2
水面を撫でるように光の筋が彼方を滑る。
くるり、くるりと一定の速さで回る光の行く末を想像しながら、私はぼんやりとしていた。
お茶でも淹れようか。でも、今は何か飲みたい気分ではない。
では読書でもするか。しかしここにある本はもう何回も読んで内容が頭に入っているし、飽きたな。
じゃあ、何をしようか。
何かしたいという気持ちだけが、さっきからこの光と同じようにくるり、くるりと回っている。でもここで出来ることはそう多くはない。
灯台の中、なんだと思う。ここは。
ただ、陸地を知らせるための灯台ではない。ここから見える範囲で陸地は確認できなかったから。
ベットに寝転がりながら、見るともなしにガラスの向こうにある海を見る。絶えず揺れ動く海面に光が反射しきらめいていて、まるで一つの大きな生物みたいだ。
代り映えしない大量の水の上に、いつの間にか、人間が立っている。海鳥や跳ねる魚すら見かけたことがないのに、水の上に立つ人間が見えるだなんて、私もとうとう幻でも見るようになったか。
人間がさっと腕を大きく動かすと、それに合わせて水しぶきが上がった。
右へ振れば、水しぶきも右へ。左に振れば、水しぶきも左へ上がる。まるで人間が海をまとっているかのような不思議な光景だった。
ふと、人間がこちらを向いた。私と目が合うと、それはニヤリと――。
「こんにちは?」
すぐ近くから声がした。私は驚き過ぎて挨拶を返せない。
目の前に女の子がいたのだ。制服を着ているので、大人びた中学生か、少し幼い高校生といったところか。
海に視線を飛ばすが、先ほどまで海をまとっていた人間はいなくなっている。
「こんにちは?」
彼女はにっこりと微笑んで、もう一度言う。今度は私も反応できた。
「あ、ああ。こんにちは。ええと……」
何からどう言葉にすればいいのだろう。
君は誰? ここがどこだか知ってる? さっき海の上に立ってなかった? いつの間に、どうやってここに入ってきたの? それから……。
「あなたはここで何をしていたの?」
迷っている内に、先に質問されてしまった。
「いや、別に、何って程のことは……」
「ふーん?」
ニコニコとしながら、彼女は部屋をぐるりと見回す。
「可愛らしい台所だね。料理はしないんだ?」
「え? ああまあ、湯を沸かしてお茶とかコーヒーとかを作るくらいしかしてないね」
「本棚いっぱいに本がある。あなた、読書家なのね」
「まあ、うん。普通に読書は好きだよ」
「机と椅子は……、あれは何をするための場所?」
「いや、別に何も。特に使ってないな」
「あら、それはいけないね」
彼女が、さっと腕を大きく動かす。さきほど海の上でやっていたような動きだ。
「……?」
海の上では、この動きで水しぶきを上げているように見えたが、ここは海の上ではない。何をするつもりかと不思議に思っていると、彼女が私に何かを差し出してきた。
「はい、これどうぞ」
差し出されたのは、原稿用紙とペンだった。
「あ、あのさ、君、さっきまで何も持ってなったよね? それ、どこから……」
「また来るから。たぶん。誰かしらが。この灯台を目指して」
だから、はい、これ。言って、彼女は手にしたそれを私に押し付けてくる。
仕方なく受け取るが、なぜ原稿用紙とペンなんだ?
顔を上げると、彼女はすでにいなくなっていた。
慌てて部屋を見渡し、ガラスの向こうの海の上もくまなく探したけれど、彼女はもうどこにもいない。
一瞬、今のは白昼夢だったのかもしれないと考えかけ、しかし手元にある原稿用紙とペンは消えていないのだから、現実なんだと思い直す。
ところで、この紙とペンで、私は一体なにをすればいいんだ?
疑問に答えるかのようなタイミングで、バサッと音がした。
見れば、本棚から一冊の本が抜けて床に落ちている。
それは子どものころによく読んだ、おとぎ話の本だった。
好奇心に負け、人魚を怒らせ、龍に道しるべするために灯台守になる女の子の話。
何度か読み直しているはずだったが、そういえばこの物語はどんな結末になるんだったか。本を拾い上げ、立ったままパラパラとページをめくる。
「……え?」
めくるページが途中から白紙になっている。知っている展開のところまではしっかり文字が印字されているのに、その続きには空白しかなかった。
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