第三話
「失礼しまーす」
部屋を訪れた
「あぁ、天生と太一君か。どうしたの? もう準備は出来たのかな?」
「はい、その通りです小父貴」
「僕達は、皆さんを呼んでくるよう頼まれたんです」
「そう。分かった。ありがとうね」
倉間は微笑むと、手を叩いた。
「じゃあ、花婿の作法はこれ位にしておこうか。後は実践あるのみだよ
「まぁ、実践っつっても、今日は大した事ぁしねぇだろうけどな。取り敢えず、澄ました顔でどっしり座ってりゃどうにかなるからよ。適当に頑張りな」
「……はい……ありがとうございました……」
生太郎は辟易とした様子で頭を下げ、立ち上がる。
「……君も、色々と教えてくれて感謝する」
根来家の使用人を、振り返った。
「他の仕事もあっただろうに、呼び付けてすまないな」
「いえ、とんでもございません。吉瀬様のお力になれ、大変光栄でございます。これで日頃の恩も、少しは返せたというものです」
……日頃の? 生太郎は、今日初めて会った筈の使用人を、見下ろした。
「あぁ、お気になさらず。こちらの話でございます」
そう言って、ミケと呼ばれる使用人は頭を下げ、部屋の外へ手を差し向ける。
「それでは皆様、移動しましょう。格技場までご案内致します」
ミケの先導で、生太郎達は部屋を出た。廊下を進み、格技場の前へとやってくる。中へ声を掛けたミケは、静かに戸を開いた。
そこには、厳かな空気が広がっていた。
月明かりと行燈の灯りが入り混じる中、
真っ正面にある屏風の周りには、縁起がいいとされる掛け軸や置物が飾られていた。屏風の前に敷かれた
赤の上には、白無垢を纏った花嫁の姿があった。
座椅子の背に凭れ、更に後ろから、
「……
生太郎は、格技場へ足を踏み入れた。ゆっくりと近付き、花嫁の前で膝を付く。
綿帽子から覗く顔に、痛々しく縦断する傷痕は、見当たらない。
「どう、かな。太郎ちゃん?」
肉体の後ろから、
そんな八千世を、生太郎は見上げた。
心に浮かんだ言葉を、そのまま吐き出す。
「……綺麗だぞ」
「……本当?」
「あぁ。綺麗だ。とても」
もう一度、白無垢姿の八千世を見やる。確認するように、大きく頷いた。
「……よかった」
吐き出された息と共に、八千世の顔へ、ようやく笑みが浮かび上がる。
「ありがとう、太郎ちゃん。太郎ちゃんも格好いいよ」
「……あぁ。ありがとう」
ふと口角を緩め、生太郎は立ち上がった。事前に教わった通り、八千世の隣へ腰を下ろす。倉間達も、新郎側の座布団へそれぞれ座った。
「失礼致します。
格技場の戸から、人力車夫が姿を現す。壱朗太と呼ばれた男は頭を下げ、倉間を見やる。
「天狗の旦那。ご依頼通り、お客様をこちらへお連れしやしたよ」
「ありがとう、壱朗太さん。急に仕事を頼んでごめんね」
「いやいや、とんでもございやせん。天狗の旦那の頼みなら、いつでもすっ飛んできやすよ。なんせ俺は、体力と足の速さだけが取り柄ですんでね」
「後、体当たりもでしょ? 壱朗太さん」
太一が身を乗り出して笑う。
「そうよ。なんたって壱朗太の体当たりは、大の男も吹き飛ばすからね」
太一と市にからかわれ、壱朗太は照れ臭そうに頭をかいた。
「新郎新婦も揃った事だし、そろそろ始めてもいいかな?」
倉間が皆を見渡し、最後に八千世を見やる。
八千世は、黙って頷いた。
「じゃあ、もう少しだけ待ってて。始まったら、八千世さん以外は決して喋らない事。僕がいいと言うまでは、何もしないで座っていて欲しい。いいね?」
