統合失調症:「一緒に揺れる」という新たな試み
興味深いレポートを読んだので、以下にまとめ感想を書いてみたい。
佐賀県で、統合失調症を患う人に対する新たな支援が行われている。「佐賀ACT plus (現在は名称を『SAP.JPN』に変更)」ACTとはアメリカ発祥の「包括型地域生活支援」の略称である。統合失調症の人が地域で暮らせるように看護師や精神保健福祉士などが定期的に訪問し医療、生活両面への支援を行う。精神科医を軸とし、他職種でのチーム体制を構成する。
訪問看護師のOさんは統合失調症を患う人について語る。「統合失調症の方は、何もできない人という社会からの視線を感じているぶん、人の役に立ちたい、と言われる方は多い。社会で自分が担うべき役割がないのは、精神的にもきついと思う」。また仕事の魅力を「自分が憂鬱なときに利用者さんから佐賀弁で声をかけられてハッとしたりします。そういう点では本当にお互い様ですから」と語った。
また佐賀ACT代表の谷口研一郎は、勤務医時代に精神病を抱える人たちの社会復帰を促すプロジェクトを立ち上げた。主に入院中の統合失調症の人の自宅を訪ねる「退院前訪問指導」を行なった。このことが後の佐賀ACTへの活動に繋がっていく気づきがあったという。「退院前訪問指導」は一週間程度の薬をまとめて渡し、本人や家族と飲み忘れをなくす工夫などを相談する取り組みである。
「外来診療では、医師の言うとをきちんと聞いてくれない患者が自宅を訪ねると、印象が変わる。お茶や菓子を出してくれたり、笑顔で雑談に応じてくれたりと精一杯もてなしてくれた。この人もこんなに一生懸命暮らしているんだって驚かされた」。訪問者になることとで見せてくれたのが「生活者」の顔であり、「生きる力」の発見だった。
この経験は、「疾患だけに囚われず、もっと生活全体に関わってみていかないと、疾患の改善も、退院後の地域での生活も上手くいかない」ということを谷口に痛感させるものとなった。
この「気づき」を理解するためには、統合失調症という疾病の二面性を知る必要がある。一般的な疾病は、薬や治療で症状がある程度固定化すればその後の見通しが立てやすい。リハビリなどに移行し、病気に起因する生活上の困難を少しずつ減らしていけばよい。
だが統合失調症には、妄想や幻覚などの疾患と生活障害という二面性を持つ点に特徴がある。生活障害とは、主に意欲、感情、会話や行動、病識の障害である。意欲に障害があると怠け者に、感情に障害があると情緒不安定に見られがちだ。また日常生活の中で意欲が出せたり、感情を抑制できることもあれば、できない時もある。一般的な疾病よりも、薬や治療で症状が固定化しづらく、揺れる。一般の人たちからは分かりづらく「危ない人」扱いされやすい。治療面では薬の飲み忘れや、通院が続けられなかったりする。そうなると医療の継続が難しくなり、疾患が悪化する危険性も高まる。疾患と生活障害が表裏一体の関係にあるのだ。早期発見と治療をすれば社会復帰できる場合もあるが、長期化するとそれも難しい。
谷口が佐賀ACTでで地域に基づいた医療・生活支援を行うのも「疾患だけでなく生活全般に関わっていかないと、疾患の改善も地域での生活も続かない」との考えからで、これは統合失調症の持つ二面性に拠っている。
佐賀ACTの支援の大きな特徴に、「一緒に揺れる」というものがある。統合失調症の生活障害としての不安定な特徴に支援者側も寄り添うものだ。
例えば、Aが正解でも本人がBを選べばそれを尊重して付き合うことだ。結果としてAをその後の選び直すことになるのだが、こうしたプロセスが「一緒に揺れる」ことである。支援者側が、初めからAに誘導する方が業務としては効率的だが、それでは自分で選んだことにはならない。効率を度外視して徹底的に寄り添う。
こうした試みは日本の精神医療が抱える矛盾へのアンチテーゼでもある。
