第四話


「ご苦労だったな、千世ちよ


 着替えを済ませた生太郎しょうたろうは、むぅ太郎を頭に乗せたまま、根来ねごろ家の客間へ足を運んだ。

 中には、布団に横たわる八千世やちよの肉体と、可愛えのに取り憑いた魂がいる。


「太郎ちゃんこそお疲れ様。手伝ってくれてありがとう。むぅ太郎君もありがとうね」


 むぅ太郎は、どういたしまして、とばかりに鳴き声を上げた。


 八千世の隣へ、生太郎は腰を下ろす。眠っている八千世の顔を覗き込んだ。


「……改めて見ても凄いな。どうやったらここまで傷痕が薄くなるんだ?」

いちさんが作ってくれたお薬を塗ったの。なんでも、一族に伝わる秘薬なんですって。凄いわよね」


 生太郎は、曖昧に相槌を打った。


「そう言えば、いつ頃病院へ戻るんだ?」

「夜が明ける少し前だって。倉間くらまさんが送って下さるみたい」

「そうか」

 

 生太郎は、徐に振り返った。客間から見えた空には、満月が浮かんでいる。


「まだ時間があるな」

「うん。だから、それまでお話してましょう?」

「それは構わないが……可愛さんは、いいと言っているのか?」

「勿論。ちゃんと許可は取ったよ。倉間さんが迎えにくるまでは、体を貸して下さるって」


 八千世は立ち上がり、客室を出る。月明かりの差し込む縁側へ、腰を下ろした。


「ほら、太郎ちゃんもいらっしゃいよ」


 手招きされ、生太郎も八千世の隣へ座った。空に浮かぶ満月を見上げる。


「綺麗な丸ねぇ。むぅ太郎君みたい」

「むぅー?」


 そうかな、とばかりに真ん丸な体を傾けるむぅ太郎。

 八千世は穏やかに目を細め、生太郎へ視線を移す。


「今日は、本当に楽しかったわ。それに嬉しかった。お父さん達に花嫁姿を見せてあげられて。少しは親孝行出来たかな?」

「……出来ただろう。あんなに喜んでくれていたのだからな」

「そうね。特に千登世ちとせちゃんは凄かったわ。年頃なのに、あんな顔であんなに泣いちゃって。倉間さん、驚いてなかったかな? 大丈夫だった?」

「……まぁ、そう簡単に動じるようなお方ではないからな。恐らく問題はないだろう」

「そう。よかった。これで千登世ちゃんに幻滅したなんて言われたら、私死んでも死に切れないわ」


 ふふ、と、八千世だけが、笑う。


「でも、倉間さんって凄いのね。人望があるというか人脈があるというか。今日だってあっという間に場所を押さえて、必要な道具を全部揃えて、私の体を病院から連れ出して、お父さん達を呼んできて、しかもお手伝いの方を沢山集めただけじゃなく、急なお願いなのに皆さん快く引き受けて下さったのよ? そう簡単に出来る事じゃないわ。それとも、あれ位出来ないと、巡査は務まらないのかな?」

「……多少の人脈は、必要なのではないだろうか」

「じゃあ、太郎ちゃんはもっと頑張らないといけないね。取り敢えず、笑顔になる所から始めたらどう? もしくは、唐変木にならないよう、もう少し気を付けるとか」


 何をどう気を付けろというんだ。

 むっつり口を閉ざすと、八千世は喉を鳴らして微笑む。



 そして、つと、静寂が訪れた。



 じっと、月を見上げる。



「……ねぇ、太郎ちゃん」


 空を眺めたまま、八千世は口を開く。


「倉間さん達って、どうなのかな?」

「……どう、とは?」

「こう、言葉が悪くなっちゃうんだけど、つまり……人間なのかなぁ、って」


 潜めた声は、思いの外辺りによく響いた。


「……さぁ。どうなんだろうな」


 生太郎は、一つ瞬きをする。


「お前はどう思うんだ?」

「私は……違うのかなって、思う。ほら、私今、魂だけで過ごしてるでしょ? だからなのか、普通の人とそうじゃない人が、何となく分かるの。何となく、むぅ太郎君に似てるなぁって、思って、それで、倉間さん達にも、そう思っちゃって、少し気になっちゃったの」