それぞれが了承した事を確認し、倉間はミケへ目配せする。ミケは頭を下げてから、格技場を出ていった。
静寂が訪れる。誰一人動かない。ただ黙って、ミケが消えていった戸を眺めた。
生太郎の視界の端で、八千世の手が小刻みに震えている。
「……緊張しているのか?」
ぽつりと、呟く。
八千世の頭が、無言で上下に揺れた。
「……大丈夫だ。何も心配はない」
前を向いたまま、八千世の手へ、己の掌を重ねる。
「お前はただ、お前の好きなようにすればいいだけだ」
一度軽く叩いてから離した。拳を握り、膝の上へ置く。
八千世は、何も言わなかった。
しかし、視界の端に見える手は、もう震えてはいなかった。
しばらくすると、いくつかの足音が聞こえてくる。誰もが口を閉ざす中、格技場の戸が、開かれた。
「……ぷぅ」
まず現れたのは、ずんぐりと大きな虎猫の背に乗るぷぅ助だ。相変わらずふてぶてしい態度で、むぅ太郎よりも二回り程大きな体を揺らしている。
その後ろから、猫に囲まれやってきた、三人の人間。
彼らは寝巻のまま、覚束ない足取りで歩いている。目も虚ろで、寝ぼけた顔をしていた。肩には一匹ずつ猫が乗っており、まるで先導するかのように、長い尻尾をくねらせる。
虎猫を先頭に、千登世達はゆっくりと近付いてきた。部屋の中程で止まると、周りを囲んでいた猫が、音もなく離れていく。
虎猫もぷぅ助を乗せたまま花嫁の隣へ移動し、身を伏せた。
それから、一つ、尻尾を揺らす。
「……ん……あれ……?」
途端、千登世の顔付きが変わった。両親もぼんやりしていた目を瞬かせ、不思議そうに辺りを見回す。
「……え、
千登世は正装の生太郎に小首を傾げ、それから花嫁を見やり、目を見開く。
「えっ? や、
家族の視線が集中し、八千世は唾を飲み込んだ。
「……そうよ。私、八千世よ」
自分の体を支えながら、真っ直ぐ家族を見つめ返した。
「……っ、や、八千姉ぇぇぇっ!」
千登世は、弾かれるように駆け出した。虎吉と喜久乃も、堪らず八千世の元へ急ぐ。
「八千姉っ、やぢねぇ……っ。げ、元気になったのね……っ」
「あぁ、八千世……っ。あんたの声、もっとお母さんに聞かせてちょうだいっ。お願いっ」
「顔の傷が、なくなって……よかったなぁ八千世。よかったなぁ……っ」
八千世の膝に千登世が縋り付き、頬を喜久乃が包み込み、肩を虎吉が抱いた。
涙を流して八千世の肉体を囲む三人を、可愛の目を通して、八千世の魂は見つめている。
「……ねぇ、お父さん」
八千世は、震える唇をどうにか開く。
「私の花嫁姿、どうかな?」
「あぁ、凄く綺麗だ。こんな綺麗な花嫁は、見た事がねぇよ。本当……っ、綺麗で……っ。夢見てぇだ……っ!」
「お母さんは、どう思う? 変じゃないかな?」
「変なわけないじゃないっ。とっても素敵よ。生ちゃんともとってもお似合いで……私の思った通りだわ」
泣き笑いの表情で、母は何度も八千世の頬を撫でた。
「やぢねぇ、よ、よがったねぇ……っ。夢、がなっで……っ、ほんどう、よがっだぁ……っ!」
千登世は言葉に表し切れない喜びを、止めどなく目から垂れ流した。赤子のように声を上げ、鼻を啜っては八千世にしがみ付く。
八千世も、泣いていた。
可愛の目から涙を滴らせては、家族の腕や肩を何度も擦っていく。
抱き合う彼らを、生太郎達は静かに見守った。
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