第十話


 誘拐未遂事件以降、生霊いきりょうを名乗る者の犯行は益々加速していった。生太郎しょうたろう達巡査が駆り出される頻度は上がり、被害者は増え、新聞記事も過熱していく。

 お陰で生太郎は、可愛えのと牛鍋を食べに行く暇などなかった。



 当然、倉間くらまにもそんな暇は、ない。



「……なぁ、なぁ吉瀬きせ


 派出所に、ぱちん、ぱちん、という音が響く。

 いわいは声を潜めて、生太郎へ近付いた。


「ちぃちゃん、今日もここにはこねぇのか?」

「……恐らく、そうだと思います。最近私達の出動が多いと知っていますし、下手に巻き込まれぬよう、早く家へ帰るようにしていると言っていたので」

「そうかぁー。その心掛けは、とってもいいんだがなぁ……」


 祝は、目玉だけを動かす。



 視線の先では、倉間が椅子に座っていた。


 いつもの笑みはなく、無表情のまま延々扇を開閉している。



「……どうにかなんねぇかなぁ、あれ」


 同意するように、ずんぐりと大きな虎猫が小さく鳴いた。他の猫達も、倉間に近寄ろうとしない。生太郎と祝の傍で、身を潜めている。


「ま、天狗さんの気持ちも分かるけどなぁ。俺だってこの頃タマに構ってやれてねぇし。しかも、まぁた悪い奴が殺されたしなぁ」

「確か、これで五人目でしたよね?」

「そうそう。傲慢な会社社長に、女中をいびり倒す大女将。詐欺紛いの商売をしてた薬屋。金食い虫の放蕩息子。で、今度は黒い噂の絶えない宝石商ってねぇ」


 指を折りながら、祝は顔を顰める。生太郎も、事情聴取で聞いた胸糞の悪い話を思い出し、眉間に深い皺を作った。


 曰く、宝石は盗まれたものを買い取って流用していた。

 破楽戸ごろつきを雇って他の店の営業を妨害していた。

 宝石を売る為に従業員の妻や娘に体を使わせていた。

 自分の妻にも、それを強要していた。


 宝石商の妻は小奇麗な顔を歪め、泣き震えながらそう語った。


「話を聞く限り、くそ野郎だったってのは分かるんだよなぁ。誰一人悲しんでなかったし。奥さんなんか、寧ろほっとしてる風でもあったしよぉ。こんなんじゃあ犯人絞り込もうにも絞り込めねぇっつーの。不審な人影も、物音も、誰も心当たりがねぇってゆーし……あーぁ。生霊なんてくそ食らえだなぁ、本当」


 椅子の背に凭れ、祝は憂鬱そうに首を横へ振った。


「でぇ? お前の方はどうなんだよぉ」

「……何がですか?」

「えっちゃんとは会えてんのかぁ?」


 ……何故可愛の名前が出てくるのだろうか。生太郎は内心首を傾げつつも、答える。


「可愛さんとは、先日会いましたが」

「えっ。あ、会ったのかっ? いつっ?」

「見廻りの途中で、たまたま行き合ったんです」

「あ、あー。なぁんだ。会ったって、そういう、あーそう」


 と、大きな溜め息を吐く。


「……何ですか。何か問題でもありますか?」

「いーえー。別にぃ? で、何の話したんだよ?」

「何、と言われましても、ただの世間話ですが」

「それだけかぁ? 牛鍋屋の事とか、とか、そういう事は話さなかったのかぁ?」


 生太郎は、目を見開き、固まった。


「……何故、牛鍋屋の事を」

「ちぃちゃんが言ってたんだよ。因みにちぃちゃんは、えっちゃんから聞いたらしいぜぇ?」


 にやーと口角をつり上げる祝。心なしか、周りの猫達も生太郎に注目している気がする。


「で、どうなんだよ。牛鍋屋の話をしたのか、してないのか」

「……まぁ、しましたが」

「ほほーぅ。具体的にはぁ?」

「……大した事ではありませんよ。ただ、しばらくは行く余裕がないだろうという事と、折角誘ってくれたのにすまないという事を伝えただけです」

「そっかそっかぁ。で? えっちゃんは何て?」

「……気にするなと、快く了承してくれました」


 祝の「おぉー」という声に合わせて、猫達も鳴き声を上げる。気持ち輝きの増した眼差しが四方八方から突き刺さり、生太郎はどうにも居心地が悪い。


「じゃーあれだなぁ。さっさと生霊騒ぎをどうにかして、牛鍋屋に行かねぇとなぁ」

「……はぁ、そうですね」


 適当な返事だったが、祝は満足気に頷いている。猫達も、こそこそと顔を突き合わせて鳴いた。


 本当に何なんだ。


 生太郎が眉を顰めていると、徐に祝が肩へ腕を回してくる。


「あ、でも、行くなら予約とかしといた方がいいんじゃねぇか? あそこ、本当に凄ぇ混んでるんだろ? この前大貫おおぬきを引き摺ってきた時、言ってたもんなぁ」


 確かに、店内は大変賑わっていた。大貫がくる頃には満席だったし、祝の言う通り、事前に席を確保しておいた方がいいかもしれない、と生太郎は内心頷く。



 そこでつと、思い出した。



「……そう言えば、一つ不思議な事があるんですよ」

「んあ? 何が?」

「私が牛鍋屋に行った際、大貫には満席だから待つよう言っていたにも関わらず、その後にきた女性には何も言わず、すぐさま二階へ通したんです」


 大貫を連れて店を出た時、確かに「二階へどうぞ」という店主の声が聞こえた。


「あれは、一体何なのでしょうね?」

「何って、席を予約してたんじゃねぇの?」

「ですが、女性がわざわざ予約をしてまで、一人で牛鍋を食べに行きますか? それも小奇麗な格好で。私の目には、牛鍋の汁が飛んでもいいと思える代物には見えなかったのですが」

「あれじゃねぇ? 後からもう一人くるんじゃねぇ? そんで、二階でこっそり逢い引きをする予定だった、とかな。それなら女が小奇麗にしてても、可笑しくねぇんじゃねぇの?」


 成程。確かにそれなら筋が通る。生太郎は、内心手を叩いた。


「それに、女性は手紙のようなものを持っていました。きっと相手から送られてきたのでしょう。そこに予約した旨と、何時に待ち合わせなのか記されていたのかもしれません」


 と、生太郎が一つ頷くと。




「……あぁ」




 派出所に、ぱちん、と小気味良い音が響いた。



 徐に、倉間が立ち上がる。



「んあ? どうしました天狗さん?」

「いや、ちょっとね。どうしようかなぁって悩んでたんだけど、あぁ、こうすればいいのかって解決策を思い付いちゃってさ」


 倉間の言葉に、生太郎と祝は顔を見合わせる。


「ほら。僕だけじゃなく、祝君も吉瀬君も、生霊騒動でかなり自由を奪われてるじゃない? 人付き合いも疎かになるし、自分の好きな事も出来ない。いくらそれが巡査の仕事だと言っても、これじゃあいけないと思うんだ」


 だからさ、と、倉間は扇で掌を叩く。




 そして。




「もう面倒臭いし、こっちから捕まえに行ってやろうよ。ね?」




 寒気を覚える程の笑みを、浮かべた。


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