5月8日 00:12

明日の身支度を整えれば、二人そろって一つのベッドにもぐりこむ。

どんなに忙しくても、寝る時間だけは合わせよう――僕らが東京に出てきてからずっと、もう5年くらいは続くルーティンだった。

壁を向いて寝付こうとする僕に、背中から手を回して抱きつく。ういが眠るときのお決まりのポーズだった。


「ね…今日はしないんだ?」

ベッドに入ってから10分以上経つが、初は眠った素振りを見せない。こういう時はきまって誘われるけど、今夜はそれがない。

「ん…なんか気分じゃない。」

「眠れないのに?」

「眠れなかったら彼女を襲う狼だと思われてたのかな?私は。」

「いや…でも実際そうだったから。」

そういうと、肩甲骨をぽかんと叩かれ、額を背骨のあたりに擦り付けてきた。

「バカ伊織いおり。」

「その呼び方、久々に聞いた。」

初がこうやって僕を呼ぶときは、決まって相談したいことや分かち合いたい出来事がある時だ。

「どうしたの?」

初に背中を向けたまま、静かに聞いてみる。


「伊織はさ…私のことを好きだって言った時のこと、覚えてる?」

布団に顔をうずめているのか、少しくぐもった声が返ってきた。

「うん。あの日のこと…たぶん一生忘れないと思う。」

「あの時さ…私はめちゃくちゃびっくりしたのね?ずっと一緒に住んでてさ、そういう気持ちに気付いてなくて、急に打ち明けられて…でもね、その時に思ったの。私がずっと伊織にいだいていたモヤモヤした気持ちは、『愛してる』の気持ちだったんだ、って。」

「うん。」

大きな感情を抱えながら、少しずつ自分の言葉を紡いでいる彼女の一音一音に、耳を傾ける。

「あの時の、なんだろう…腑に落ちたというか、心の中で溜まってたものの栓が抜けたというか…そういうすっきりした気持ちが本当にうれしくてね。伊織にすぐ『私も好きだよ』って返した。」

「そうだったね。」

「そこからさ、これまで付き合ってきたけど…今日伊織と話してて、『まだ心の中によどんだ思いがある』って感じちゃった。」

「ニュースの、パートナーシップの話?」

「うん。その時伊織が言ったこと聞いて、私『ぜんぶ解決した気持ちでいたけど、そんなことなかったんだ』って思い知らされちゃった。」

「飲んでハイになってるから、全部適当に流してると思ったよ。」

また肩甲骨のあたりを、先ほどより強くたたかれた。

「真面目な話なんだから…」

「ごめん。もう少し詳しく聞いていい?」

「社会のルールなんてどうでもいい。会社の同僚がどう思ってもいい。でも…パパとママはどう思うのかな…って。まだ打ち明けられてないけど、いつか打ち明けるとき、家族はどう思うのかなって、不安になった。」

心なしか、初の声が震えているように感じられた。

「これまでずっと大切に育ててきてさ、社会人になるときも『二人でなら自立できるだろう』って、都会に送り出してきてくれてさ…そんな娘たちが、『わたしたち、双子で付き合ってる』って、『姉妹じゃなくて恋人として生活してるんだ』って言ったら、どう思うだろ…?」

「…悲しませたくない?」

静かな僕の確認に、初が声もなく頷いたのが、背中越しにわかった。

「なんかさぁ…熱海のベッドで思ったの。伊織と付き合えてほんっとに幸せだな、双子の妹じゃなくて恋人として、ずっと一緒にいたいなぁ、って。心底思った。同時に、私を姉じゃなくて、恋人にしてくれた伊織には感謝しかないなって。でも…私と伊織はいいけど、私たちを私たちにしてくれたパパとママは…?こんなに歪んじゃった私たちを、許してくれるのかな……?」

そういうと、初は肩を震わせた。泣いていたのかもしれない。

僕は…歪んじゃった、という言葉に体がこわばったような感じがして、何も言えない気がした…気がしたけど。

「小学校のころ、ういが向かいの家の佑介ゆうすけにボールぶつけたの、覚えてる?」

自然と、口を開いていた。初も思い当たるのか、首肯する。

「佑介が、僕を笑ったんだった。『女のクセに自分のことを僕、って呼ぶのはおかしい』って。僕は何にも言い返せなかったけど、キレた初が『校長先生は男だけど、自分のことを私、って言うでしょ!』て言って、キャッチボールに使ってた硬式の野球ボールを佑介の顔面にぶつけたんだよね。」

今思い返しても痛快なので、ちょっと笑ってしまった。正論にして暴論たるういの返しもそうだが、佑介はボールを鼻っ柱に食らって、鼻血を出して泣いた。そんな佑介に初は「男のクセに泣くな!」って追い打ちかけたっけか。ド正論を剛速球でぶつけるのは今も昔も変わってない。

「それがどうしたの…?」

そんな強気な思い出話とは裏腹に、今の初は弱弱しく聞いてくる。

「話したかったのは、その後のこと。佑介の家にママが謝りに行ってさ。佑介も佑介のおばさんも、こちらこそすまないって謝ってくれてた。その日にパパとママが私たちに言ったこと、覚えてるかなって。」

初は首を横に振った。ボールを投げたことのインパクトが強くて覚えてないのかもしれない。でも、その時両親が話してくれたことに、今の自分は救われている。それを姉に伝えたかった。

「パパとママ、言ってたよ。確かに今日の出来事は、いろんな人から見て悪いことだった。悪いと思ったから、ママは佑介の家に謝りに行ってくれた。でも、パパとママ自身は、ういのやったことを悪いとは思わない。だってそれが」

懐かしい気持ちと、両親への気持ちでいっぱいになって、言葉が途切れた。

「それが…?」

「それが、ういの選んだ、一本のすじだから。」

はっと息をのんだ様子が、背中越しでも感じられた。

「その時は、筋ってなんだろって感じで、ぜんぜんわかんなかったんだよね。でも、大学の頃かな、進路の話をパパにしたときに、また『何を選んでもいい。筋が通ればそれで十分』って言われて。その時に、あぁ、あの言葉はそういう意味だったんだって、やっと理解できた。」

いつのまにか、ういの呼吸は穏やかになっていたようだった。静かに僕の言葉を聞いている。

「僕が初に告白した、初を彼女にしたのも、それが『一本の筋』だと思ったから。逆に、その時は初が愛おしすぎて、告白しか選択肢がないって思ったよ。もちろん、パパとママがどう思うか、それは真っ先に考えた。でも、自然と不安じゃなかった。だって」

「伊織の考えに、筋が通っていたから…?」

「自分ではそう思ったし、いまもそう思ってる。ういとは、双子の姉じゃなくって、恋人として過ごしたい。結婚だかパートナーだかわかんないけど、初を幸せにしたい。そこに僕の選んだ筋が通っていれば、パパとママはきっと認めてくれる。」

まくしたてたわけでもないのに、ひと通り述べると、僕はふぅっと大きく息を吐いた。再び静寂が満ちた部屋に、ふふふ、と笑う声が聞こえた。

「伊織ってさ…ほんとにそういう恥ずかしいことよく言えるよね…そんな伊織だから付き合おうと思ったんだけど。」

「そんな恥ずかしいこと言ってた?」

「双子の姉をつかまえて、愛おしすぎて告白しか頭になかったとか、よく言えるわー。」

「もう…双子の姉じゃないでしょ?」

「そっか、大好きな恋人だったね。」

僕の体に回されたういの腕、そこに一層力がこもったような気がした。

「ありがとね、伊織。勇気づけてくれて。やっぱ伊織がいないとだめかも、私。ここぞって時は全部伊織まかせだからね…やっぱプロポーズも伊織からだなぁ~」

初の不安は消えたようだった。夜の静寂にまぎれて静かに、しかし優しい言葉が耳を打つ。その心地よさに、僕も表情が緩む。

「だからさ、伊織はいつまでも伊織でいて。双子の姉だろうが、同居人だろうが、恋人だろうが、どんな関係であっても今の伊織のままで。そうじゃないと、筋が通らなくなっちゃう。」

「お互い様だよ。初も初のままで、明日も明後日も、その先もずっといて。そうじゃなきゃ告白した意味がなくなるし、いつかプロポーズすることもなくなっちゃうよ…?」

「あは、伊織のプロポーズを聞くまでは死ねないなー。死んでも毎晩夢枕に立ってやるー。」

「怖いよ…」

そう返すと、首筋に吐息が感じられ、一瞬ののち、暖かく柔らかい粘膜が押し当てられた。そうして、どちらからともなく、おやすみ、と声を掛ける。


何事もなく過ごしていく日々、小さなことが幸せと感じられる僕たちの世界。どんなことがあっても、この暖かい世界を守っていきたい。背中に感じる誰かの熱がそう決意させてくれる。今日も、明日も。


だから。

いつまでも貴女は、貴女のままでいて。

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貴女の瞳に映る私は あらた暁 @alata_a

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