戦争の惨禍-15歳の少女が見たアウシュビッツ

人間でできたスプーンの束……こうして私たちは眠る時でさえ隊列をくずすことができなかった。

エヴァ・シュロス



戦争という非日常、極限状態の中で人はどこまで残酷になれるのか?

この問いについて知りたければ、「黒い画家」として有名なフランシス・デ・ゴヤの版画集「戦争の惨禍」を見てみるといい。白黒と細かな線描ながら、まるで家畜を屠殺するような手つきと視線で人間を殺していく人々がゴヤの手によって切り取られている。

だが今回書きたいのはゴヤのことではない。以前新聞の書評欄だったかに載せられていて、興味を持っていたエヴァ・シュロス著の「エヴァの震える朝 15歳の少女が生き抜いたアウシュビッツ」を読んだ。エヴァは「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクの義姉である。彼女がこの自伝を書いたのはアウシュビッツの経験から40年が経ってからのことである。アウシュビッツでの悲惨な経験と解放を経ての母の再婚、義妹の「アンネの日記」の世界的成功に対する複雑な心境を当の書評欄に述べているのが印象的だった。エヴァの母とアンネの父が再婚したのは、アンネの死後のことであるがエヴァは生前のアンネといくらか親交を持っていた。

エヴァはアンネのことを「自意識の強い女の子だった」と述べていたと記憶している。だがそれ以上に印象的だったのは「誰もかれもが亡くなったアンネのことばかりを言っている。生き残った私については誰も振り返らない」というようなことを言っていたことだ。ここに、私は戦争のそして生き残って「しまった」人たちの深い傷と悲哀を見るような思いがしたのだ。


戦争は悲惨だ、平和は尊い。


口で言うのは易い。

丹念に「エヴァの震える朝」を読んで改めて感じたことをここでまとめてみたい。



「人間の本性はやっぱり善なのだということを、今でも信じているからです」

これは「アンネの日記」中の有名な一節である。「エヴァの震える朝」の序文で、エヴァは「アンネがそう言えたのはアウシュビッツやベルゲン・ベルゼンを経験する前だったからだ」と書く。だがエヴァは悲惨な経験を通して自分を「全能なる何ものかが」守り導いてくれたという。一方でそうした確信が深まるにつれ「兄と父を含む何百万という人の中から、何故私だけが生き残ったのだろう」という悩みが生まれた。

そして、あの時何があったのかを強制収容所から生き残れたわずかな人々しか語り得ない事実を記憶が色褪せないうちに書き留めることをエヴァは決意するのだ。それは人々の死が無にならないために、生き残った人々の義務でもあるだろうから。



1933年、エヴァが4歳の時にナチス政権がドイツに誕生する。これを機にドイツ国内では反ユダヤ主義の運動が沸き起こり、ユダヤ人排斥、ユダヤ人所有財産の没収が行われるようになる。エヴァはこの頃ウィーンにいたが、1938年にドイツ軍がウィーンに入城したのを境として、空気は一変する。


「今まで親しかった非ユダヤ人の友人たちは、突如として態度を翻し、私たちすべてに敵意をむき出しにするようになった」


これにより、大勢のユダヤ人がオランダやイギリス、アメリカに向けて脱出を始める。エヴァ一家も兄のハインツが目の上を切られるという事件をきっかけにオランダへ向かう。だがこの頃はまだ、エヴァにはユダヤ人排斥の空気を鮮明には感じていなかった。

だが1939年に、友人から口を揃えて親が自分の誕生パーティーに行くのを許してくれないと断りを入れてきたのを機にエヴァも社会の雰囲気を感じ取るようになる。


「まさか、どうして?信じられないことだった。当時ユダヤ人が置かれていた状況を子ども心に理解し始めたのは、この時だったと思う。私はしたたかに打ちのめされ、世間から完全に追放されてしまったような気がした」


一家はオランダで匿ってくれる人たちの隠れ家に身を寄せるが、4人家族は人数も多くエヴァは母と、兄ハインツは父とそれぞれ別の家に行くことになる。「誰にもさよならを言うことができなかった」と、出発の朝をエヴァは振り返る。

隠れ家ではいくらか安全に過ごすことはできた。母が勉強を見てくれたが、友達のいない授業はエヴァにとってかなり苦痛だったようだ。

だが次第にオランダの戦況も厳しさを増し、人々の間でユダヤ人を匿うことへの熱意も薄れていく。やがて隠れ家にいるユダヤ人は密告による報奨金の対象になっていく。

エヴァ一家も協力者を装った二重スパイの密告によって、ゲシュタポに突き出されることになる。

エヴァは男子収容所のあるアウシュビッツから4、5キロほど離れたビルケナウ女子収容所へと送られる。そこでは女性たちは裸にされて体毛をすべて剃られるという恥辱を受けた。


「ときどき男性のSSが見回りにやって来て、裸の女たちを卑猥な目つきで面白そうに眺め回し、若い娘の尻をつねったりしてふざけて回っていた。私の側にも一人近づいて来て同じようなことをした時、私はとうとう堕ちるところまで貶められてしまったと思った。自分たちは彼らにとってもはや一個の人間ではなく家畜同然なのだ」


収容所の環境は劣悪そのものであった。


「次に部屋の清掃が行われたが、身の回り品とてなく食べ物の屑さえ落ちていないのでは、それ以上きれいにしようもなかった。汚れているのはただひとつ、シラミのたかった人間だけというわけである」


