ジルドゥラ
安良巻祐介
白い猫が、大嫌いでした。
私という人間を構成する要素のうちで、唯一鮮烈な光輝を放っているのが、すなわちこの嫌悪症でありました。
その直接的なきっかけとなった幼い日の出来事について、私は今でもよく覚えて居ります。
そう、何歳の頃か、恐らく五つにもならぬうちだったと思うが、私は道端で一匹の猫と出会ったのです。
家に帰る途中だったかしらん、小さな背を丸めるようにして、地面ばかりを眺めながら歩いていた私の目の前に、全く唐突に、そいつがいるのを発見致しました。
それは、燃える白い炎だった。一瞬そう錯覚するくらいに、その猫は、私の想像の範疇を超えていました。
雪を漂白したような毛並みで、幼い私の膝までもない背をぴんとさせて、二つの澄んだトパーズの瞳をこちらへ向けて、座っていたのです。
たったそれだけで、私は歩けなくなりました。
と言っても別にその猫の美しいのに見とれたのじゃない。むしろ逆でした。その美しいのに吐き気がして歩けなくなったのでした。
それまで私は、自分がさほど高尚だとも、綺麗なものだとも、思ったことはなかった。ただそれでも、綺麗なものを人並みに綺麗と感じ、憧れ、或いは慈しむ心を持ち合わせているものと考えて居りました。
綺麗でないものと、綺麗なものとは、共存している。
それが、貧しい街の貧しい家に生まれ、灰色を見て生きてきた私の、ある種の救いでありました。
けれど、その猫は、その私の救いを、微塵に粉砕したのです。
それは、たとい塵芥や汚れた屑や小枝の山へでも弥撒の炎は灯されうるとでもいうように、喘息病みの肺そっくりな私の町の一角を犯していたのです。
固まって腐っていく病人の山へ清冽な火を翳した、ランプの淑女を思うて御覧なさい。その、真っ白い、顔を。
何よりそれは、塑像の如く動かなかった。
私が唸り、脅え、震えながら逃げ去るその瞬間まで。
剥製でもないくせに、ただそこに在って、ただこちらを見ているだけだった。
私の魂は、その時、決定的に敗北したのです。
それ以来、私は、白い猫を見ると狂乱するようになった。たといその猫があの日のように美しくなくても、二重写しにあの道の上の恐ろしい猫が蘇る。もはや白い猫という存在は、私にとって人生の忌まわしさの象徴となりました。
それがこの度、世間で白猫・黒猫・赤猫事件とか呼ばれている騒動を起こし、仏様に顔向けできぬ所業を成した女の、嘘偽りのない動機であります。…
ジルドゥラ 安良巻祐介 @aramaki88
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