キミと珈琲ブレイク

一視信乃

キミと珈琲ブレイク

 低い声のつむがれる、口角の上がった口元が好き。

 机の上をトントン叩く、細く長い指が好き。

 セットされた髪から香る整髪料のニオイも好きで、ああ大人だなぁって思う。

 カッコいいなぁって……。


「だから、ここはxを……って、聞いてんのか、ひろ?」


 伏していた奥二重の目を上げて、ギロリと真っ直ぐわたしをにらむ。

 スッキリ甘い優しげな顔立ちが好きだけど、厳しい表情かおもまたステキだわぁ。


「オイっ」

「ハイっ、もちろん聞いてます。梅原うめはら先生っ」


 時は放課後。

 うららかな小春日和の教室で、ふたりっきりの勉強会。

 わたしだけに語りかける美声を、聞き逃したりするハズがない。

 ただ先生に見れ過ぎて、理解がおろそかになっちゃうだけだ。


「ならいいが……おっ、そろそろ時間だな」


 壁にかかった時計を見て、先生はスッと腰を上げる。


「もう行かないと」

「えーっ。まだ全然わかんないのにぃ」

「そういわれてもなぁ……」


 困り顔もたまらないわぁ、とか思っていたら、前の戸がガラリと開いた。


「おっ、とう


 先生が、すいな侵入者へ声をかける。

 同じクラスの、地味なメガネだ。


「このあと暇か?」

「はい。今日は部活も塾もないので、暇ですが?」

「なら、ちょうどいい」


 先生は、いぶかるように答えた彼の元へ行き、学ランの細い肩をポンと叩いた(くぅ、うらやましい)。

 そして、親しげに顔を寄せ(くぅ、ねたましい)、きっぱりとおっしゃる。


「八尋に、数学教えてやってくれないか」

「は?」

「えーっ!」


 わたしもガタリと席を立った。


「先生っ、なんでそんなっ──」

「恵藤は数学得意だし、ちょうどいいだろ。終わったら、職員室の俺の机の上に置いといてくれ。それじゃあ」


 抗議に耳を貸そうともせず、急ぎ足で出ていく先生。

 どうやらホントに急いでたみたいだ。

 もしかして、ものすごい迷惑だった?

 嫌われちゃったら、どうしよう……。

 目の前が真っ暗になったわたしは、「オイ」という声で我に返った。


「どうすんだ?」


 露骨に不機嫌そうな顔で、メガネ、もとい恵藤がこちらを見ている。

 何よっ、わたしだって困ってんのに。

 別に、教えてくれなくて結構。こんなの一人で出来るわ──って、いってやりたいトコだけど、残念ながら数学は、シャレにならないくらい苦手だ。

 わたし一人で、全部やりきる自信はない。

 これ出来なかったら、先生、がっかりするよねぇ……。

 仕方ない。

 わたしは腹をくくった。


「教えて……下さい」

「わかった」


 まだ先生の温もりが残っているだろう前の席の椅子へ、なんの躊躇ためらいもなく腰を下ろした恵藤は、先生がしたのと同じように、プリントを覗き込んでくる。


「わからないのってどこ?」

「えっと……全部?」


 正直にいったら、フンと鼻で笑われた。

 爆笑されんのもムカつくけど、こういうのもめっちゃ腹立つぅ。

 でも、先生のタメにも我慢しなくちゃ。


「とりあえず、ちょっとやってみてくれ。出来るとこだけで構わないから」


 エラそうな物言いにイラっとしながら、ヤケになって取り組んだ計算問題は、なんとか自力で解けたけど、グラフや図形の方はさっぱりわからない。


「なるほど……」


 何かに納得したらしい恵藤は、自分の席から教科書と筆記具を持ってくると、いきなり授業を開始した。

 公式や例題を示しながらのそれは、とても細かく丁寧で、もしかしたら先生の説明より、わかりやすいかもしれない──って、そんなの先生がカッコ良過ぎて、授業に集中出来ないだけだし、その点、コイツなら安心よねぇ。


