箪笥以外のキャラはまだ出てこないのですか?

「おい、お前」


「ようやく御決心がおつきになりましたか」

「そうじゃない。よく考えてみろ、物事には順番というものがあるだろう」

「といいますと」

「突然他人の家に現れて、開口一番『書くことをやめろ』とはいくらなんでも横柄だとは思わんのか。こちらだって色々と事情がある。そう簡単に筆を手放す訳にはいかない」

「なるほど」

「第一、こちらはお前の素性すじょうすら知らないのだ。箪笥だかなんだか知らないが、初対面の相手には自己紹介くらいするのが礼儀というものだ」

「ああ、これはとんだ失礼を。手前としたことが、調度ちょうどして参りましたことをすっかり忘れておりました」

「分かればよろしい。早速始めたまえ」

合点承知之助がてんしょうちのすけ


 そう言うと桐箪笥はしんと押し黙った。最初は自己紹介をするので改まっているのかと思って眺めていたが、一向にむっつりしたきりなので奇妙なことである。


「おい、どうした」

「……」

「返事をしないか」

「――あ、申し訳ありません。少し、立て込んで、おりまして」

「立て込むも何も、お前は突っ立っているだけだろう」

「ええ、そうなのでございますが。この、姿に、未だ、慣れぬもので……よっ……これを、こうか。ほっ、えいっ」


 まるでサイズが合わなくなったジーンズを無理矢理穿こうとするかのような掛け声と共に、桐箪笥が何やらゴトゴトと揺れ始めた。ついに中から化物でも飛び出してくるかと身構えていると、代わりに桐箪笥の抽斗がぱこん、と飛び出してきた。


 ちょうど目の前に着地した抽斗の中には、一枚の紙切れが入っていた。


「なんだこれは」

「人間社会でいうところの名刺のようなものでございます。さ、お受け取り下さい」


 促すように、抽斗がコトリと動く。


「ささ、どうぞ」


 しゃべる桐箪笥。コトリ。動く抽斗。いぶかしむ私。


 嗚呼ああ、なんたる不可思議。一体どんな種が仕込んであるのだか、と思ったときにはもう遅い。運動神経に直結した私の好奇心は私の両手を動かしめ、その抽斗を鷲掴わしづかみせしめていた。


 あああああ、という絶叫と共に、抽斗は活きの良い鮮魚が如く私の手から逃れようと暴れ始めた。生憎、先日聞いたばかりの叫び声にひるむほど肝は小さくない。


「せ、先生! 何をしようというのです! そこは、そこばかりはご勘弁を!」


 相手が暴れるならば、こちらも力を緩める気には到底なれない。私は抽斗を掴む掌の力を一層強めて、抽斗を振ってみたり、逆さまにしたり、徒手としゅでなし得ることの全てを試みようとした。その度に、抽斗は暴れる。しまいには手に負えなくなって、足で押さえつける。抽斗はまた暴れる。更に踏みつける。


 しかし、とどのつまりは暴れ回る他になんの変哲もない、である。結論を得た私が足の力を緩めてやると、抽斗は一目散に元のさやへと飛び込んでいった。


「は……先生も……なかなか、食えないお人ですな」

「人が食えると思ったか。箪笥の分際で」


 人間対抽斗という珍妙な異種格闘技戦を終えて、本体である桐箪笥の方もまたすっかり参った様子だった。息を切らしているのかなんなのか、ゴトゴトと音を立てて上下にうごめいいている。


 再び座椅子に腰掛け直したところで、いつの間にか床に落ちていた件の紙切れが目についた。


 拾い上げてみると、そこには達筆な筆文字で「五行十二天将ごぎょうじゅうにてんしょう前三 桐林六合きりばやしりくごう」とある。


「これがお前の名前なのか」

「は、はあ。桐林六合と申します。僭越せんえつながら五行十二天将の末席を務めさせて戴いておりまして、今回は貴人きじん様直々の勅令ちょくれいにより馳せ参じた次第で――」

「まあ待て。テクニカルタームが多すぎる」

「は? てくにかる……」

「専門用語という意味だ。よもや下らんSF小説の冒頭よろしく私を煙に巻くつもりではあるまいな」

「そ、そんな、滅相もございません」

「ほら見たことか、煙などと言うから吸いたくなった。一服させろ」

「……はあ」


 すっかり萎縮いしゅくしてしまった様子の桐箪笥に多少の憐情を抱きつつも、私は構わず懐からセブンスターと愛用しているジッポーのライターを取り出した。


「あの……御煙草をお吸いになるので?」

「なんだ、何か文句でもあるのか。ここは私の家だぞ」

「いえ、その。確か、日本国の法規においては酒と煙草は二十歳からと伺っておりました故」

「ふん、そんな法律など数十年前に変わっている。たことを抜かすな。桐の癖に」


 私の高尚こうしょう洒落しゃれについていけなかったらしく、桐箪笥は肩を縮こまらせたまま、再び口をつぐんでしまった。セッタをくわえ、煙を吹かす。コクのある苦味が舌をしびれさせ、少し古臭いような薫りが鼻腔びくうに広がる。


 借住まいの宙空に漂う紫煙しえんをゆっくりと目で追いながら、私は冷静になった頭で再び状況を整理した。

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