犯罪者か、病人か

少し前にYouTubeでNHKのハートネットtvの 「女子刑務所」というパートを見た。女子刑務所の中でも、医療刑務所というところに焦点を当て、受刑者と刑務官の日常を追ったドキュメンタリーだった。

女子刑務所の成り立ちは、通常の刑務所よりも独特だ。普通は罪状によって受刑者たちは細かく分けられていく。だが女子刑務所の数自体が全国的に少ないため、受刑者たちも軽犯罪者から殺人を犯した凶悪犯まで「いっしょくた」にされる。

そうした女子刑務所の中でも、福岡県にある北九州医療刑務所には摂食障害を患った受刑者たちが集められている。繰り返す犯罪を「病気」と捉えて治療にあたることが特徴である。女性の窃盗犯の5人に1人は摂食障害などなんらかの精神疾患を抱えているとされる。今回密着されていた女性刑務官は、過去に摂食障害を患う受刑者と接した際に何もできず、結局その受刑者は社会に戻ることなく死んでしまったという経験を持つ。彼女が受刑者に「どうして食べないの」と聞いても、受刑者は「太りたくないから」を繰り返すばかりだったという。そんな受刑者を前に、彼女は「吐いたものをそんなところで飲まないで」と言うしかなかったという。そうした経験の元、自ら志願して北九州医療刑務所にやって来た。

普通、刑務官と受刑者の会話は厳しく制限され、私的な会話をすることも禁じられている。だが彼女は所長の許可を取り、「おはよう」などと声かけをすることを毎日している。この他にもカウンセリングや、「申し出」と言われる受刑者たちの相談事にものることがある。

日々、様々な問題を抱えている受刑者と接する中で女性刑務官は「100%、彼女たちを更生させることは不可能だと思う。でも社会に戻って、再び犯罪に手を染めようとした時に『あぁ、あのとき先生あんなこと言ってたな』と思い出して犯罪を思いとどまるキッカケになればいいと思っている」と話す。



繰り返される窃盗はクレプトマニアとも呼ばれる。これも精神疾患の一つである。そしてこのクレプトマニアの多くは女性に見られ、同時に摂食障害を患っていることも特徴の一つだ。

例えば薬物中毒者にも言えることだが、繰り返されるこうした犯罪……犯罪者を「依存症患者」つまり病人と見なすのか、犯罪者と見なすのかで受刑者への関わり方はかなり変わる。罪状だけを見れば、彼女彼らはれっきとした「犯罪者」である。

だが「どのようにして」その犯罪が行われるに至ったのかを眺めてみると、それは随分変わってくると私は思う。クレプトマニアと摂食障害の関係はこのことを考える上で示唆的であると感じる。

北九州医療刑務所の取り組みには賛否両論あるだろうが、たんに刑務所に入って刑期を終えて出すだけでは根本的な解決にはならない。犯罪の内容が窃盗という殺人などと比べて(不謹慎かもしれないが)軽微で「犯しやすい」ものであればあるほど、再犯の可能性は高まる。犯罪のプロセスと背景に目を向けることによって、適切な医療を施すことは全く無駄ではないと思う。再犯を防ぐことに繋がることは、公益性のあることだと思うのだがどうだろう。



YouTubeのコメント欄を読んでいると、「受刑者の方が良い暮らしをしているのはどうかと思う」「こんな人たちに医療行為を施してやるために税金を払っているのではない」「どんな理由があっても受刑者は受刑者。そこを忘れてはいけない」というような声が多くあった。

一部では理解のあるコメントもあったものの、多くは受刑者に対する批判が多く、「犯罪者を病人として扱うこと、治療を行うこと」について強い忌避感を抱く人の多さがうかがえた。

問題をもう少し一般化して、精神疾患そのものへの社会的理解について考えると、日本はあまり進んでいるようには思えない。

疾患の性質そのものが本人の自己申告に拠る部分もあり、かつ可視化し辛い内面的なものであるがゆえの難しさもある。

精神疾患には甘えやワガママといった偏見は常につきまとっている。摂食障害についても彼女たちの異様な食行動や外見(極端な痩せ)ばかりが取り上げられて、その複雑な精神的な部分についてあまり理解はされていない。自尊心や自己肯定感の極端な欠如と食行動のコントロールの関係、その延長に窃盗という犯罪があることはもう少し考えられても良いと思う。

犯罪は犯罪であって、罪は償うべきだ。病気は「言い訳」にはならない。

そういう意見があることも頷ける。だが犯罪者は時として治療も必要な病人である側面も同時にあるのではないか。犯罪は犯罪として、そして疾患は疾患としてそれぞれの分野で適切に扱われるべきではないのか?

こうした特殊な部分での専門性というところでは、日本では事実や科学的な知見よりも「感情的懲罰論」に終始する傾向があると感じる。



犯罪について考えるとき、究極の問いがある。

それは「生まれつき犯罪を犯すような気質を持った人間が罪を犯すのか」、「心理社会的な環境など複合的な要因が重なって人は罪を犯すのか」というものだ。北九州医療刑務所に見られるような受刑者への関わりは、後者の考えのもと行われているだろう。

遺伝学的に「犯罪遺伝子」が見つかっているわけではない。だが「激昂しやすい」など、結果として犯罪を誘引するようなある種の遺伝的な形質は誰の中にも存在する。結果として罪を犯すか犯さないのかは、本人の気質に加えて生育環境や社会環境など様々な要因が積み重なって結実していく。より広い、社会的視点に立つとこうした「様々な要因」の中には「本人が選びようのないもの」がいくつか存在する。性別や両親など人が社会の中で生きていく上において、そうした「本人の意志とは関係なく、そのように生まれたときから決定づけられているもの」は根幹的な部分にある。

そうした地平から、今一度犯罪と精神疾患の関係、その背景について考えてみると、私たちはどのように向き合うべきなのかが見えてきそうだ。

罪は罪として、そして疾患は疾患として。

そしていつかは社会に戻り、社会の中で生きていく人たちをどのように迎え入れていけるのか。感情的懲罰論の見ている中に、「社会と人」は本当に存在するのか?

私たちはもう少しその枷から抜け出て、塀の中に向き合うべきなのかもしれない。そこもまた、アンダーグラウンドであるが「社会」であり間違いなく「人」がいるのだから。


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