂っている……」というようなことを書いた。私もそう思う。何が狂っているのか、それは本能ではない。理性の方だ。

オルテガは続ける。



「文明というのは、進めば進むほどいっそう複雑で難しいものになってゆく。今日の文明が提起している問題は極端に錯綜したものである。そして、それらの問題を理解しうる頭を持った人間は数は日ごとに少なくなっていっている。……問題解決の手段が欠けているわけではない。欠けているのは頭なのだ」



私たちはこの時代をどのように理解すればいいだろうか。私たちが個人である時代。そして、同時に巨大な集団である大衆の時代。

私たちには力がある。だが何者であるのか、何者にもなることができないままでいる。

私たちは一体誰なのか?どこにいるのか?

そうした「彷徨い」は狂わせるものを持っている。

なにを?

それは私たちの社会……未来だ。







参考・引用 「大衆の反逆」オルテガ・イ・ガセット

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