 そんなことを思いつつ、何気なく様子をうかがえば、意外や意外、恵藤はなかなか整った、愛くるしい顔立ちをしていた。

 今までメガネの印象しかなかったけど、目元に影落とす黒髪なんて、サラサラツヤツヤのストレートで、茶髪でクセ毛のわたしには、まぶしいくらい美しい。

 不健康そうな顔色だし頬のラインもまだ幼いが、ひょっとしたら数年後、ものすごーく化けるかも──って、ないか、ないな。

 女のコだったら間違いなく、美人になりそうな感じするけど。


「……だ。わかるか?」

「うん。わかるわかる」

「じゃあ、次」


 まあなんにしろ、このニコリともしない無愛想さを、なんとかしなきゃダメよねぇ。


 余計なことに気を取られはしたものの、プリントは驚くべき早さではかどり、後は応用問題を残すばかりとなった。


「出来そうか?」

「なんとか」


 問題を見て答えると、彼は突然立ち上がり、再び自分の席へ向かった。

 そして、カバンを肩にかけ、そのまま教室を出ていってしまう。


 えっ、帰んの?

 挨拶あいさつもなく?


 しばらく廊下を見てたけど、戻ってくる気配はない。


 あんにゃろう、ホントに帰りやがった。

 普通、黙って帰ったりしないよねぇ?

 帰っていいか聞くか、「先帰るけど、あと頑張れ」くらい、いうもんでしょ?

 でなかったら、帰ったとみせかけて颯爽さっそうと舞い戻り、「バカだなぁ。オマエを置いて帰るわけないだろう。これ買い行ってただけだって。はい、お疲れ」とかいいながら、コーヒーでも差し出すトコなんじゃないのぉ。

 なーんて、マンガみたいな妄想したって、バイトも出来ない中坊の財力じゃ、それもムリな話よねぇ。

 やっぱ、先生みたいな大人じゃないと。


 むなしくなったわたしは、真面目にプリントへ向き合った。

 さっさと終わらせて、とっとと帰ろう。

 そうして、難問すべてを解き終えたわたしは、荷物をまとめて後片付けする。

 電気を消すと教室は、あっという間にたそがれて、心地よかった昼間の熱も、一気に冷めていくようだった。


        *


 先生の机にプリントを置き、一礼して職員室を出ると、廊下の東の突き当たりにあるドアから、恵藤が出てくるのが見えた。

 アイツ、人を見捨てて、図書室なんか行ってやがったのか。

 キッと睨み付けた瞬間、片手に何か紙束を持っていることに気付く。

 何やってたか知んないけど、なんか一言いってやるべきよね。

 でも、なんていえばいい?

 迷っていたら、向こうから「八尋」と声をかけられた。


「終わったのか?」


 てっきり無視されると思ってたわたしは、意外に思いつつ「うん」とうなずく。


「よかった。じゃあこれ、時間あるときにでも、やってみて。僕が使ってる問題集、コピーしたヤツだけど、いい問題ばっかだし、解答もあるから」


 いつになく積極的な彼に圧倒され、また頷くしか出来ないわたし。

 なんかヘンな感じだわ。

 でも、そっか。

 帰ったわけじゃなく、図書室でコピーとっててくれたのか。

 それならそうと、一言いってくれればいいのに。

 わたしが、先帰ってたらどうすんのよ。

 ホントにコイツ、頭いいくせに不器用だなぁ。

 そう思ったら、なんか無性に可笑おかしくなって、こみ上げてくる笑いを、口元を抑えみ殺す。


「どうした?」

「あー、ノドになんか違和感が……」


 適当に誤魔化すと、彼はカバンや制服をまさぐり、何かをこちらへ差し出してきた。

 赤いひねり包装の、小さなキャンディだ。


「こんなんしかないけど、よかったら」

「ありがとう」


 遠慮なく受け取り口に入れると、甘さとともに広がったのは、コーヒーの味だった。

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