アイドル次元は頑固ちゃん。
「意識」というものが高次元空間にも広がっているということが判明したのは、超能力者が現れてからのことである。
彼女達が超能力を使用する際の脳波を測定して解析した結果、アイドル達の脳内では一般的な人間よりも大脳皮質の前頭連合野、大脳辺縁系、海馬等――つまり情動・記憶を司る領域――の活動が活発であることが分かった。
さらに超能力が起こる場所、及び超能力者の体内ではエネルギーはひとりでに生まれていることも分かった。それはつまり、熱量保存の法則を覆す現象が起きているということ。10年以上色んな議論が交わされてきたが、超能力者――とりわけ強い能力を持つ者に対する聞き取り等もあり、そのエネルギーは外部からそこに現れるのだとという結論が下された。
物質により構成されたこの三次元空間よりも高次で、彼女ら曰く『情報』が極限にまで圧縮された世界。そこは物質世界とは異なる法則が成り立っているという。
そしてその世界は、物質の世界と深い関係性があった。人々が意識、あるいはクオリアと呼ぶ個人の知覚・情的認識。実はそれは、高次元の世界へと集積された情報により構築された集合体が物質世界の処理媒体、つまり生命体の脳に一部をフィードバックすることによって生じるものであると分かったのである(この研究でアメリカの教授は昨年のノーベル生理学・医学賞を受賞した)。
意識の正体がフィードバックされた情報の一部であるということ、それはつまり、意識にはまだ意識たり得ない意識が存在するということ。超能力者とはその意識の外にある意識に何らかの方法で干渉し、物質世界にその影響を反映させることができる存在だと判明したのだ。しかしその干渉原理については、未だ不明な点が多いのが現状である。
人工的に干渉する方法も確立されていない。事実上、高次元領域は超能力者達だけに認識される世界のままだ。
といってもこれは学会で使われる際の名前であって、学者か知的に見せたがる人でもない限り、日本人はこれを「アイドル次元」という俗称で呼んでいる。英語圏では「mutant zone」とも呼ぶか、単に高次元領域の頭文字を取って「HDW」と言う場合がある。
それに超能力者自身、アイドル次元について曖昧な知識にとどまっている子が多いのも事実だ。世間の認識はまだ極めて感覚的、クオリアと既存物理学の境界に現れた世界という認識に留まっているのが実態である。
……要点だけまとめれば、アイドルはアイドル次元パワーで超能力を起こすのだ。
――――――――――――――――
個人を特定されそうなものを抹消し、花恋とヒバリは路地裏を出て人の賑わう商店街へと来ていた。
太ももに装着したホルダーに収めたサバイバルナイフと拳銃、返り血を受けたブラウスを、まるで元々そういうファッションだと言うような顔でヒバリは歩いている。そして、それに目を留める人もいない。時折ヒバリに視線を奪われる人もいるが、それはヒバリの美貌によるものだ。殺人犯としての物証は、ヒバリが自身の能力で認識を阻害しているのだ。
ヒバリが行っているのは、いわば情報のオフライン処理。ヒバリが秘匿したい情報を指定することによって、ヒバリの意識外意識はアイドル次元にあるその情報を私物化する。それにより他の意識外意識からの干渉を防ぐことができ、その情報が物質世界に現出しなくなるのだ。
これは光学的作用もあり、監視カメラのような映像媒体にも見つかることはない。
横を歩く花恋からすれば、いきなり血の汚れが消えたようなもの。注視しても分からないヒバリの能力に、花恋は感心していた。
とはいえ、それを着たままでいるわけにもいかない。「とりあえずどこかで着替え買ってこうよ、私選ぶの手伝うから」という花恋の提案に、ヒバリは首肯してここまで来ていた。
「こことかどうかな?」
花恋が足を止めたのは、とある洋服店だ。若者向けであることは確かなのだが、店頭にはアメリカのお菓子ばりに蛍光色カラーの洋服が掛けられてる。分かりやすくヒバリは嫌な顔をした。
「ここはちょっと……その、少し派手じゃないかしら」
「そう? かわいいと思うけどなー」
オブラートに包んで否定するヒバリに、花恋は眉を上げる。店頭に置かれた蛍光ピンクのジャケットを手に取り、離れたヒバリにかざして見る。
「うーん、やっぱりヒバリちゃんは蒼の系譜の方が良いかな?
「まず発色性を求めないでほしいのだけれど」
「そっかー……じゃあ、他の店行こうか」
再び商店街を散策する二人。しかしめぼしい店は見当たらない。そもそも、若者向けの洋服店がさっきの一店舗しか無かった。
どこかから聞こえてくるドップラー効果のかかったサイレンを耳に、二人は商店街を抜けて静かな道路沿いへと出る。
「んー、どうしたものかね……」
歩きながら口に手を当て、花恋は悩み込む。その横顔を、ヒバリは落ち着いた態度で見ていた。
「……こういう時は、能力を使わないのね」
ヒバリの言葉に花恋は目を丸くし、それからあははと苦笑いを浮かべる。
「さっき使いすぎてね。オーバーヒート寸前なの」
「オーバーヒート?」
花恋は周囲を確認する。誰かに聞かれていないか確認するためだ。盗聴系の超能力者がいるかも、という可能性までは考慮しない。それなら最初からアウトだし、超能力による犯罪行為には現状重い処罰が科せられることになっている。なので聞かれたとしても、それを大っぴらには公表しないだろうという考えだった。
それはつまりヒバリの犯した罪も、少年法で守られた上で無期刑は確実ということになる。しかし、それは表向き。実際には死刑よりひどいものが今の世の中に存在していることを、花恋は知っている。
「能力の説明はさっきしたよね」
あの路地裏で、花恋はヒバリに対し能力の概要を教えていた。幸い、アイドル次元についてヒバリも深い理解を有していた。理論だけではなく、そこに体験的な部分も加わるから殊更にである。
「えぇ。『アイドル次元で未来をシミュレートし、そこで最適解を導き出す能力』だと理解したけど」
「うん、それで合ってるよ。そこで問題になるのが、私の能力はあくまで最適解を導き出すものだということ」
花恋の言葉に、ヒバリはしばし考え込み、それから言葉を発する。
「ただの未来予測ではない、ということね」
「ザッツライト! 超能力というシステムの融通の利かなさは、ヒバリちゃんもよく分かってるはずだよ」
「……」
ヒバリは黙して肯定する。スイッチは意識に存在しても、超能力を生み出す機構は意識の外側だ。ヒバリの能力は聞く分には応用が利きそうなものであるが、それは能力の可変領域が情報の指定、即ち意識側に存在しているからである。アイドル次元で行われているプロセス自体は「指定情報の私物化」という単純なものであり、それ以外――例えば指定した情報を逆に誇張すること――は不可能なのである。
「私が設定できるのは辿り着きたい結果だけ。そこまでの細かい過程を私が設定して、それを予測するものではないの。そうね……とある市街地の地図と、その上に存在する離れた地点A、Bを思い浮かべて。そして私達は現在地点Aにいて、そこから地点Bに向かいたいと思っている」
ヒバリは頷き、頭の中に地図を想起し、そこに二本のピンを立てた。
「地点Bまで行くにはそれこそ数え切れない程のルートがあるわ。でも、近道は片手の指で足りるくらいには限られると私達は知っている――この時、最短で行こうとしたらヒバリちゃんはどうする?」
「近道だけ調べて、そこから最短のものを選ぶわね」
「そう、数通りのルートについて調べる、それだけで済む話。……でも、私の能力はそうはいかない。最短のルートを見つけ出すため、可能な限り全てのルートを調べ尽くすしかできない。大袈裟に言えば、隣の家に行く道に月を経由するルートすら勘定するということ。存在する限り、可能性は可能性だから」
「……要は、ものすごく効率が悪いということね」
「ま、そういうこっちゃね。だからあんまり使いすぎると、『相沢花恋』がイカれちゃうってわけ。さすがに二回目は勘弁だよ」
「――二回目?」
まるで一度はあったという言い草に、ヒバリは聞き返す。
「この能力に目覚めた頃にね。それまでの私って、アイドルを目指すような明るい子じゃなかったらしいのよ。記憶喪失らしくてイマイチよく覚えてないけどさ」
まるで昨日転んだとでも話すように、けろっとした表情で花恋はそう告げる。衝撃の事実に、ヒバリは言葉を失った。人によっては超能力にリスクを伴うことまではヒバリも知っていたが、そこまで大変な事例があることまでは知らなかったのだ。
黙ってしまったヒバリに、花恋はあたふたする。
「あぁいや別に同情してもらいたいわけじゃなくてね? むしろ明るい性格になって私も良かったんじゃないかなーって思ってるもん。今こうしてヒバリちゃんと話しているのだって、元を辿ればそれが原因なわけだし」
「……」
何と言うべきか分からないヒバリと、作り笑いを浮かべる花恋が向き合う。
少しの間隙を挟み、花恋は手を叩いた。
「そうだ!ヒバリちゃん
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます