最後に、めいの推理でこの話はいったん幕を降ろす。

「どう考えても、おかしいと思っていたんだ」帰りのバスのなかで、めいは僕にいった。「ボクは以前、無言電話の主が、森下月子なんじゃないかといったけど、彼女のことを知れば知るほど、無言電話なんてかけそうにないってことに気がついた」

「それは僕も思っていたけど……」

 僕は首をかしげた。

「じゃあ、いったい誰が?」


     *


 少し前から、森下あかねは決まって夜中に目が覚めるようになった。

 六歳の子供にしては珍しく、彼女は夜中にひとりでトイレに行くことを怖がらなかった。

 週末、仕事が休みの母親は、平日の仕事の疲れがたまって、ダイニングテーブルに突っ伏して寝ていることが多かった。

 その日も、深夜十二時ごろにあかねが起きてトイレに行ったあと、ダイニングキッチンを覗くと、母親はテーブルに突っ伏して、寝息を立てていた。

 母親の腕のそばには、スマートフォンが置かれていた。

 あかねは、たまに母親のスマートフォンに触らせてもらっていたから――自分用のは、中学生になったら買ってもらえる約束だった――たいていの操作は覚えてしまっていた。

 熟睡している母親を起こさないように、あかねはそっとスマートフォンの画面をタッチした。

 そして、パスコードを入力して画面を表示させた。

 画面には、円で囲まれた人の上半身のシルエットが描かれた絵と、名前と電話番号が表示されていた。

 英語で『あなた』という意味のアルファベット三文字の名前が記されているその画面は、あかねにとって見慣れたものだった。

 あかねは、母親がいつもこの電話番号を表示させて、でも、結局電話はかけずにいることを知っていた。

 今日も母親は、番号を表示させたまま、電話をかけることなく寝入ってしまったみたいだ。

 あかねはずっと、この電話番号に電話をかけてみたい誘惑に駆られていた。

 いったいどこにつながるんだろう。

 どうして母親は、電話をかけることをためらっているのだろう。

 すでに、あかねはおぼろげながら、そこに男女の間に関連する何かが存在していることを感じ取っていた。

 そのことが、ますますあかねの好奇心を誘った。

 変な人が出たら、切っちゃえばいいや。

 その日とうとうあかねは、その番号に電話をかけた。

 あかねは、おそるおそるスマートフォンを少し耳から離して持った。

 三回目のコールで、つながった。

「もしもし?」

 電話に出たのは男の人だった。

 あかねが黙っていると、男の人はもう一度「もしもし?」といった。

 知らない男の人の声だったけど、怖い感じはしなかった。

「もしもーし」

 今度は大きな声で、男の人はいった。

 その声は、スマートフォンのスピーカーを通して、部屋の中に響いた。

 あかねは少し驚いて、母親を見た。

 今の声で起きてしまうのではないかと思ったのだ。

 でも、母親は起きなかった。

 母親は、微笑んでいた。

 スマートフォンから聞こえてくる男の人の声を聴いて、眠っている母親は微笑んだ。

 それはとても柔らかな微笑みだった。

 その日から、週末の夜中に目が覚めるたび、あかねは寝ている母親のそばで、その番号に電話をかけた。

 母親はテーブルに突っ伏して寝ていることもあれば、ベッドで寝ているときもあった。いずれにしても、週末の夜中の母親は、滅多なことでは起きなかった。

 スマートフォンからあの男の人の声が聞こえてくると、必ず安心したようにあかねの母親は微笑んだ。

 でも、最近は、電話の男の人は言葉を返さなくなってしまった。

 だから、あかねは、あれこれと思案している。

 どうやったら男の人が、また声を出してくれるだろうかと。

 もしもーし、と母親に届くくらいの大きな声を。

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