第十一話


 その夜。生太郎しょうたろういわいは、サーベルと官棒を腰に差したまま、派出所で待機していた。

 奥の宿直室からは、二人の男の声が微かに聞こえてくる。



「……上手くいくでしょうか」



 ぽつりと生太郎が囁けば、祝が垂れ気味の目を更に垂れさせる。


「いかねぇわけねぇじゃねぇか。なぁ、むぅ太郎?」


 生太郎の頭に乗るむぅ太郎は、真ん丸な体を得意げに「むぅー」と踏ん反り返った。


「こっちにゃあケサランパサランがいるんだ。取り逃がすなんてありえねぇよ」


 それに、と祝は小さく笑う。


「銀座の鬼天狗がやるって言ってんだぞ? 失敗なんかすると思うかぁ?」

「むーぅー」

「だよなぁ。ほら、むぅ太郎も思わないってよ。だからそう心配すんなって」


 生太郎の肩を叩き、口角を片方持ち上げる。むぅ太郎も、大丈夫大丈夫、とばかりに、生太郎の頭上で「むぅー」と飛び跳ねている。



 すると、唐突に宿直室の戸が開け放たれた。



 生太郎と祝は素早く立ち上がり、振り返る。


「お、天狗さん。お疲れさんっす」


 宿直室から出てきた倉間くらまに、祝は頭を下げる。


「首尾はどうすか?」

「上々だよ」


 ふふ、と不敵な笑みを浮かべ、倉間は宿直室の戸を後ろ手に掴んだ。


 倉間越しに、床に倒れる大貫おおぬきの姿が見えた。大分絞られたのか、白目を向いたままぴくりとも動かない。



「じゃあ、早速行こうか」



 宿直室の戸を閉め、倉間は颯爽と歩き出す。生太郎と祝もそれに続いた。


 迷いのない足取りで、倉間は銀座煉瓦街を進んでいく。誰も何も言わない。これから始まる捕り物を前に、集中と緊張を高めていった。


 しばし月明かりの下を行くと、生太郎達は、立ち止まった。目の前の店を見上げる。戸の隙間から、淡い灯りが薄っすらと漏れていた。


「祝君は裏に回って。吉瀬きせ君は僕と共に正面から。何人たりとも逃がなさいように」


 その指示に、生太郎と祝は無言でサーベルを抜き、それぞれの位置へと付く。



 一つ、二つと間を置いて。



 倉間は、勢い良く戸を蹴破った。



「警察だっ!」


 倉間と生太郎が踏み込むと、中にいた者達は一斉に振り返った。目を見開き、行燈の下に置かれた手紙を素早く集める。


「動くなっ!」


 倉間がサーベルを突き付ければ、行燈の火に手紙を投げ込もうとした手は、止まった。他の者も、中途半端な体勢で、固まる。



 そんな中、真ん中にいた男が、ゆっくりと口を開いた。



「これはこれは、巡査の旦那ではありませんか。こんばんは。こんな夜中に、一体何のご用でしょうか?」


 行燈の灯りが、男の笑みを照らし出す。



 牛鍋屋の店主だった。



「何のご用かは、君達が一番分かってるんじゃないかな?」


 倉間は、行燈の周りにいる牛鍋屋の女将、その娘、従業員達を見回していく。


「そう言われましても、特に思い当たる事はございませんね」

「じゃあ、何でその手紙を燃やそうとしたのかな?」

「それは旦那の見間違いでしょう。こちらは、予約のお客様より事前に頂いてた要望書でございます。内容を確認しつつ、当日の動きを従業員達と打ち合わせしている最中でして」

「その要望書、僕にも見せて貰える?」

「申し訳ございません。当店の信用問題に関わりますので、例え巡査の旦那でもお見せする事は出来ません」

「従業員以外は駄目だと?」

「その通りでございます。何とぞご容赦の程を」


 倉間は「ふぅん」と鼻を鳴らすと、前を向いたまま生太郎へ声を掛ける。


「ねぇ吉瀬君。ここには、本当に従業員以外いないのかな?」

「……いいえ」


 生太郎は、従業員の影で身を縮める男達へ目を向けた。


「右の、後ろの方にいる二人は、大貫を相席に誘った客です。大貫とは親しげに名前を呼び合っていました」


 男達は一瞬目配せをするも、表情を変えない。

 店主も笑顔のまま。


「こちらのお二人とは、今打ち合わせをしている所なんですよ。今度お友達が結婚するそうで、そのお祝いを是非当店でやりたいとおっしゃって下さいましてね。何人位いらっしゃるのか、料理はどうするか、色々とご相談させて頂いていたんです」

