Forget me not blue
三津凛
第1話
駅のホームに辿り着いた頃に、雨が雪に変わった。
3月も終わるというのに、雪だって降るべき刻を知っているのだろうか。
「季節外れの雪ね」
千春が雲の切れ間を探すように空を仰ぐ。
「しばらく雪なんて見れないだろうなあ」
寂しそうに千春が呟く。
私はホームの窪みにできた薄い水たまり越しにその顔を見る。
「アメリカでも雪は降るよ」
私が言うと、千春は笑う。
「でも、日本の雪とアメリカの雪は違うんじゃないかな」
「そうかな」
「きっとそうだよ」
私はアメリカを知らない。それ以前に、海の向こうへ行くためのパスポートを持っていない。
「アメリカの大学に行くの、怖くないの?」
「うん」
「入学式は秋ごろでしょ。それまで何するの?」
「ボランティアとか、あと勉強しないとね。とっても楽しみ」
寒さで少し赤くなった鼻先をマフラーに埋めながら千春が笑う。
「美雪だって、春から大学生でしょ?不安じゃないの?」
「別に、地元の大学にそのまま行くだけだし」
「そっかあ」
なんの未練もなく遠いところへ行ってしまう千春を見ると、私は自分が捨てていかれるような気がした。
まっすぐ伸びていくことしか知らない線路のように、千春は未来だけを見て今を生きている。
私はこのまま地元の大学へ行って、そのまま適当に就職してしまうだろう。そんな私は小さくまとまって、まるで子どもじみている。
隣にいるようでいて、もう千春の心は日本にないのかもしれない。
同じ空間で、同じ時間だけ学んでふざけ合って来たはずなのに、千春はとても綺麗になった。
春が本当に来る頃には、もっと綺麗になっているだろう。
「電車、遅いね」
私は無性に自分が恥ずかしくて、時計を気にすることしかできなくなった。
何か考えるには、この時間は短過ぎる。何か言うのには、この時間は長過ぎる。
もじもじとしている間に電車が線路の向こうからやって来る。
「やっと来たわ」
首を伸ばして千春が電車を振り返る。まだ微かに幼い線を残した横顔が、雪の合間に見える。
私はそっと自分の顎を撫でた。まだ大人の優しい脂肪に包まれる前の硬い手触りがした。
時が経てば、やがて大人になってゆくことに私はちっとも気が付いていなかった。
「もう電車来ちゃった」
私の幼い声は電車の立てる擦過音に吸い込まれていく。
千春が電車の窓の向こうから手を振る。その唇が何か言うことが怖くて私は窓硝子に張り付いていく雪ばかり見ていた。
ありがとうもさようならも聞きたくなかった。
ゆっくり名残惜しむように、電車が動き出す。分厚い窓硝子を叩く音がする。私は顔を上げて、やっと千春の顔を見据えた。
その唇が何か言っている。
ゆっくり、私に分かるように。
電車が速度を上げて、雪の舞う向こうに消えていく。
千春のいなくなったホームに私は雪が溶けて再び雨に戻るまで佇んでいた。
「forget me not」
千春はそう言い残して、未来へ行った。
誰の影も残していないホームを出口に向かって私は歩いて行く。暖かい涙が少しだけ零こぼれた。
「forget me not」
千春が言ったのと同じ言葉を唇に乗せる。
この先ずっと、一生会えなくてもいい。
ただ、私のことを忘れないでいて。
Forget me not blue 三津凛 @mitsurin12
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