フロイト「自我論集」より、抑圧

さて、前回S.フロイト自我論集より「欲動とその運命」について触れたが、今回は「抑圧」についてまとめてみたいと思う。

欲動には「運命」と呼ばれるものがある。


対立物への逆転

自己自身への方向転換

抑圧

昇華


がそれである。今回はこのうちの「抑圧」について、フロイトの論文を見ていく。欲動はその運命の中で、自らの動きを無効にしようとする障害と直面する場合がある。この場合に、欲動の動きは「抑圧」される。外的な刺激の場合は、逃避することができる。だが欲動の場合は逃避を利用することができない。自我が自我から逃げることはできない。


この「抑圧」について述べることは容易なことではない。欲動の運命に、なぜ抑圧が存在するのか、なぜこのような運命に陥るのか。抑圧が行われるのは、欲動が目標を達成しようとすると、不快がもたらされるためである。だが、そもそも不快をもたらす欲動というのは存在しない。欲動の満足は常に快に満ちているからだ。ここでは、あるプロセスが存在しており、そのために満足による快が不快に変わるという特殊な状況を想定する必要がある。

精神分析の治療における臨床経験に基づき考察すると、「抑圧された欲動の満足」が可能であること、「欲動の満足はそれ自体で快に満ちたものであること、しかし他の要求や意図とは両立できないものであること」が確認できる。このような欲動の満足は、一方では快を、他方では不快をもたらすのである。

つまり、不快の動機が満足のもたらす快感よりも強い力を獲得することがあるのだ。さらにフロイトは、転移神経症の精神分析の経験より、抑圧について以下のように指摘している。



「抑圧は原初的に存在している防衛メカニズムではないこと、意識的な心の活動と無意識的な心の活動の明確な分離が行われる以前には、存在しえないこと、抑圧の本質は、意識されたものの拒否と隔絶だけにあることである」



ここから、抑圧と無意識的なものは相関的なものであることが分かる。抑圧は原初的なものではないが、一方で「原抑圧」というものが存在することをフロイトは指摘する。抑圧の第一段階では、欲動の心的な表象代表を意識に取り込むことを拒絶する。これによって、「固着」が起こるのだ。その表象代表はその時から変化せず存続し、欲動はそれに結びついたままとなる。抑圧の第二段階が本来の抑圧であるが、これは抑圧された表象代表の心的な派生物や連想によって結びつくようになった思考傾向に関連する。ここでも表象代表は、原抑圧が受けたものと同じ運命を辿る。つまり、本来の抑圧とは「事後ー抑圧」となる。


さらに、欲動代表が抑圧によって意識の影響を受けなくなっている場合には、豊かな内容を持つものに発展する。抑圧のもとで、対象は極端な表現形態を取るのだ。だが、最初に抑圧されたものが、本来の抑圧によって派生した派生物がすべて意識から遠ざけられる訳ではない。こうした派生物は、歪められるか、多数の中間的なものを挿入することにより、抑圧された表象代表からかけ離れたものとなることもある。派生物に対する意識の抵抗の強さは本来抑圧されたものから派生物がどの程度まで離れているかに応じて決まる。こうして派生したものは、欲動代表からはかけ離れているが、歪められているために意識を通過することができる。精神分析において、意識的な意図や批判もなしに思いつくままクライエントに語らせるのはこのためであるのだ。


抑圧は極めて個別的に機能する。抑圧されたものの派生物はそれぞれ別の運命を辿る。人間は最も好む対象を「理想化」するが、最も嫌悪されるものの知覚や体験と同じ源泉から発生する。これらは本来はわずかな変化で区別されるものにすぎない。本来の欲動代表は二つの部分に分けることができるのだ。片方は抑圧されたままのものであり、片方は内的な結びつきによって理想化されていく。


このような歪め方のわずかな増減によってもたらされる結果は、心の「他の末端」における快、不快の発生の条件によっても生み出される。人間の心は、「力の遊戯」のこうした変化をもたらすことを目的として、特別な技法を開発してきた。本来は不快をもたらすはずのものが、快をもたらすようにする技法だ。こうした技法が作動すると、本来抑圧されていたものが抑圧されなくなっていくのである。

以上から、抑圧は個別的であり、それだけでなく移動性が高いことが分かる。フロイトは抑圧の特性とその理由について、以下のように述べる。



「抑圧な持続的な力の消費を必要とする性格のプロセスであり、こうした力の消費なしでは、抑圧は成功しないのであり、そのために新たに別の抑圧行為が必要となるのである。抑圧されたものは、意識に向かって持続的な圧力を及ぼすのであり、この圧力とバランスを取るために、連続的に反対向きの圧力が必要とされるのである」



またここから、夢の形成にも触れることができる。抑圧はその移動性の高さは、睡眠状態の心理的な性格にも表現されるからである。覚醒すると、それまで撤収されていた抑圧のための備給が再び送り出されていく。


ここまで欲動代表についての抑圧について見てきたが、こうした表象の他に欲動を代表する別の要素がある。それは「情動量」と呼ばれている。これは表象と分離した欲動であり、その量によって情動として感受される。欲動代表の量的因子の運命には三種類ある。欲動が完全に抑圧され痕跡も見つからなくなるか、何らかの感情として現れるか、不安に転化するかである。

抑圧の動機と意図は、不快なものを避けることにある。このため情動量の運命は、表象の運命よりも重要である。情動量は抑圧のプロセスの評価に決定的な意味を持つからだ。


次に、抑圧プロセスのメカニズムについて検討してみたい。抑圧のメカニズムは一つのものによるのか、多数のメカニズムによるのだろうか。欲動代表の表象部分の結果のみを観察すると、抑圧が原則的に代理形成を行うものであることが分かる。だが、抑圧は代理形成と神経症状を作り出す本体ではない。それらをもたらすのは、抑圧されたものの回帰として異なる発生プロセスを備えたものから、出てくるものなのだ。フロイトは抑圧のメカニズムについて、簡潔に三点のみ挙げている。



「一、抑圧のメカニズムは、代理形成のメカニズムと一致しないこと。二、さまざまな抑圧メカニズムが存続すること。三、抑圧メカニズムに少なくとも一つは共通の特徴があり、エネルギー備給 (あるいは性欲動の場合はリビドー)の撤回が行われることである」



最初は成功していた抑圧も、時とともに抑圧が失敗する可能性が高くなる。消滅していた情動は、不安や自責の念などに変化して再び現れてくるからだ。多くの場合、それらは些細なことや無関係なことに置き換えられる。また抑圧された表象をそのままの形て作り出そうとする傾向も見られる。情動的な因子の抑圧に失敗すると、回避と禁止という逃避と同じメカニズムをもたらす。



フロイトも述べているように、抑圧というのはその結果から逆算して推論することによってしか研究できないものである。またその発生やプロセス、意識への現れも多様であるが故に不明確な点が残されたままである。

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