収容所内でエヴァは比較的良い待遇の「カナダ」という内職をあてがわれる。しかし戦況が怪しくなっていくにつれ、収容所内の規律は乱れていく。そして「選別」が始まる。

エヴァは選別されていく人々の群れを「なすすべなく見守った」。

だがエヴァはこの過酷な期間を母と共に生き延びた。旧知の知人であった看護婦の助けや、収容所内でできた友人を通しエヴァは希望を捨てることなく戦後と解放を迎えるのだ。

父と兄は収容所内で亡くなった。



エヴァは2009年のインタビューで、収容所について以下のように語っている。


「とにかくそこは何ひとつないところ、私たちはただ死を待つだけの存在だったのです」


「アンネの日記」では、アンネの視線を通して隠れ家での生活のことが描いてある。「エヴァの震える朝」では目を背けたくなるような悲惨で過酷な収容所内での出来事が克明に描いてある。ゲシュタポの胸先三寸でガス室送りになる運命と不衛生な環境の中での人間の精神。

読後に、確かにエヴァは不思議な運で生き延びたのだと思った。それは確かに「神」が導いたものなのかもしれない。

戦争というと、やはり人間の残酷さや醜さが目につく。「エヴァの震える朝」においても、やはりその辺りは克明に描かれている。だが、過酷な環境の中でも周りの女性を励まし回るエヴァの生涯の友人となったフリツィ。エヴァ母娘に手を差し伸べた看護婦ミニなど同じ人間を思う人の心の強さに目を引かれた。

特に解放後、エヴァ母娘がはぐれてしまった時の再会の道程での人種を超えた人々の尽力の姿には胸を打たれた。列車で帰還するイギリス人捕虜たちのエヴァの母に対する優しさは印象深い。イギリスにいる親戚へ生存を知らせる手紙をエヴァの母は書いてイギリス捕虜に託すが、その手紙はしっかりとイギリスへ届けられたのだ。

人の本能には本来的に相互扶助の精神が備わっているのかもしれないと思った。それは強制収容所内で家畜のように人間を扱えるあの精神と皮肉なコントラストを描いている。

人間には常に二面があるのだ。戦争はそれをあぶり出す。

エヴァは戦後、職業写真家を目指してイギリスへ渡る。その後、エヴァの母とアンネの父はそれまでの親交を温めつつ再婚に至る。

エヴァの母であるフリッツィ・フランクは追記をこのように締める。


「それぞれの悲劇の人生を通して、私たちは新しい幸せな人生を見いだしたのである」


一言で悲劇というにはあまりにも重い歴史がホロコーストである。

私は生まれてから、戦争というものを知らない。それは幸せなことだろうが、もしかすると別の意味では恐ろしいことなのかもしれない。アンブロワーズ・ビアスは「悪魔の辞典」で、平和について皮肉めいたことを書いている。


平和(peace):国際関係について、二つの戦争の時期の間に介在するだまし合いの時期を指して言う。


人間の心には常に二面がある。

エヴァたちが経験したまるで「スプーンの束のような」扱いを平然となしうるようなもの。一方では、自分の命の危険も顧みないユダヤ人を匿った勇気あるオランダ人たちのような振る舞い、あるいはフリツィやミニそしてイギリス人捕虜たちのような。

こうしたものは過去の出来事ではない。今も私たちの心の中に種としてあるだろう。戦争はそれを芽吹かせる。戦争の恐ろしさとは、そうしたところにあるのかもしれない。そして、この種は社会が平和であるか、豊かであるかを問わず延々と根付いているものだと思わなければならない。

人間の中にある残酷な面と、社会福祉的な面。これらの濃淡は容易に社会環境に左右され得る。



人間は極限の中で、いかに生きれるのか?いかに生きたのか?

そのことを感じるためにも、「エヴァの震える朝」の一読を勧めたい。

そして、より深くホロコーストの構造を知るためにヒトラー著の「我が闘争」を読むこともいいだろう。画家を志し、同級生のユダヤ人がいじめられている時には義憤に駆られて抗議までしていた青年ヒトラーは、いかにしてユダヤ人を憎悪するまでになったのか?

ある街角で、若きヒトラーは第一次世界大戦下のヨーロッパの不穏な雰囲気の中で伝統的なユダヤ民族衣裳の形をした男性を群衆の中で発見する。そして、ヒトラーはこう思うのだ。

「この男はユダヤ人なのだろうか?」そしてその問いは、こんな問いになっていく。

「この男もまたドイツ人なのだろうか?」

ここから、ヒトラーはエヴァが体験したような悲惨なホロコーストを推し進めていくのだ。そのきっかけは、こうした問いから根を張り、芽を出し遂には結実した。

そして、この種の問いと閉塞感、不穏な雰囲気は現代の中にも蔓延っていることは既視感を持って眺めることができる。


「あいつは〇〇人なのだろうか?」


あるいはこの問いは、こんな風に言うこともできる。


「あいつは(集団でもいい)社会の中で存在するべき価値ある、生産性のある人間なのか?」


ホロコーストを生き延びたエヴァの言葉と、現代の抱える根深い課題もまた皮肉なコントラストを私たちに見せている。



「私たちは相手がどのような立場の人であっても、分け隔てなく受け入れて互いに尊重し合って調和しながら生きていかなければならないのです。人々がそれぞれもつ違いは、かえって私たちを豊かにするはずです」



参考・引用:「エヴァの震える朝」

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