第四話


「あー、もう、何なんだよぉ」


 いわいは落ちるように椅子へ座ると、机に突っ伏した。


生霊いきりょう、生霊、生霊。揃いも揃って同じ事ばっか言いやがってよぉ。そう言やぁ許されるとでも思ってんのかっつーのぉ。なぁ、クロ?」


 机の上の黒い子猫を抱き締め、ぐりぐりと顔を押し付ける。


 そんな祝と嫌そうな鳴き声を上げる黒猫に、倉間くらまは苦笑いを浮かべた。生太郎しょうたろうも、些か疲れた様子で息を吐く。



 ここ最近、生霊による事件が頻繁に発生している。


 正確には、が、頻繁に発生している。



 勿論そのような言い訳、生太郎達は誰一人信じていなかった。事実、あやふやな部分を指摘してやれば、大抵の者はぼろを出し、あっさりご用となるのだ。

 それでも頑なに認めない相手には、銀座の鬼天狗こと倉間が直々に尋問を行う。後には青い顔で震える犯人と、自白だけが残される。


「……しかし、何故こうも減らないのでしょうか」


 生太郎は、眉間に皺を寄せる。


「これだけ捕まえているのですから、少しは治まってもいいと思うのですが」

「そりゃああれだろぉ? 大貫おおぬきの記事のせいだろぉ?」


 逃げ出そうとした黒い子猫を掴んだまま、祝は忌々しげに唸る。


 この所、小新聞には生霊が起こしたとされる事件が毎日のように載っていた。始めは大貫が勤める新聞社のみであったが、話が広がるに連れて他社でも扱われるようになる。

 特に、悪党と呼ばれる部類の人間が立て続けに殺されてからは、小新聞どころか大新聞でも生霊の文字を見るようになった。犯人がまだ捕まっていない事もあり、銀座中の新聞社が、連日警察を厳しく批判し、反対に犯人を正義の味方の如く書き立てる。

 今では一面を飾る程話題となり、それに比例して、生霊の犯罪は増加していった。


「天狗さんからも大貫に言ってやって下さいよぉ。いい加減にしろーって」

「うーん、僕も言ってはいるんだけどね。大貫君、全然反省してくれないんだよ」

「はぁー。鬼天狗に説教されて尚反省しねぇとか、あいつ無駄に根性あるなぁ」

「ちょっとちょっと、祝君。鬼天狗は止めてよ。人聞きの悪い」

「でも天狗さん、あの時結構頭にきてたでしょ?」

「まぁ……あれだけ痛い目見てるのに、なんで学習しないんだろうとは思ってるけど」

「もういっそ、ぶん殴ってやったらいいんじゃないすか? その方が話早いっすよ。こんな事にいちいち時間取るのも馬鹿らしいし、大体あいつ、生霊追っ掛け回してるからか、見つけ出すのも一苦労ですし」

「あぁ、大貫君、頑張ってるみたいだからねぇ」


 倉間は、本日の小新聞を手に取る。一面には、大貫の記事が載っていた。昨日起こった複数の生霊事件について書かれている。


「まぁ、あまりに目に余るようなら、それもありかな」


 ふふ、と微笑み、小新聞を置く倉間。祝は「怖い怖い」と茶化し、ついでに黒い子猫に擦り寄った。すると子猫は、黒い体を軽やかに翻し、さっと祝の腕から抜け出す。


 靡く尻尾へ手を伸ばす祝を横目に、生太郎は小新聞を眺める。

 そこには、生霊とは何か、何故悪事を働くのかから始まり、この世に未練を残して死んでいった存在であるやら、見えずともすぐ傍にいるやら、嘘か誠か分からぬ言葉が並べられている。


 つと、生太郎は己の左腕に触れた。軽く擦り、そのまましばし黙り込む。



 反応は、ない。



 生太郎は、ちらと左を見た。たまたま通り掛かった美人な三毛猫が振り返る。

 三毛猫は首を傾げ、鳴き声を上げた。


「……いや。何でもない」


 徐に左腕から手を離し、三毛猫の頭を撫でる。


 三毛猫はごろりと喉を鳴らし、満足気に離れていった。後には何も残っていない。何かがいる気配も、ない。


 ……まぁ、それが当たり前の事なのだが。生太郎は静かに息を吐き出した――その時。




 生太郎の左腕を、何かが撫でていく。


 それも、強く、何度も。




「んあ? どうしたよ吉瀬きせぇ?」

「いえ……」


 生太郎は立ち上がり、その場でゆっくりと回った。



 すると、ある地点で左腕に覚える感触が強くなる。



 そちらを見れば、派出所の出入り口があった。素早く移動し、派出所の外へ顔を出す。辺りを見回したが、目に入るのはガス灯に照らされた大通りばかり。




 それでも、左腕を撫でる感触は、止まらない。




「……少し、様子を見てきます」


 壁から官棒を掴み取ると、迷わず外へ走り出した。背後から制止の声が掛かるも無視。ガス灯に背を向け、左腕を撫でる何かに導かれるまま、月明かりの下を進んでいく。


 しばらくすると、どこからともなく足音が二つ聞こえてきた。だんだん大きくなっていくそれに、生太郎は身構える。官棒に手を添え、いつでも迎え撃てるよう前を睨んだ。


 と、前方から、二つの人影が飛び出してきた。


 若い娘が二人、必死で走っている。


 片方は見知らぬ娘。

 もう片方は、見知った娘。


「……可愛えのさん?」


 息を切らせる可愛に、生太郎は目を丸くした。



 何故、と思っていると、生太郎の左腕を、何かが強く撫でていく。



「っ、き、吉瀬さんっ! 吉瀬さん助けてっ!」


 生太郎ははっと息を吸い、足を速めた。可愛と見知らぬ娘の元へ急ぐ。


 可愛達は、吉瀬の元までやってくると、膝に手を置き、体を折り曲げた。見知らぬ娘など、巡査姿の生太郎に安心したのか、その場に座り込んでしまう。


「可愛さん、一体どうしたんだ? 助けてというのは?」

「はぁ、はぁ、こ、こちらのお嬢さん、男の人、二人に、む、無理矢理、連れて行かれそうになっていて……っ、はぁっ、それで、私、お嬢さんのお連れの方に、頼まれて……っ」

「頼まれて、現場に居合わせた可愛さんは、彼女を連れて逃げてきたと?」


 可愛は、荒い息で大きく頷くと、生太郎の腕に縋り付く。



「お、お願いです、吉瀬さんっ。八千世やちよさんのお母様を、助けて……っ」



 目に涙を浮かべ、震える指で後ろを差した。


「途中まで、一緒で、っ、けど、わた、私達、逃がす為に、犯人に向かっていって……っ、足止めをするって……っ!」


 生太郎は息を飲み、可愛の肩を掴む。


「どこにいる? 場所はっ?」

「そ、そこの角を左に曲がって、真っ直ぐ行った所……っ。お、お願い、早く……っ」


「吉瀬っ! おい吉瀬ぇっ!」


 祝の声と、二人分の足音が近付いてくる。

 生太郎はそれに目もくれず、走り出した。


「可愛さんは、彼女を連れて祝さん達の元へっ!」


 そう叫んで、左の道へと入った。己の出せる限界の速さで手足を動かし、只管前へ体を進める。不安を歯で噛み締め、求める気配を探していく。



 すると、進行方向が俄かに騒がしくなる。



 薄暗い中、揉み合う人影が見えてきた。



 生太郎は勢い良く地面を蹴り、冷や汗を吹き飛ばしながら、官棒を構える。


「警察だっ! 全員神妙にしろっ!」




 しかし。




「でりゃあぁぁぁぁぁっ!」




 生太郎の声は、気合いの入った雄叫びに、かき消された。



 二つの影が重なったかと思えば、片方が、宙を舞う。



 綺麗な弧を描いて、地面へと叩き付けられた。



「……え?」


 振り被った官棒は、中途半端な位置で、止まる。


 生太郎自身も、目を見開いて、足を止めてしまった。



 何故ならば。



「どうだいっ! 生ちゃん直伝の背負い投げはっ! 悪党にはよく効くだろうっ! このっ! このっ!」

「痛っ! ちょ、待っ、痛ってぇっ!」

「か弱い娘さんをっ! 誘拐しようなんざっ! ふざけんじゃないよっ! この野郎っ!」

「ま、まぁまぁ奥さん落ち着いてっ。ほらっ、この方もやりたくてやったわけじゃないんですよっ。生霊に取り憑かれてしまったせいで、勝手に体が動いただけなんですってっ」

「なにが生霊だいっ! そっちが生霊ならねっ! こっちだって生霊だよっ!」

「むぅーっ! むぅーっ!」


 喜久乃きくのが、蹲る男に跨っている。

 勇ましく拳を振り上げる度、喜久乃の肩に乗るむぅ太郎も、もっとやれ、とばかりに鳴き声を上げた。


 呆然と固まる生太郎。その間にも、宥めていた男が突き飛ばされ、倒れ込む。


「い、痛たぁ……あっ、き、吉瀬の旦那っ! いい所にきてくれましたっ! あ、あれをどうにかして下さいっ! あたしじゃもうどうにもならなくてっ!」


 男――新聞記者の大貫が、生太郎の元まで這ってきた。ハンチング帽をずり落とし、足にしがみ付く。


 生太郎は曖昧に声を零し、官棒を腰へ差した。喜久乃へ、そっと近付く。


「お、おばさん。おい、おばさん」

「もうっ、煩いねぇっ! さっきから何なのさっ! って、生ちゃんじゃないっ! あぁっ、いい所にきてくれたねっ! あのね、この丸まってる奴がね。さっき若い娘さんを攫おうとしてたんだ。誘拐だよ誘拐っ!」


 先程まで殴っていた男を、鼻息荒く指差す。

 生太郎は素早く捕縛用の縄を取り出し、男の手を背中で縛り上げた。


「……所で、大貫。何故お前がここにいるんだ?」

「何故って、そりゃあ、あれですよ」


 大貫は、ハンチング帽の汚れを払って被り直す。


「今日も生霊の事件が起こるんじゃないかなぁと思いまして、あちこちふらふらしてたんです。そうしたら、たまたまこの場に行き合いまして」

「……まさかとは思うが、ただ見ていただけ、もしくは、見ていようと思ったわけでは、ないだろうな?」

「ま、まさかぁ。そんな事、あるわけないじゃないですか。やだなぁ旦那ったらぁ」


 あはは、とぎこちない笑いを零す。


「勿論、あたしは急いで警察を呼ぼうとしましたよ? でもそうしたら、そちらの奥さんが凄い剣幕で相手を投げ飛ばして、殴り始めたんですよ。あたしはびっくりして、思わず止めようとしたんですけど、これがまた凄い力の持ち主でねぇ。いやぁ、これが火事場の馬鹿力って奴ですかねぇ」


 生太郎は、引き攣る顔を喜久乃へと向ける。


「だって仕方ないだろう。こいつったら、うおーって飛び掛かってきたかと思えば、いきなり躓いて、自分から塀に突っ込んでいったんだよ? しかも顔面をがつーんとやってさ。投げて下さいとばかりに止まってたんだから」


 そんな偶然が、と思った所で、生太郎は視線を喜久乃の肩へと流す。



 むぅ太郎が、真ん丸な体を「むぅー」と得意げに揺らしている。



 生太郎は内心頷き、帽子の鍔を摘まんだ。礼代わりに、小さく持ち上げてみせる。


「あ、そうだ。こんな事やってる場合じゃないんだよ。あのね生ちゃん。向こうにもう一人襲われてた人がいるんだ。娘さんの連れみたいでさ、自分が誘拐犯を足止めするから、その間にお嬢さんを連れて逃げてくれって私達に言ってね。それで可愛ちゃんと三人で走ったんだけど、その内、誘拐犯の一人がこっちにきちゃって」


 生太郎は、すぐさま詳しい場所を喜久乃に確認する。


「分かった、すぐにそちらへ向かう。おばさんは、祝さんと倉間さんの所へ行ってくれ。この辺りまできている筈だから、呼べば必ず答えてくれる。合流次第、事情を説明して二人の指示に従ってくれ」


 生太郎は、さり気なくむぅ太郎へ視線を送る。むぅ太郎は、任せとけ、とばかりに「むぅー」と真っ白な毛を揺らした。


「大貫は、巡査の誰かがくるまで、捕まえた誘拐犯を見張っていろ」

「えぇっ!? そ、そんな、無理ですよ旦那っ。あたしに見張りが務まるわけ――」

「頼んだぞ」


 生太郎は、また走り出す。後ろから大貫の泣き言が飛んでくるも、無視。


 前だけを睨み、月明かりの下を只管突き進む。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る