轢かれた日曜日

三津凛

第1話

素子もとこと琴音は、硬い結び目のようであった。

二人の顔はとても良く似ていた。下品な男どもはいつも、机を並べた素子と琴音に「君たちは種と畑が同じような見た目をしているね」とからかって通り過ぎた。

小さな建設会社の事務員として、二人は細々と働いている。場違いな小鳥のように素子と琴音はお喋りしながらも、真面目に事務作業を続けた。

「今日は棚橋さんから、お饅頭をもらったのよ」

素子がくすくす笑う。琴音がペンを持ったまま、素子の肩を突く。

「あの人、素子ちゃんのこと好きなのよ。それでも、お饅頭っていうのがねぇ…。チョコレートなら貰おうと思ってたんだけど」

琴音は棚橋の熊のような風体を思い浮かべながら笑う。

「良い人だけど、ちょっとズレてるのよねぇ。私もお饅頭苦手なの、あげる」

「いらないわ」

素子と琴音はセロファンで包まれた饅頭を押し付けあう。そのうち柔らかな面が凹んで、破れる。

「いやだ、中身が出てきたわ」

素子が鼻にしわを寄せる。

午前中はみんな出払って、事務室には二人しかいない。こんな風にふざけながらも、よく働いて作業をこなすので重宝されている。


素子と琴音は土曜日になると分かりやすく見た目が華やぐ。来たる日曜日に備えて、綺麗な若い二人は自分を磨くのだ。

素子と琴音に男の影はなかった。それなのに、ガラス窓を磨くようにこの若い二人は綺麗に肌や服装を磨く。棚橋は見えない男の影に嫉妬し、他の下品な男どもは露骨な視線を寄越して冷やかした。

素子と琴音はよく似た形の良い鼻梁を、気高い雪山の峰のようにそびやかして笑った。

「ただ自分のためにやっているのですわ。女の視線がいつも男に向いてるなんて、自惚れも良いところですよ」

素子が口に手を当てて笑う。熊のような棚橋は、綺麗に揃えられた簾のように自分を遮る、真っ白な指の向こうを夢想した。形の良い唇と、南国の毒々しい果実のような舌が隠されていると思うと、劣情を苛まれる。

素子は分かってやっていた。

琴音はボールペンで素子の意地悪な背中を突く。


実際の所、この綺麗な若人を虜にした色男はいなかった。素子と琴音はお互いに夢中になっていた。素子がある時ふざけ半分で琴音に背を向けさせて、ボールペンの尻でそっと「好き」とやったことが始まりだった。

琴音はそれを素早く読み解いて、「私も素子ちゃんのこと、好き」と返してやった。

「本当?信じられないわ。好きってことはキスもしなきゃならないのよ」

素子は興奮して詰め寄った。

「ええ、いいわ」

「子どもがするような、いい加減なものじゃないのよ」

「私だって、キスくらいしたことあるもの」

「本当に、本当?」

「本当よ、舌だって絡ませたことあるわ」

琴音はそう言って、素子の顎を引き寄せてそのまま唇を結んでやった。そのまま温かくて優しい舌まで至ると、これも結んでやった。

それから二人は固結びされたような関係になった。

土曜日の華やぎは、次の日曜日への前夜祭であった。それを知るのは素子と琴音のたった二人だけであった。


「素子ちゃん、白い鳩がいるわ」

琴音が髭の池の淵を歩き回る鳩の一群を指差した。小さな建設会社の給料はたかが知れている。二人は広い恩賜公園を日曜日ごとに巡った。

「ふふ、綺麗な鳩ね」

素子が琴音の肩に頭を乗せた。

二人はこの小さな日曜日を愛していた。池を眺め、鳩の羽ばたきを聞き、いつもよりは綺麗に肌を磨いて、日曜日を過ごす。

樹々の煩さを良いことに、琴音は素子の肩を掴んで引き寄せた。そして二人はたまにキスを交わした。

素子と琴音の日曜日はそうやって過ぎていった。


この頃の二人は土曜日にお揃いで色違いのブローチを着けてくるようになった。それはいつの間にか、土曜日を告げる鐘のようなものになり、日曜日を予感させるものになった。

二人の脇を通り過ぎる男どもは、一様に「今日は土曜日か」と思うようになった。そして次の瞬間には「明日は日曜日だな」と思わせたのだ。


その半年後、素子と琴音は仲良く手を繋いで人でごった返す駅にいつも通り向かった。土曜日の仕事は終わり、明日は日曜日がやって来る。

素子と琴音は押し出されるようにして、ホームの一番前に立っていた。若い二人は華やいだ横顔を見せていた。明日は自由な日曜日である。その日曜日はもう目前に迫っている。

その興奮が無数に膨らむ人混みを残酷にさせた。誰が二人の背中を押したのか分からない。

滑り込んで来る列車に素子と琴音は一瞬気を取られた。その瞬間に誰かが二人の背中を強く押し出した。

素子と琴音は固結びのような存在であった。二人の腕はその権化だった。容易には解けない。最初に素子が銀色の線路に向かって落ち、琴音もつられて飛び込んでいった。

そして、憐れな二人を列車は正確に轢いた。巨大な車輪が華奢な二本の首を飛ばした。

コロッセウムの催しに熱狂したローマ市民のような狂騒が素子と琴音を包んだ。

だが、二人にその悲劇が届くことはなかった。不思議なことに二人の首は並んで土埃に塗れ、手は相変わらず固結びのように二つで一つになったままであった。

色違いのブローチだけは粉々になって、生真面目な鉄道職員も見つけ出すことはできなかった。


素子と琴音の並んでいた机は、それから随分長いこと虚ろなままだった。棚橋の悲嘆は深かったが、彼はそのうち適当な女を見つけて結婚した。

だが華やいだ若人のいなくなった土曜日を迎えると、誰からともなく呟いた。


「ご覧!日曜日は死んでしまった!」

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轢かれた日曜日 三津凛 @mitsurin12

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