第一回ヒバリちゃん会議


「ふぅ……」


 洗顔道具を借りてメイクを落とした後、ヒバリはシャワーを頭から浴びて息を吐いた。クレンジングオイルに混じっていた、返り血のあかが再びヒバリの脳裏をよぎる。



 私はまた、一人のアイドルを殺したのだ。

 手にはまだ喉を掻き切る肉の感触と、引き金を引いた時の衝撃が残っている。何人目であろうと、この感触はすぐには消えない――否、消してはいけない。


 元々彼女達に罪があったわけではない。これは私との、個人的なものだったのだ。相手が相手だから手段は問わなかったし、人から見れば私の方が彼女以上の悪なのだろう。


 それでいい。あの人を殺すという、そのさえ手に入れられるのなら。そのために多くの悪が必要だというのなら、私は何も躊躇わない。


 そのまま何分経ったのだろう。頭から身体を伝って床へと流れていく水をただ見つめていたような気がする。水は罪を流さない。自分の曖昧な意識だけを流し、底に溜まった罪を顕在化するだけだった。


 やがて玄関の開ける音が聞こえてきて、私は我に返る。


「ヒバリちゃーん、着替え買ってきたからここ置いとくねー」


 扉の向こうから聞こえる、相沢さんの声。私にはその口調が、どうにも目の前で殺人を犯した人間に掛けるものには感じられなかった。

 私はまだ、彼女のことをよく知らない。それはお互い様だ。彼女だって、私がどうしてアイドルを殺しているのか、その元凶を知らないだろう。それを知り得る――認識できるのは、恐らく私しかいないから。

 彼女は、私に好意的だ。そう、ひどく。

 これは私がやるべき事であって、彼女には関わるメリットがない。だから、私には彼女が何を考えているのか理解できなかった。どうして彼女――相沢花恋は私にこのように接し、復讐を手伝うとまで言えるのか。


「――ヒバリちゃーん?」

「え、えぇ。ありがとう」

「お風呂湧かしてなくてごめんね。湧いてたら一緒に入ろうかと思ったんだけど」

「……」


 本当に、私には理解できない。


 でも何故か、嫌ではないのだ。



「それじゃ、ゆっくりとねー」


 花恋がリビングに戻っていく。

 ヒバリはシャワーを止め、鏡の湯気を手で拭う。

 そこに写る濡れた自分が、ヒバリにはひどく醜いものに見えた。



  *  *  *



 自分が持っているものよりもサイズが合っていた事に恐怖を感じつつ、髪を乾かしたヒバリはリビングへと向かう。まだ明るかった外も日が沈み始め、花恋は既にカーテンを閉め電気を点けていた。

 ソファに座っていた花恋は、ヒバリの姿を見て立ち上がる。


「テキトーに座ってて、今飲み物持ってくるから。風呂上がりだし冷たいの――サイダー? コーヒー牛乳? あ、エナジードリンクなら種々揃ってるからそれでもいいよ」

「……コーヒー牛乳で」

「はいはーい」


 鼻歌を歌いつつ、花恋はキッチンへと消えていく。

 ひとしきり目でその背中を追った後、首に掛けたタオルを弄りつつヒバリは部屋を見渡す。背の低いテーブルとソファの置かれた整理された部屋の中、一際ヒバリの目を引いたのは窓側の壁に貼られたあるアイドルのポスターだった。目映い程の笑顔を向けるその少女は黒髪の毛先を遊ばせながらも、メイク自体はアイドルらしく素材を活かしナチュラルに仕上げている。スタイルも完璧といえるもので、スカートから覗かせる太ももは細く締まっていながら女の子らしい柔らかさをも感じさせ、その笑顔の裏にある資質以上の努力を見せつけているようだった。

 そしてその少女のことを、ヒバリも


一色千里いっしきちさと――」

「ああ、そのポスター? 文美さんがどうしてもそこにってね。別に私も好きだからいいんだけどさ。というか、千里ちゃんに関しちゃ嫌ってる人間探す方が億劫な話だよ」


 キッチンへと消えていた花恋がマグカップとエナジードリンクのアルミ缶を持って現れ、背後からヒバリに説明する。


 一色千里いっしきちさと。第十回全国アイドル総選挙から前人未踏の三連覇、そして四連覇もほぼ確実だろうと言われている、まさに日本の『センター』に立つ少女。歳は高校に入学したばかりの花恋達より二つばかり上、すなわち現在の二人よりも幼い頃から、アイドル界の象徴として君臨する絶対王者。

 才色兼備文武両道天衣無縫、ひとたびテレビに出れば明るいキャラとトークだけで人々を虜にしてしまう。何でも完璧にこなす超人として、国民から愛され、世界中からも多大な注目を受け続けている。

