青春の読書体験

私に読書の楽しさ、文学の凄さを体感させてくれたのは、三島由紀夫の「金閣寺」だった。

他にシェイクスピアの戯曲と、ゲーテの「ファウスト」「若きウェルテルの悩み」があった。多感な時期に何を読んだかで、その人の感性はある程度固定されてしまうところはあると思う。私が10代の頃1番読んだのは多分三島由紀夫だ。日本の作家で、彼は1番美しい日本語を書くと思う。今でも憶えているのは、「憂国」の中で女性の裸体を描写する箇所があって、女性の臍を「強い雨が穿った穴のよう」だと表現してみせたところだ。

三島の巧みさはその比喩にあると思う。それがごてごてとしたいやらしさではなくて、一々的確に美しかったのを憶えている。三島の面白さは小説だけでなく、評論やエッセイにも表れていてそれは20歳を越えてからよく読んだ。全集を読んでみると、彼の才は既に小学生の頃から片鱗を見せていて、才能の早熟さ凡人には追いつけない残酷さを感じた。

三島は短編も巧みだ。私が好きなのは、「朝顔」「海と夕焼け」「詩を書く少年」「春子」「雨のなかの噴水」「軽王子と衣通姫」「橋づくし」「憂国」だ。

「朝顔」は三島が自身の妹について書いたもので、若干の怪奇趣味な結末が気に入っている。「海と夕焼け」はかつて十字軍に参加しようとして夢を断たれ、奴隷として売り飛ばされた挙句日本に辿り着いて寺で僧侶をしている外国人僧の話しだ。読後は信仰心と郷愁がない交ぜになる。「詩を書く少年」は主人公になんとなく三島本人を重ねてしまう。自らの才に溺れる自意識過剰な若き主人公。果たして彼は本当に詩を書いていたのか?結末は残酷だ。「春子」は三島本人の下書きや資料を読んだのだが、三島が書いていたようにこれは「レスビヤン小説」である。男性の主人公を中心として初恋相手、叔母の春子を巻き込んだ三角関係を描いている。三島の当初のプロットでは、春子は空襲で死んだとあって意外に思った。「雨のなかの噴水」はごく短い掌編で、少女を振った少年が、泣きながら後をついてくる少女に「泣くな」と言った後の少女の言葉にハッとする。芯の強さというのが端的に描かれている。「軽王子と衣通姫」は古典に材を取ったものだろうと思う。ロミオとジュリエットのような筋書きで、悲劇である。「橋づくし」は三島の短編の中でも最高傑作だと思う。複数の橋を渡りきれば願いが叶うという迷信を大真面目に実践する姉妹が出てくるが、結局途中で邪魔が入ってしまい誰も達成できない。着いてきた侍女だけが達成してしまうのだ。人間の願望の不気味さを、不細工な侍女を通して見事に描いている。「憂国」は短編というよりは中編だろうが、切腹場面の苛烈さ鮮烈さには瞠目する。若い青年将校夫妻の自決を描いたものだが、青年の切腹場面の筆運びとは対照的な妻の自決場面よ描写に、三島の性癖を見る思いがする。

長編だと、「豊饒の海」をあげる。4部作の中では「奔馬」が1番好きだ。爽やかなものだと「夏子の冒険」が良い。

変わり種だと「葉隠れ入門」も良書だと思う。エッセイだと「太陽と鉄」「私の遍歴時代」「若きサムライのための精神講話」が好きだ。「不道徳教育講座」や「反貞女大学」なんかも笑える。三島由紀夫という人は、一般に文学者という単語が表すような堅苦しい人物とは対照的で、常に皮肉とユーモアそしてサービス精神の過剰な人だったのかなとも思う。



シェイクスピアの戯曲はちくま文庫から出ている訳でよく読んだ。一日2、3冊のペースで読んでいた。小説に比べて戯曲の方が、登場人物たちの息遣いがより鮮明だ。個人的には喜劇よりも悲劇の方が読み応えがあって好きだった。「オセロー」「リア王」「ハムレット」「十二夜」「テンペスト」あたりが印象的だった。

ゲーテの「若きウェルテルの悩み」は私にとってショックに近い読書体験だった。初恋の爆発するような想い。実際に失恋を苦に自殺した友人に触発されて書き上げられた作品は不思議なリアリティがあった。長大な「ファウスト」は私がギリシャ神話を学び始めるきっかけになった作品だ。個人的にはメフィストフェレスを嫌いにはなれない。

海外文学だと他にはサガンをよく読んでいた。「悲しみよこんにちは」「優しい関係」が好きだった。「悲しみよこんにちは」で10代の少女が大人に向ける冷たく残酷な眼差しと、それを細かく描写するサガンの筆が好きだった。サガン本人はバイセクシャルだったらしいが、「悲しみよこんにちは」の主人公の少女も一時期父親の恋人に熱をあげる。

「優しい関係」はハリウッドが舞台の奇妙な三角関係を描いたものだ。主人公の女性はヒステリーでアル中気味なんだけれど魅力的に描かれている。雨の日に出会った記憶がなくやがて主人公に恋をする青年と、彼女の婚約者その間に挟まれた主人公の雰囲気がなんとも言えずいい。だらしない感じがせず、ぱりっとお洒落にすら描いてる。主人公がそこまでいい女ぽくなく描かれているのも面白い。

他に古典だと「源氏物語」「枕草子」「紫式部日記」「土佐日記」「とりかえばや物語」「徒然草」「方丈記」あたりを読んでいた。

日本文学は三島の他に、芥川龍之介、谷崎潤一郎、太宰治、宮沢賢治、内田百間あたりをよく読んでいた。特に谷崎の怪しく倒錯した世界観が大好きで「刺青」「痴人の愛」「春琴抄」なんかぞくっとさせられた。

現代作家だと白石一文が好きで、特に「僕の中の壊れていない部分」は繰り返し読んだ。



初めの方で、多感な時期に何を読んだかで感性はある程度固定されてしまうと書いたが、こうしてみるとわりと雑多な印象を受ける。

私は基本的には硬いものが好きなのだと思う。今までライトノベルは読んだことないし、漫画よりも本の方がやっぱり読みたいと思う。そして、ファンタジーというのは好まない。

勉強よりも、読書を選んだ時代。

私の青春を例えるなら、多分そうなると思う。

学校よりも、教師よりも、より多くのことを教えてくれたのは本であった。本を読むことは、追体験をすることだと私は思う。作者の見たものを、言葉を通して辿る。それは単純な利害というのを越えたものを私たちに与える。

読書というのは、半分は習慣であると思う。本とは本来、「読むぞ」と気合を入れて読むものでもないと私は思う。

朝起きると顔を洗うように、ふと手が伸びてページを繰っていたというのが良いような気がする。そしてその習慣は若ければ若いほど定着する。だから小学校の朝読書の時間も、人によっては意味あることなのでは?と私は思っている。大人になってからは、読書というのは習慣にしづらいものだ。文字を読むのも根気がいる。

だが本というのは素晴らしい。

それは人との出会いと同じである。私がこうしてものを書くのも、無数の本があったからだ。過去の読書体験を通して私は何かを書き、そして新たな出会いが生まれる。

そうやって、今日はあり明日もまたあっていく……あってほしいと思っている。

青春は遠くなったけれど、その時隣にあったものは未だ私の隣にあってくれている。

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