日本は精神病床数が世界一多い。2011年のOECDのデータでは、人口10万人あたりの精神病床数は日本が296床でトップだ。二位のベルギーは175床、三位のオランダは139床だ。日本の精神疾患者の数は、世界的に見れば中位レベルである。病床数だけでなく、「OECD Health Data 2012」によると精神病床の平均在院日数でも日本は301日で首位となっている。
谷口も「勤務医時代は患者の社会復帰を促す一方で、病院経営の観点から空き病床を埋めることを考えていた。だが20代、30代での発症が多い統合失調症は、少子化の影響で近年減少している。その状況で社会復帰を促しながら、空き病床を埋めることは本質的に矛盾している」と指摘する。
第二の矛盾は世界の精神科医療の方向性から見た日本の後進性である。アメリカでは1970年に包括型地域生活支援 (ACT)が始まり、イタリアでは精神病院を原則廃止する法律を1978年に成立させている。これは脱病院と地域生活への移行を促すものであり、基本的人権への配慮がある。
日本の精神病院では、入院患者の私物チェックは常識であり、病院としてのリスクマネジメントが優先されている。日本の精神病院は監視する人とされる人の役割分担ができていて、対等な人間関係を築きにくい。ACTでは部外者として相手宅を訪問すれば家に入れる、入れないという選択権は利用者側にあり、対等な関係を築きやすい。先述した「一緒に揺れる」というものも、日本の精神科医療との差別化である。
この他にも社会の偏見や高度経済成長期に山奥に精神病院を多く建てた隔離政策やマスコミの偏向報道、精神障害者の社会復帰を拒む地域社会など、精神障害者を取り巻く環境にも大きな問題がある。
統合失調症を患うMさんは幻聴が四六時中聞こえる中で、生活保護を受け就労支援B型事業所の掃除を担当している。衝動買いを避けるため家計簿をこまめにつけ、近くのスーパーで使えるカードに少額ずつ金額をチャージし、現金を持ち歩かないような工夫をしている。一般の人たちには当たり前のことだが、社会にある資源をうまく使って生き抜こうとしているのだ。そのエネルギーは、様々な自由が制限される病院では発揮しづらい。地域で暮らし自分で決められる環境でこそ生まれると、谷口は言う。「患者」から「生活者」へと変えるべき理由がここにある。統合失調症の人たちはそれぞれ固有の顔を持つ。そんな彼らを知らない、出会ったこともない人たちが結果として精神病床の世界一多い現状を下支えしてしまっているのだ。
(潮 四月号よりニッポンの現実 「一緒に揺れる」という医療。統合失調症の人を「患者」から「生活者」に変える、「佐賀ACT plus」の試み。)
確か、統合失調症は昔は精神分裂症という名称だっただろうか。精神、知的、身体などに障害を負う人たちに対する一面的な見方は今に始まったことではない。特に、その障害が目に見える形として現れにくい分、精神障害はなかなか理解が進まない。うつ病や統合失調症などは以前と比べてその病名や存在も聞くようにはなってきたが、そういう人たちの社会復帰や地域社会への移行はなかなか進まない現状がある。「患者」から「生活者」へというのはこの進まない現状に対する一つの突破口になろうが、精神疾患の「揺れる」特性上慎重に見ていく必要があり、関係者の責任も重いものがあると改めて感じた。
当たり前のことだが、社会には様々な人々が存在している。そのことを、頭ではなく皮膚感覚で知っていなければ、相互理解というのは恐らく成り立たないだろうと思う。現代は、誰もが精神疾患にかかるリスクを負っている。統合失調症患者の置かれている現状は決して他人事でも、対岸の火事でもない。私たち一人一人も、疾病を取り巻く環境の一部である。
どんなバッググラウンドを持った人でも、心地よく暮らせる社会ができるために、まずはその認識に立つことから始めたい。
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