 そして何より特筆すべきなのは、彼女が例外中の例外である存在アイドルだということ。


「はい、コーヒー牛乳」

「ありがとう」


 エナジードリンクのプルタブを開けつつ、花恋はソファに座る。ぽんぽん、と、花恋は自分の隣を叩いた。小さなため息をつき、ヒバリは花恋の隣に腰を下ろす。


「それじゃ、話を聞こうかな。単刀直入に聞くけど、誰への復讐?」


 花恋の屈託の無い質問に、ヒバリ手に持つカップの水面へと視線を落とす。


「今ならまだ、相沢さんは引き返せる。でももし、今ここで聞いてしまえば、もう二度と戻れない。ここから先はきっと相沢さんが思っているよりも大変な世界。それこそ、場合によっては命も保証できないような――そこに飛び込む覚悟が無いなら、殺すつもりもないから今日のことを忘れてくれればいいわ。……ここまで言ってまだ本当に覚悟があるというのなら、私はあなたに全てを話すつもり」


 重い口調で語るヒバリの横顔を、花恋は見つめる。


「覚悟、ね」


 その言葉を花恋は反芻する。

 裏路地で見た、ヒバリのあの目。その輝きに、既に花恋は確信していた。

 

 私が能力を手に入れたのは、アイドルになったのは、ヒバリちゃんに会うためだ。


「私はヒバリちゃんと一緒に戦うよ。たとえそれが、どんなに危険でもね」


 花恋はヒバリの手に自分の手を重ね、そっと握る。風呂上がりのヒバリの手は暖かい。ヒバリは最初驚いた様子だったが、やがて手のひらを返し、花恋の手を握り返した。


「――分かった、全部話すわ」


 ヒバリは少しの間黙り込み、それから再び顔を上げ、花恋と目を合わせた。

 

「私は、一色千里を殺すつもり」

「そっか、千里ちゃんか……え、まじで?」


 一瞬落ち着いて受け止めた素振りを見せた花恋だったが、予想以上の答えについ聞き返してしまった。答えたヒバリはふざけた様子もなく、真剣な眼差しをしている。


「本当よ。あの女が私の……私達家族の未来を奪った。だから私は借りを返さなくちゃいけない。それだけが、私の生きる意味。私が、アイドルになった理由」


 ヒバリが手を強く握ってくることで、花恋はその想いの強さをまじまじと感じる。


 一色千里というのは、全国のアイドル達にとって遠い憧れ、まさにその年の総選挙上位7人で組まれるユニット「神セブン」の名に嘘偽り無い存在だ。その少女が、このヒバリに人殺しをさせるほどの復讐心を生ませるようなことをした。花恋の中で、どうにもその二つが繋がらない。

 まだ驚きが抜けきらない花恋に、今度はヒバリが笑ってみせる。しかしそれは微笑みのようでなく、ひどく乾いた笑いだった。


「相沢さんは知ってるかしら。彼女の名前、一色千里というのは本名じゃないの」

「え、そうなの?」


 花恋は再び驚く。アイドルの中に芸名を使う子は結構いるし、友人にもその手の子はいる。しかしまさか、日本のセンターたる一色千里がそうであるとは考えたことも無かった。


「といっても、それを知っている人間はほとんど――もしかしたら私だけかもしれない」

「ヒバリちゃん……だけ?」

「それじゃあ聞くけど、一色千里の誕生日は?出身は?家族構成は?そして、それらが?」

「――っ!?」


 花恋の頭の中を閃光が駆ける。現在日本で最も有名な少女。そのプロフィールについて、今の今まで花恋は


「――まさか」


 戦慄する花恋に、ヒバリは浅く頷く。


「そう、認識されないようにしているの」


 それはつまり、ヒバリと同じ能力を一色千里が使っているということ。しかし、それ自体におかしいところは無い。一色千里にはそれが可能だということを、花恋は知っている。


「でも、どうしてそんなこと」



「――彼女は昔、自分の家族を殺した」


 疑問ばかり投げつける花恋に、ヒバリはそう淡々と告げた。


「5年前の11月28日、その日は彼女の誕生日パーティーが行われていた。そしてその日、彼女は両親と兄を殺したの。それが人だったと分からないくらいにね。幸い彼女の妹は認識を阻害する能力を持っていたから、彼女に認識されず殺されるのを免れたけど――やがて彼女は自身の過去にまつわる情報を全て秘匿化し、一色千里となった」

「っ!? それじゃあまさか――」


 コーヒー牛乳を一口飲み、ヒバリはポスターへと目を向けた。



「彼女の本名は翁草万里おきなぐさまり――私の姉よ」

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