人種は存在するか?

四月号のナショナルジオグラフィックから、面白い特集を見つけたのでまとめたい。


「人種」とな何だろうか。人種はしばしば差別や対立の原因となってきた。だがその人種に、遺伝子情報の違いや科学的な根拠は果たしてあるのか?それを探る。

19世紀前半のアメリカに、サミュエル・モートンという医師がいた。彼は人間の頭蓋骨を収集し、散弾銃の鉛玉を隙間なく詰め、別の容器に移して容積を測った。その結果から、彼は人類は5つの人種に分かれそれぞれが神の定めた階層構造の中に位置付けられていると結論したのだ。

最も容積の大きな白人は知能が高く階層の頂点おり、次に大きな東アジア人は教育を受ければ更に賢くなる余地はあるが白人よりは劣るとした。その下に東南アジア人、アメリカ大陸の先住民、そして黒人が最も低い位置に置かれた。こうしたモートンの主張は後の歴史に大きな影響を与えた。南北戦争の起こる前の奴隷制度の擁護者たちはこの主張に飛びつき、ある医学専門誌はモートンの亡くなった1851年に「黒人に劣等人種としての正しい地位を与えた」と称賛した。モートンは現在では科学的な立場から人種を差別した最初の人物として知られている。


だが、科学はモートンのこうした主張について正反対のことを示している。現在では「人種」という概念そのものが誤解であるとされている。DNAの配列決定における先駆者であるクレイグ・ベンダー「人種という概念には、遺伝的にも科学的にも根拠がない」と述べている。

近年の研究では、重要なことが2点明らかになってきた。1点目は、全人類がほぼ同じ遺伝子を持っていること。そして遺伝的な多様性の研究が進んできたことにより、人類の系統樹のようなものが再構築できた。その結果、2点目に重要なこと、つまり人類は全員アフリカ人であることが明らかになった。


人類がアフリカ大陸で誕生したことは周知の事実である。解剖学的な見地からみた現生人類の特徴が現れ始めたのは約30万年前である。それから20万年前まではアフリカにとどまっていたが、その間に幾つかの集団が大陸内で移動を始め、それぞれに孤立した新たな集団が生まれていった。あらゆる生物種の遺伝子の変化は、DNAを微調整した結果起きる。これは一定の割合で生じるため、集団が長く存続するほど変異は集積し他の集団と交流を持たなかった時間が長いほど、特徴の差は大きくなる。

人類の系統樹における最大の分岐は、黒人や白人といった異なる人種間ではなく、人類がアフリカ大陸を離れる以前に数万年間大陸の中で互いに孤立して暮らしていた集団の間で起きていたのである。


現在の非アフリカ系の人々は全員、約6万年前にアフリカ大陸を旅立った2000〜3000人の集団の子孫であることが分かってる。アフリカ大陸を出た集団の子孫は5万年前にはオーストラリア、4万5000年前には南米大陸へとたどり着いたことが分かってる。移動の過程で新たな集団が形成され、地理的な孤立によって他の集団との交流が失われる。その結果、各集団が異なる特徴を備えた遺伝子変異の組み合わせを持つようになった。遺伝子における微調整はメリットもデメリットもなかったが、稀に新しい環境の中で有利に働くものもあった。そうした変異は自然選択の強い後押しを受けて、その土地の集団に広がっていった。


DNAは、A (アデニン)、C (シトシン)、G (グアニン)、T (チミン)という塩基の並び順によって遺伝情報を記録している。ヒトゲノムは30億の塩基対からなっており、それが約2万個の遺伝子に分かれている。東アジア人毛髪が太くなったのは、そのうちのたった一つの遺伝子のそのまた一つの塩基がTからCへ書き換えられた結果だ。

同様に、ヨーロッパ人の肌の色の薄さもSLC24A5という遺伝子に起こった一つの小さな変異である。この遺伝子を構成する塩基対は約2万にも登るが、その中の一箇所においてサハラ砂漠以南に住むアフリカ人の大半ではGとなっているが、ヨーロッパ人ではAとなっている。

また古代人の骨から抽出したDNAを調べると、西ヨーロッパでGがAに書き換えられたのは約8000年前と比較的最近であり、それは中東から来た人々が引き起こしたことも分かってきた。彼らは同時に農業ももたらした。このことから、それ以前にヨーロッパ大陸にいた人々の肌は白ではなく褐色で、その多くが青い瞳を持っていただろうことがDNAは示唆している。

古遺伝学を研究するハーバード大学のデビッド・ライクは「こうした混合や書き換えは幾度となく繰り返されていること、私たちが抱いていた先史時代の人種構成のイメージがほぼ間違っているということを、遺伝学は教えてくれる」と指摘する。


今日の科学は外見上の違いは偶然の積み重なりに過ぎないことを教えてくれる。

ただ、人種という概念が作られたものだからといってその影響力が小さくなるわけではない。人種の違いは、物の見方、機会や経験を左右する。また人種差別に苦しむ人々には、その分類に科学的根拠はないと言われても慰めにもならない。


ウェストチェスター大学のコミュニケーション学のアニタ・フォーマンは「人種は人間が作り上げたものだからといって、私たちの持つ異なる集団に属していることや、多様性が存在することを否定しているわけではない。ただ今の分類を作ったのが私たちであるなら、より良い分類を新たに作ることもまた、できるのではないか」と指摘する。



自然は劣ったものや、異常なものを作らない。目に見える現象や形態に価値を付与するのは、やはり人間の側なのだ。そんなことを改めて感じさせてくれるものだった。「人類みな兄弟」とはよくいったものだなぁと感じる。肌の色も所詮は遺伝子上の、ごく微細な調整の結果に過ぎず、その調整もまた繰り返し起きるものなのだ。何千年も後には、肌の黒い人が青い瞳を持っているかもしれない。人種という概念は、現在も根深く世界を覆っている。自然の中に、人種はない。

この知見をどう使うのか…「新たな、より良い分類」は現在の私達に委ねられているだろう。

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