「へぇ、凄いね。この状況で、まだ言い訳するんだ」

「言い訳も何も、事実でございますから」

「面の皮が厚いっていう言葉があるけど、君程の厚さの人間は中々いないよ」

「いえいえ。私など、旦那に比べればまだまだでございますよ」


 にっこりと、互いから目を逸らさない。


 緊張と息苦しい空気が、この場に流れる。


「さて、どうしようか。僕としては、さっさと神妙にして欲しいんだけど。でも君達は往生際が悪そうだし、きちんと説明してあげた方が、自分達の立場っていうものを正しく理解して貰えるかな?」


 倉間はそう言うと、唇と目元に弧を描いた。




「まぁ、結論から言うと、五人の悪党を殺したのは、君達だね」




 静寂が、つと大きくなる。


「元々銀座には、そういう裏の商売の為にきたのかな。普段は牛鍋屋として営業しつつ、依頼が舞い込んだらそちらの仕事をこなす。この店の牛鍋が妙に安いのは、本業が別にあるから、というのもあるんだろうけど、、というのが大きいんじゃないかな。その方が沢山の情報を手に入れる事が出来るし、反対に都合のいい情報を流す事も出来る」


 口角が、一層持ち上がる。



「例えば、生霊いきりょうの話とかね」



 くすり、と場違いな笑い声が、零れ落ちる。


「最初からそうだったのか、それとも大貫君に便乗しただけなのかは定かではないけど、兎に角君達は、生霊が銀座に現れるという話を広めたかった。でも、別に本気で生霊が存在すると思われなくていい。生霊を言い訳に使う犯罪者を増やす事が目的だった。そうすれば、自分達の仕事も、それに紛れて行えば気付かれにくい。つまり君達は、んだね」


 サーベルの切っ先を、店主へと向けた。


「君達は、大貫君を利用して、生霊というものを広めていった。牛鍋屋で大貫君から話を引き出し、それを周りへ聞かせていった。時には世間話として、『新聞記者がこう言っていた』なんて言いながら、また聞かせていった。大貫君は、自分が君達を利用してやってると思ってたみたいだけど、本当は逆だったんだよね」


 笑みを薄めていく店主に、倉間は微笑み掛ける。


「娘さんの誘拐未遂も、計算の内だったのかな。牛鍋屋は儲かってるから、きっと身代金をたっぷり手に入れられるだろうとか、娘は恋仲の従業員と度々散歩へ出向いているとか、もし攫うのなら、君達が襲われたあの場所がいいだろうとか、自ら噂を流して、誘拐されるよう仕向けた。そうして被害者となる事で、捜査の目を掻い潜ろうとしたんだよね?」

「……したんだよね、と言われましても」


 苦笑を浮かべ、店主は目を伏せる。


「そのようなお話、心当たりはございませんとしか言いようがありませんよ」


 なぁ? と周りを見やる。女将達も、困ったように頷いたり、首を捻ったりしている。


「失礼ですが、旦那のおっしゃっている事は、殆ど想像なのではないでしょうか? 私共がそのような事をしたという証拠は、あるのですか?」

「んー……まぁ、証拠はないね。殆ど僕の想像というのも、間違ってはいないかな」


 途端、店主達の空気が緩む。



「――でもね」



 倉間の口元も、緩んだ。




「君達の依頼人は、吐いたよ」




 この場の空気が、また研ぎ澄まされた。


 沈黙が落ちる。



 店主達の顔は、凍り付いていた。



「傲慢な会社社長にこき使われてた副社長。女中をいびり倒す大女将の息子の嫁。詐欺紛いの商売をしてた薬屋のせいで子供を亡くした父親。金食い虫の放蕩息子に傷ものにされた娘。黒い噂の絶えない宝石商に苦しめ続けられた妻。皆、僕が話を聞きに行ったら、正直に話してくれたよ」


 と、軽く肩を竦める。


「まぁ、ちょっとばかり強引だったかもしれないけど」


 ……あれは、ちょっとどころの話ではなかっただろう。生太郎は、倉間の後ろで眉を顰めた。

 依頼人の元へ強盗よろしく乗り込み、力付くで取り押さえ、一切の躊躇もなく相手を追い詰めていった倉間の姿は、恐ろしいものがあった。

 そしてそれを、鬼天狗だから、の一言で流した祝にも、生太郎は正直引いてしまった。


「大貫君に確認もさせたけど、彼らは全員この店にきてたみたいだね。最初は客として。次は依頼人として。彼ら言ってたよ。『牛鍋屋の店主から、その苦しみを取り払ってやると言われた』ってね。牛鍋屋に集まった情報から、依頼人になりそうな相手を見つけ出して、声を掛けていったんだ。そうして金と引き換えに、人を殺した」


 倉間は一度口を閉ざし、にこりと微笑んでみせる。笑い返してくる者は、いない。


 代わりに、表情の消えた店主達が、倉間と生太郎を見据えていた。



 その手には、いつの間にか包丁や千枚通しが握られている。



「……これは、自白と受け取っていいのかな?」


 サーベルを正眼に構え、倉間は小首を傾げてみせた。生太郎も柄を握り締める。



 雄叫びが湧き上がった。店主達は素早く広がり、生太郎達を取り囲むようにして、一斉に飛び掛かってくる。




 それを、倉間はサーベルの一閃で、弾き返した。




 どこからともなく吹いた風が、倉間の巡査服だけでなく、生太郎の髪をも揺らす。



 倉間がサーベルを振るう度、甲高い打音と濁声が上がった。涼しい顔で斬り伏せていく姿は、通り抜ける風のように軽やかである。

 玄関に立ちはだかる生太郎の出番も、裏から踏み込んだ祝の出番も、まるでない。


「はぁっ!」


 気合いと共に、人が宙を舞う。

 あっという間に床は、倒れ伏す者で埋め尽くされた。


 真ん中に佇む倉間は、かすり傷一つない。


「さて。後は君だけだね」


 サーベルの切っ先が、店主を捉える。生太郎達も、一歩前へ出た。

 じりじりと追い詰められ、店主の顔は苦く歪む。



 それから、つと、笑った。



「……何が可笑しいのかな?」

「いやなに。天狗と名高い巡査が、随分と読みが甘いなぁと思ってね。くく」


 店主は、これ見よがしに肩を揺らす。


「あんた達、まさかこれで話は終わると思ってるんじゃないだろうな」

「……どういう意味かな?」

「そのまんまだよ。これだけ周到に事を進めてきた俺達が、なんの対策もしてないわけがないだろう? もしもの時の為に、ちゃんと保険は掛けてるのさ」

「随分と自信があるみたいだね。でもあんまり調子に乗ると、痛い目を見るよ?」


 だが、店主の態度は崩れない。倉間を睨んだまま、唇を動かす。




「――幸坂こうさか千登世ちとせ




 息を飲む音が、三つ上がった。



 店主は、口角をつり上がる。



 一瞬で身を屈め、床を蹴った。動揺する倉間を突き飛ばし、生太郎へ包丁を投げ付ける。


「くっ!」


 咄嗟にその場を飛び退く生太郎。店主は生太郎の横を走り抜ける。倒れた仲間を飛び越え、開け放たれた玄関へと向かう。


「しまった……っ」


 生太郎達が追撃の体勢を整える間にも、店主の背中は離れていく。


 店主はにたりと笑い、腕を一層大きく振った。




「むぅー」




 瞬間。


 横から、小さな影が、ぶつかっていく。



「ぐぅ……っ!?」


 店主の動きが、一瞬止まる。



 その隙に、影は店主の腕を掴み、同時に足を掬い払った。



 店主の体が、宙を舞う。




 綺麗な弧を描いて、床へ叩き付けられた。




 痛々しい音が、店内に響き渡る。

 生太郎達は、ぽかんと目を見開いた。


「な、何で、君が……」


 倉間は、目の前で人一人投げ飛ばした影――牛鍋屋の娘を、呆然と見つめた。生太郎と祝も、敵対していた筈の相手に注目する。



 すると娘は、突如踵を返した。



 勢い良く、牛鍋屋を飛び出していく。



「っ、お、おいっ。待てっ!」

「吉瀬君は僕と後を追い掛けてっ。祝君は、こいつらの捕縛をお願いっ」

「了解っすっ!」


 生太郎と倉間は、すぐさま駆け出した。娘の背中を追い掛ける。


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