戦争における「人殺し」の心理学
フランシス・デ・ゴヤの版画集に、「戦争の惨禍」というのがある。白黒の版画でありながらも戦争の悲惨さと人間の残酷さをこれでもかというほど切り開いて見せている。人間はどこまで残酷になれるのか、と思ったものだ。
さて、ちくま学芸文庫の「戦争における『人殺し』の心理学」という本を読んでみてとても面白かった。
普通人は、人を殺せない。殺人に対しては強いタブー意識と抵抗感がある。だが、戦争では軍隊内においては、それが可能になる。いかにして、人はこのタブー意識と抵抗感を乗り越えるのか。
この点について、本書は非常に魅力ある論を展開している。本書は米国の陸軍士官学校や空軍士官学校の教科書としても使用されている研究書である。戦争における殺人という戦慄の研究について、ざっと概観してみようと思う。
まず前提として、殺人は忌避され抵抗感のある行為である。その抵抗感を削るためには、何千回にも及ぶ単純な反復訓練が適用される。思考力を奪い文字通りロボットのように兵士を仕立てあげることが最大の目的となる。だが実際の戦地において、訓練と同じように発泡する兵士は少なく、むしろ無発泡の兵士が相当数いるのである。これは殺人に対する忌避と抵抗感の強さを示すものでもある。だが一方で、この「撃たない者たち」の存在が逆に発泡を促す場合も見られる。また殺人はセックスと似ているという証言もある。究極の対個人的な行為という点も似ており、また非日常であり銃を握る手の構えや銃の存在はマスターベーションを想起させる。だから、殺人に「溺れる」ことも指摘される。戦地において全く良心を痛ませず発泡する者もいる。全体では2%ほど存在すると言われているが、彼らは社会復帰をすると「サイコパス」とされる人々でもあるとの証言もある。
また殺人による最大の代償は、精神的ストレス及び精神疾患であり、ベトナム戦争における帰還兵のPTSDやアルコール依存症などが有名である。過酷な環境と、栄養失調、精神的な負荷はどんなに訓練され、屈強な兵士の精神も蝕む。
一方で、殺人においては殺される者との距離感で死の質が異なることも指摘される。一対一で、素手で行う場合と、遠隔操作でボタン一つで犯す殺人は肉体的な疲労、良心の痛み、トラウマなど様々な点において死というものへの意識を変えさせる。
また集団における殺人行為は、個人の責任感を分散させ、良心の痛みを感じさせにくくする。個人で行う場合よりも、より過激になっていく傾向があるのだ。最も人を殺す上で有効かつ容易な方法は、相手の両目に親指を突っ込み、脳まで押し込んだ後に親指の先を曲げて眼球を引きずりだすものである。これは実際の軍隊でも訓練されるものであるが、実際にこのやり方で人を殺したという例は記録にない。強い忌避を生んでいるのだ。これはゼロ距離で行う殺人であり、個人で行うものである。このように距離感と集団の有無は大きな相関関係がある。
また対外戦争よりも、内戦の方が長引き泥沼化し虐殺が起こりやすい傾向にある。
こうした環境の中で、人間の心理には殺人に対する受容と合理化が起こり、より効率的に人を殺し、また戦争というものに対する意識を変えていく。また兵士及び帰還兵に対する国家や社会の扱いにより、その後のメンタルヘルスにも大きな影響を与える。
戦争における殺人とは、国家や社会、そして集団の心理、個人の心理と多層的に繋がり、その大きな代償に精神疾患を引き起こす。
だが、「殺人への抵抗の大きさを正しく理解することは、人間の人間に対する非人間性のすさまじまさを理解すること」に他ならないのかもしれない。
以上である。ざっと読んだ感想を書いていきたい。
殺人がセックスと同じような効用を持つ場合がある、同義となる場合があるという点は興味深く読んだ。バタイユも似たようなことを書いていたと思うが、同族を殺すことはショッキングなことであると同時に、存在の莫大なエネルギーを蕩尽させる。それはある種の麻薬のように作用するのだろう。ほとんどの人間は殺人を忌避するが、稀に殺人を犯したいという逆の欲求に苛まれる人たちもいる。
だが、戦争の定義も地上の総力戦からサイバー空間や遠隔操作での攻撃に様変わりしつつあり、この辺りの技術的変化が代償である精神疾患の発症にどのような影響を与えるのか興味深いところだ。
戦争はいけないことだとは、繰り返し言われるし、対して平和は尊いものであるとも言われる。正義の名の下にあらゆる戦争は始められるが、自分たちにとっての正義を元に殺し、殺されるのが恐らく戦争の本質である。同じ人種、民族同士で殺しあう内戦の場合はより深刻である。
こういった考察が、不快感をもよおさせると言うからといって、目を逸らしてはならないと私は思う。人間は訓練次第で容易に人を殺すことができ、また巧妙にも社会的に禁止されたはずの行為であるそれを堂々と陽の目に晒して称賛されるものとしてやることもできる。これこそは殺人の社会的な受容と合理化であり、ある意味個人のそれよりも恐ろしいものではないか……。
そのような欺瞞に一瞥を加えるためにも、このような考察は平和の中にあっても重要な意味を持つと思っている。
殺人に容易に切り替えることのできる心理のスイッチを、いかにして安全装置に掛け替えてやれるのか……それが本書の目的であり、殺人学の課題なのである。
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