 と、八千世はぱっと顔を上げた。


「あ、でも別に、だからどうっていうわけじゃないのよ? 人間だろうと妖怪だろうと、皆さん凄くいい方だし、こうして私の願いを叶えてくれて、本当に感謝してるわ」

「……あぁ、分かっている」


 生太郎は、慌てる八千世を見やり、頷いた。八千世も大きく頷く。


「……まぁ、どちらでもいいのではないか。例え倉間さんが本当に天狗だったとしても、だから何かが変わるわけでもなし。精々、大貫おおぬきが大々的に記事を書く位だろう」

「ふふ、そうね。千登世ちゃんも、きっと変わらず好きでいるでしょうね」


 そう言うと、生太郎の顔が微妙に歪んだ。

 八千世は、緩む口元を手で押さえる。


「やだ、太郎ちゃんったら。今からそんな顔をしてどうするの。止めてよ? 千登世ちゃんの結婚式で、お父さんよりも号泣するとか」

「……いや。流石にそれはないだろう」


 ない、よな? と若干自信がなくなる。

 小刻みに揺れる足に、八千世はまた笑った。


 それから、静かに目を伏せる。


「千登世ちゃんの花嫁姿は、きっと綺麗なんだろうねぇ」


 口角だけを、僅かに持ち上げた。



「――天国からでも、見れるといいなぁ」



 生太郎は、はっと息を飲んだ。咄嗟に口を開くも、言葉は何も出てこない。



 また静寂が訪れた。どこからともなく、虫の鳴き声が聞こえてくる。



 八千世は、月を見上げ続ける。


 反対に、生太郎の頭は、ゆっくりと下がっていった。



「……すまない」



 八千世は、「え?」と生太郎を振り返った。



「あの時、お前を一人にして、すまなかった」



 地面を見つめ、歯を噛み締める。


 夜風が、二人の間を通り抜けた。


「……太郎ちゃんのせいじゃないわ。一人で大丈夫だって言い張ったのは私よ」

「それでも、家まで送るべきだった。夜の一人歩きなど、若い娘にやらせるべきではなかったんだ。少し考えれば誰にだって分かる。これから巡査になろうという男なら、尚更だ」

「あの時の太郎ちゃんは、まだ巡査じゃなかったでしょ? 巡査教習所の採用試験に受かったばかりの、まだ何の訓練も受けてない、ただの男の子だった」

「採用条件には、刑法、治罪法、警察法規の大意に通じる者、という項目がある。つまり私は、あの時点でどういった犯罪があるのか、既に理解していたんだ。理解していたからこそ、採用になった。採用になったから、お前は私を買い物へ連れ出した。お祝いにと手拭いを贈ってくれた……私が、巡査を志したばかりに」


「それは違うわ」


 八千世は、生太郎の左腕の裾を、強く握り締める。


「太郎ちゃんは何も悪くない。悪いのは、私を襲った犯人よ。そうでしょ? 千登世ちゃんが襲われた時、太郎ちゃん、そう言ってたじゃない」


 生太郎は、俯いたまま、動かない。


「……運が悪かったのよ。ただ運が悪かっただけなの。太郎ちゃんが悪いわけじゃない。太郎ちゃんは立派よ。巡査として、皆の平和を守ってるんだもの。凄く格好いいわ。流石は私の幼馴染ね」

「……そんな事はない……そんな事は……」


 頭上のむぅ太郎が、どんどん傾いていく。心配そうな鳴き声に、反応する者はいない。


 項垂れる生太郎に、八千世は眉を下げた。


「……どうしても、自分を責めたいの?」


 丸まった背中へ、そっと手を添える。


「当の私が、こんなに言ってるのに?」


 答えはない。

 代わりに、微かな震えが、八千世の掌に広がった。



 沈黙の中、虫の声だけが、響き渡る。



「……ねぇ、太郎ちゃん。私、思うんだけどね」


 八千世は、ぽつりと呟く。




「太郎ちゃんは、明るい人と結婚したらいいんじゃないかな」




 生太郎の震えが、止まった。

 ゆっくりと、むぅ太郎が持ち上がってくる。


「……何だ、いきなり」

「なんか今、ふっと思い付いたの。太郎ちゃんには、明るくて、懐が深くて、いつでも笑顔が素敵な、蒲公英たんぽぽみたいな人が似合うだろうなって」

「いや。だから、何がどうしてそうなった」

「いや。だから、思い付いたの。今、ふっとね」


 いや、ふっとなどと言われても、と生太郎の眉間に皺が寄る。

 だが、そんな困惑も無視して、八千世は生太郎の背を気軽に叩いた。


「ほら。太郎ちゃんって、ちょっと融通が利かないというか、とっても真面目じゃない? だから適当な事が出来なくて、他の人より沢山損をしたり、疲れたりしてるなぁって昔から思ってたの。今も、何でこんなに唐変木なんだろうって、時々思ってる」


 頷きに合わせ、生太郎の背に当てた手を動かす。


「でね。そんな太郎ちゃんには、蒲公英みたいに素朴で、可愛らしい人が絶対に合うと思うの。素敵な笑顔で癒して貰って、明るさで心を軽くして貰って、そうして深い懐でがっちり受け止めて貰うのよ。そうしたら、太郎ちゃんはきっと幸せな一生を過ごせるわ」


 穏やかに語りながら、八千世は微笑む。



「だから私、可愛さんなんかいいと思う」



「…………は?」

「可愛さんなら、きっと太郎ちゃんと上手くやってくれるわ」


 生太郎は、ぽかんと口を開けた。まじまじと八千世を見つめる。


「……何を言っているんだ、お前は」

「え。何でそんな顔するの?」

「お前が変な事を言うからだろう」

「私、変な事なんて言ってないわ」

「いいや、言った」

「言ってない」

「言った」

「言ってませんー」

「言ったと言っているだろうが」

「言ってないって言ってるでしょ? 私は、絶対変な事は言ってない」

「その自信は一体どこから出てくるんだ」



「だって太郎ちゃん、可愛さんの事好きじゃない」



 ぴたりと、生太郎の口が止まった。

 瞬きもせず、一点を凝視する。

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