貉考de muzina
金村亜久里/Charles Auson
▲
貉という妖怪化生の類がいる。器質による詳細な分類という博物学的観念のない古代中古のことであるから(貉ではないが、京都ではタヌキ汁と称してアナグマの肉が供されたことがあったという。タヌキの肉は臭くて食えないし、後に見るように京都にムジナはいないから、きっとアナグマだろうと)、妖怪化生といっても地域によって動物の一部として呼ばれることもあって、同じく人を化かす動物であるキツネやタヌキと比較して「貉は狐狸の慧なし」という。面白い例としては「タヌキに牝なし、ムジナに牡なし」という言葉がある。貉と狸が明らかに混同されているように見える例としては、『記聞』にひとつある。曰く、空寝入りすることを「貉睡」と記しているのだが、このムジナネイリの語は国語辞典を漁っても一例として出てくることのない。そして空寝入りするのは当然タヌキであるから、「貉寝入りをするから狸」だと妙なことになる。明らかな情報の混交がある。これもまた情報技術の高度に発展した現代との違いである。現代はむしろ情報の速度よりも島宇宙化による術語・ジャルゴンの差異の方が大きくなっているだろう。しかし実際のところ古代以来職能集団等の社会的集団ごとのジャルゴンによる分離は存在しており、このタヌキ・ムジナ・アナグマの曖昧さもそのようなところに由来するとは考えられないことでもない。またムジナの語でもっぱらタヌキを呼ぶ地域が、佐渡、長野北安曇郡などにはあり、後者ではいわゆる貉は万福と呼ばれていたという。だからこの手の呼称の地域差が、後世あるいは資料上の差異となった可能性も十分考えられるだろう。
説話では、今昔物語集霊鬼巻(巻第二十七 本朝霊鬼)の中には、狐が人を化かす話は三つも四つも出てくる。同じ巻に鬼が人に化けて現れる話(「播磨の国にて、鬼人の家に来て射らたる語 第二十三」)や、逆に人が鬼になってしまった話(「猟師の母、鬼と成りて子を噉らはむとせる語 第二十二」)もある。この鬼というのが非常に多種多様で、女房の幽霊であるらしい、中国の「鬼」と日本の怨霊がまざったようなのや、「オニ」と聞いて現代人が想像するような朱色の肌に琥珀色の目、緑青色の爪を持った三メートル近い巨躯の怪物、人間に全くそっくりに化けた「物」、果てには板に化けて人を「真平に」圧死せしめたものまでいる。しかし霊鬼巻には貉だけはまったく登場しない。貉は京都近辺には生息していないようだから、無理からぬことかもしれない。
ラフカディオ・ハーンも貉を扱った作品を一つものしている。そのものずばり『貉』で、東京赤坂の紀伊国坂にまつわる、urban legendとでもいうべき、ちょっとした伝説にまつわる小品である。しかしそれは二束三文の怪談話をわざわざ書きとめたようなものであって、しかもその内容は貉というよりものっぺらぼうについての話なのである。全体としてのそっけなさは近代西欧の物語的な部分を含みながら今昔物語集の語りにも近いところがあるが、端的に出来が悪い。今昔はちゃんと落ちをつけるのにこちらの『貉』はそれもない投げっぱなしで、如何ともしがたいほどまっとうなところがない。
のっぺらぼう、と、むじな。名前の意味がどちらもよくわからないからといってハーンが適当に分類してしまったのか、それとも「名前の意味がよくわからない」怪異として日本人の間でさえ「ゆで卵のような顔面の怪異」に「むじな」と名付けてしまったのか。どちらにせよ由々しきことであるに変わりはない。むじな/うじなの名は非常に由緒正しいものなのである。
「むじな/うじな」の現存する初出は日本書紀である。巻第六、垂仁天皇八十七年の記述には、「昔丹波国の桑田村に」と昔話の体で語られているのだが、甕襲という人物の愛犬足往が、ある山の獣「牟士那(むじな)」を食い殺したところ、食い破られた腹から出てきたのだろう、「獣の腹に八尺瓊の勾玉有り」。また巻第二十二、推古天皇三十五年には、「春二月に、陸奥国に貉(うじな)有りて、人に化りて歌うたふ」。
むじな、乃至語頭のmがとれてうじなと呼ばれるこの化生は、日本書紀が編まれたとされる遅くとも養老四年すなわち西暦七百二十年には、広く巷間に知れ渡っていたらしい。爛熟せるウマイヤ・アラブ帝国がまさしく最盛期を迎えた頃合いである。あるいはもっと早くから? 秋田県山本郡では「ムジナの歌には尻がない」といわれている。しかしながら、秋津洲には貉こそあれ、その貉が歌うようになったのは、推古天皇三十五年からということであるらしい。
その年、陸奥国にて貉が人になり、あるいは人にまじり、唄をやったそうである。しかしこれ以前に貉が唄を歌ったという記録はない。「神武東征」の昔から日本の山野に住んでいたはずの貉が、なぜ紀元千二百八十八年になって人里に下り唄をやるようになったのか……理由如何は誰にわかるはずもない。文人の中でもたとえば大正時代の作家である芥川龍之介は貉のほか狸の例も挙げて「化かすようになったのではない、化かすと信ぜられるようになったのである……果たしてどれほどの相違があるのであろう」と書いている。彼は掌編『貉』の中で次のような話を書いた。
