第三話
「……なんだ。またきたのか」
「あぁ、またきた。通してくれるか、天生?」
「気安く儂の名を呼ぶな」
顔を歪めて鼻を鳴らすと、踵を返した。駄菓子屋の戸を開き、さっさと中へ入っていく。生太郎も後に続いた。
「あ、
「むぅー」
店番をしていた
今日は珍しく、可愛の掌にむぅ太郎が乗っていない。代わりに縫い針が摘ままれており、膝には裁断された反物が乗っている。
見覚えのある
その視線に、可愛もほんのりと頬を赤らめる。
「へ、下手くそなので、あんまり見ないで下さい」
「あ、す、すまない」
帽子の鍔を引き下げ、顔を逸らす。
生太郎の視界の端で、可愛が反物と裁縫道具をそそくさと片付けている。脇へ追いやってから、むぅ太郎を抱き上げた。
「お、お待たせしました。それで、今日はどういったご用でしょうか」
「あ、あぁ。今日も、駄菓子を適当に詰め合わせて貰いたいのだが」
「あ、はい。分かりました。では――」
「ん」
生太郎と可愛の間に、新聞紙で作られた紙袋が割り込んでくる。
顎を持ち上げた天生が、駄菓子の詰まった紙袋を掲げていた。
「ちゃんとかりん糖も入れておいてやったぞ。感謝しろ」
「あ、あぁ。ありがとう」
「ふん。さっさと一銭を寄こせ」
ずいと突き出された掌に、生太郎は一銭を乗せる。
天生は受け取った金を可愛に渡し、それから新聞紙で出来た駄菓子入り紙袋を、むぅ太郎に擦り付ける。両面を真っ白い毛で撫でると、生太郎へ放り投げた。
「ありがとう。むぅ太郎も、ありがとう。いつもすまないな」
「むぅー」
「気にするなって言っています。それと、
「……あぁ。ケサランパサランに触れた駄菓子を食べるんだ。きっとご利益があるだろう」
むぅ太郎はもう一つ鳴き、真ん丸な体を嬉しそうに揺らした。
「よし、ではこれで用は済んだな。そら、早く帰れ。そら、そら」
天生は、生太郎の背中を無理矢理押していく。店の外へ出るや、また戸の前で仁王立ちした。
睨んでくる天生に、生太郎は苦笑交じりに息を吐く。こうも毎回追い出されると、最早呆れを通り越して楽しくなってくる。それが恋心からの行動と思えば、尚更だ。
「護衛の調子はどうだ?」
「愚問だな。儂を誰だと思っておる」
「そうか。順調なようで何よりだ」
生太郎は、緩みそうな口元を引き締める。
「近頃は、
すると、天生は眉を顰めた。いつもの憎まれ口を叩きながらも、どこか勢いがない。生太郎を見据えていた筈の目も、地面へ落とされる。
生太郎は、おや、と首を傾げた。
だがここで指摘した所で、天生が正直に話すとは思えない。寧ろ意固地になって口を閉ざしてしまう可能性もある。
こういう事は、自分よりも
「では、またな」
軽く帽子を上げて、天生へ背を向ける。
「…………おい」
一歩踏み出した所で、生太郎の背中を風が擦っていく。
振り返れば、天生は眉間に皺を寄せたまま、地面を見つめていた。
「お前、これから八千世とかいう女の所へ行くのか?」
「……あぁ。そのつもりだが」
天生の口と眉が、僅かに曲がる。
「許嫁か」
「……は?」
「許嫁なのか、その八千世とかいう女は。だからこうも頻繁に見舞っているのか」
「ちょっと待て。何の話だ?」
「では恋人か? それともお前の片思いで、ゆくゆくは将来を共にしたいと考えていたのか」
「お、おい。だから――」
「無理だぞ」
天生は、不機嫌に吐き捨てる。
「お前と八千世の未来は、やってこない。死に行くしかない女が相手だ。そんな事、考えずとも分かるだろうが。馬鹿者」
生太郎は息を飲み、ゆっくりと、口を開く。
「……誰から聞いた。八千世の容体を」
「……別に、誰から聞いたわけでもない。
「……そうか」
深く、長く、息を吐き出す。
「可愛さんも、知っていたのか……」
ゆっくりと、瞬きをした。
天生の眉に、また力が籠る。
「……儂は、お前が嫌いだ」
「……知っている」
「この世の何よりも嫌いだ。油虫よりもだ」
……ごきかぶりよりも嫌われているのか。生太郎は、内心肩を落とした。
「……それでも、お前を悪く思わない奴は、いる事にはいるんだ」
天生は腕を組み、唇を突き出す。
「だから、どうせ結ばれる事のない女を相手にするより、そんな奇特な奴へもっと目を向けるべきではないのか。儂ならば、そうするのに……くそ」
足を揺らし、つま先で何度も地面を叩く。
沈黙の流れる中、生太郎が、僅かに身じろいだ。
「……勘違いしているようだが、私とあいつは、ただの幼馴染だぞ」
天生の視線だけが、生太郎へと向いた。
「私達の間には、確かに親愛の情はある。だがそれは、家族や兄弟に対するそれと同じだ。決して男女のものではない」
「……だが、千登世殿の母君はおっしゃっていたぞ。八千世はお前の元に嫁ぐと思っていたと」
「あれはもう、おばさんの口癖のようなものだ。気にするな」
「可愛の前でおっしゃったんだ。二人の晴れ着姿は、さぞ素晴らしいだろうと」
「だから、気にしなくていい。言っている当人が本気ではないんだ。冗談をいちいちまともに受け止めていてはきりがないぞ?」
と、呆れ混じりの溜め息を吐く。
すると、天生の眦が、一気につり上がった。
黒い袴の裾を翻し、突如吹き抜けた風と共に、強烈な飛び蹴りを繰り出す。
「うおぉっ。お、お前っ、いきなり何をするんだっ!」
「黙れ馬鹿者っ! 逃げるなっ、あぁくそっ!」
「ちょ、お、落ち着けっ。一体何を怒っているんだっ!」
「そんな事も分からんのかっ! だからお前は馬鹿なんだっ! この唐変木めっ!」
「唐変木はっ、い、今は関係ないだろうっ!」
逃げる生太郎を、天生は追い掛け回す。
辺りには、騒ぐ二人の声と、鋭く空気の切れる音、そして不規則な風が、忙しなく上がり続けた。
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