陸奥の男の、互いに恋い慕う娘に逢おうといって、夜、浜近くの岩の陰で娘を待つのだが、或時淋しさを紛らわせようと高らかに唄を歌ったところ、母と眠る娘の家にまで声が届く。あれは何の声だと母が聞く。娘は曰く、人の声ではないだろう。母、では何のであるか。娘応えて、貉ではあるまいか。恋が与えた機転であった……
次の日母が蓆織の老婆に貉が歌うのを話し、老婆は蘆刈りの男に同じ話をした……爾来「貉が歌う」のを、村人一人残らず海で聞く、山で聞く、里の苫屋の屋根の上から貉の歌が飛んでくる。終いには嘘をついた娘の耳にさえ貉が歌う、あの男と同じ唄が聞こえる。娘は男がやってきたのだと思ったのだろう、表に出てみるも人も獣も影一つなく、そこにはただ点々と続く貉の足跡があるのみ。
それからというもの、秋津洲一面で貉が歌う狸が踊る。そう信ぜられただけと人は言う。しかしものがあるというのは、ものがあると信ぜられるから、あるいは端的にものが信ぜられるからではあるまいか。
芥川はイェイツ『ケルトの薄明』をひきながら、あるということはあると信じられていることと違いはない、我々も我々の「内部に生きるもの」、我々があると信じるところのものを信じて生きようではないか、と諭すように言う。近代に対立する江戸以前の文物怪異情緒への好意的なまなざしを見て取り是を云々論ずることは可能だろう。しかし今はそれらを一度傍に置かなければならない。
一つ話としてよくまとまった掌編だが、ただ、彼の造りには問題がないこともないのである。いや、造りというより、筋立てというべきか。娘が懸想する「男」の影は、話の後半からすっかり消えてしまっているのである。影も形もない。いったい彼はどこに消えたのか? ……文献学者の中には、足往が食い殺した「牟士那」がヤマト王権に敵対する首長であったという説もあるという。人に化け唄歌う貉が人間でないという証拠はどこにもないのである。それに……敢えて近代小説的な調子で言うとすれば……誰そ彼時の人も車も土気色に塗りつぶされた薄闇から丑三つ時の草木も眠る黒々とした夜闇に至るまで、人間のものならざる領域が現代よりはるかに広大だった古代中世において、動物が人と同様にものを言い歌を為すことが、一体どれほど奇怪なことであっただろう? また異種婚姻譚というものがある。アニミズム的な趣向のあるこうした説話が、異人に対する恐怖や混交の寓話以外の意味を持っているとすれば……いや、あまりに筆の先走り、余技であろう…………
ともあれ、その芥川の掌編から私自身貉というものに対する興味を抱くようになったのも事実で、それからというもの折に触れて私はこの奇怪な生物とも霊魂ともつかないなにものかについて細々と資料を集めるようになった。図書館の使い古された辞書からの抜粋、地方のさびれた博物館でひっそりと展示される貉の絵図、オープンな風情の大学キャンパスのエレベーターや事務所の前で並べられ手に取られるのをじっと待っている紀要、同名の怪異を扱った中で多少なりとも信頼できる随筆や小説。伝奇は当然避けなければならないが、すると黄表紙はどの程度までよしとできるか……その一々の内容によるとしか言えなかった。
古い辞典を繰っていると、ちょうど「貉」の項のページに、折りたたまれた紙が三枚挟まれていた。両面にびっしり、黒と濃紺のインクで、何やらある規則的な文字が書かれている。その文字は一見すると記号だが、その記号の数が限られており、また文字ごとに出現頻度が多少のばらつきをみせつつ異なっているように見える。文字一つ一つは何ら複雑さのない簡素な記号で、既存の文字体系との明確な類似性は見出しえそうにないが、ともかく何かしらの縁を感じて解読を試みた。暗号解読の細々とした事共は敢えてここで書くことはしない。しかし、ともかく、解読された文字列は、まさしく芥川『貉』の失われた半分とでもいうべきものだったのである。「さて」という一語で始まるその文章は、もしかすると前半部とでもいうべきものがあったのかもしれない。ただこれが、少なくとも、一つの解答を与えているのは事実である。
以下は解読された全文である。
*
さて、その娘の話である。娘は塩汲を、男は塩焼をする村人であった。全く小さな村である。人々は魚を捕って、塩を焼いて、蘆を刈って、蓆を編んで、諸々の雑事をこなして暮らしていた。時折托鉢行脚の乞食坊主が山を越えて来るような、潮風に浸されて麓に張り付き塩をまぶされた、陸奥の、ひっそり閑とした寒村である。事実そこで貉が初めて歌ったのである。
娘は貉が歌うという噂話が異様な広がりを見せるさまを訝しんだ。人を化かす貉のことであるから唄歌いするように見せることは、確かにあるかもしれない。娘には貉の機微などわからなかった。しかしそもそも夜更けに海岸で歌う貉というのは彼女自身が咄嗟についた嘘であって、なぜ同じものを他人が見聞きすることができるだろう?
もう一つ気がかりなことがあった。娘があのように嘘をついた次の日から、度々通っていた男が姿を消していた。朝になっても顔を見せない男を探しに家まで見に行っても、声がしない。中に入ると影も形もない。物をとられたわけでもなさそうである。とにかくあの男の身一つが消えてしまったのである。村や山道、海辺まで出向き彼を探したものの、ただ潮に濡れそぼった男の直垂が、いくつかの岩の一つの陰に、砂にまみれて、流れ着いているのみであった。皆男がいかなる用事か未明の内に浜か磯かに行き、大浪に呑まれて流されてしまったのだろうと噂しあった。
娘は、そのようなことがあるはずがない、と確信していた。逢瀬にと待ち合わせに決めていた場所は潮の音こそ届け満潮のときにも水飛沫が裾に降りかかることはなく、二人は絶えず響いてくる潮騒を背景に臥し語らいしたものだった。しかし男が自分を置いてどこか別のところに行くとも思えず、ではどこへ行ったのかということになると、やはり娘にもこれといった答えはない。
さりとてあまり消沈してもいられないのがこの娘で、父とは死に別れ、老いた母を養わねばならなかった。途絶した恋の切れ端を後生大事に抱えながらも、雑事に追われていると、憂鬱な気分も少しは晴れやかになるような気がして、しばらくは歌う貉の噂を小耳に挟みつつ右へ左へ塩汲を為して過ごしていた。
噂は飛ぶように広がって、寒村から遠く離れた町では往来で貉が人の形をとって唄を歌ったらしい、という伝聞さえもが聞こえてくるようになった。噂の一人歩きを横目に、娘は雪解けの始まった時節のある日、火口に用いる乾れ枝を求めて娘は一人山の裾野を歩いていた。すると繁みの彼方からひどく大きな獣の通り過ぎるときの枝をかき分け進み足許の枯葉や枯れ枝を踏む音が聞こえてきた。熊か? 娘は身構えた。獣は鬱蒼と続く繁みの、道の左側、かなり前の方から聞こえてくる。前を見据えたままじりじりと後ろに下がっていく。
突然前方の茂みが揺れて黒々とした獣が姿を現した。何であろう? 少なくとも熊や狼ではなかったので娘は緊張を解いて近付き、遠くから獣を観察した。やや細長い、丸々とした体の、狸に似た獣である。体躯の割に面長ふうで、短い脚でのそのそと近付いてくる。彼れこそ音に聞く貉ではないかと娘は考えた。娘は初めて貉を正面から見たのである。
すると、いかなる技であるのか、貉の人ならざる口から愛しいあの男の声であの時と同じ唄が聞こえてくるではないか。娘は小脇に抱えていた枝を取り落として腕を中空に迷わせ、口を覆い、目には涙を溜めて、艶のある黒々とした獣の瞳を見つめながら、そろそろと近寄って行った。
娘が貉の目前にまで迫ったとき、唄がやみ、音もなく貉が後ろの二本の脚で立ち上がった。ありうべからざる、五尺あまりの、まっすぐ伸びた身の丈の頂にある目で見つめられ、娘はただ引き寄せられ、ものも言わずして只立ちつくし、魂消え、その十指は貉の滑らかな毛でおおわれた頬にふれた。
その日を境に娘も村から姿を消した。歌う貉の語は街道に沿って広まり、遠く大土根の戦う大宰府にまで及んだということである。
貉考de muzina 金村亜久里/Charles Auson @charlie_tm
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます