第三話



「お邪魔しまーす」



 不意に、若い女性の声が響いた。


「あれ、吉瀬きせさん?」


 見れば、可愛えのが風呂敷包みとむぅ太郎を抱えて、病室へと入ってくる。


「あぁ、こんにちは可愛さん。むぅ太郎も、こんにちは」

「むぅー」


 むぅ太郎は、挨拶をするように一つ跳ねてみせる。

 その拍子に、真っ白な毛に差さった一輪の蒲公英たんぽぽが、小さく揺れた。


「こんにちは。どうしたんですか? こんな所に何か用事でも?」

「あら、酷いわね可愛。こんな所だなんて」

「あ、ごめんごめん」


 可愛は、苦笑いを浮かべて近付いてくる。持っていた風呂敷包みを、むぅ太郎ごと多可たかへ渡す。


「あら、蒲公英? 可愛いわねぇむぅ太郎。似合っているわよ」


 むぅ太郎は、「むぅー」と自慢げに毛と蒲公英を揺らしてみせた。それから、何かを訴えるように飛び跳ねては、可愛に向かって鳴く。


「はいはい。ちょっと待ってね」


 可愛は、懐から手拭いを取り出した。

 丁寧に開くと、中から蒲公英が三本程現れる。


「これね、ここにくる途中で見つけたんだ。あんまり綺麗だったから、思わず取ってきちゃった。おばあちゃんにもあげるね」

「まぁ、ありがとう。これで部屋が華やぐわ。早速飾らせて貰うわね」



 そう言って、蒲公英を巨大な毛の塊へ突き刺した。



 まさかの場所に、生太郎しょうたろうは思わずむせる。


「あら、いいじゃない。素敵よぬぅ左衛門」


 本当か? と疑問に思っているのは、どうやら生太郎だけらしい。

 多可と可愛は手放しに褒め、むぅ太郎もお揃いが嬉しいのか、ぬぅ左衛門の上に飛び移って嬉しそうに蒲公英を揺らしている。ぬぅ左衛門も、満更でもない様子で「ぬぅん」と渋く鳴いた。


 そして、何事もなかったかのように、可愛は呆然としていた生太郎を振り返る。


「でも、知りませんでした。吉瀬さんがお婆ちゃんと知り合いだったなんて」

「あ、い、いや。知り合いというわけではない。先程介抱した相手が、たまたま多可さんだっただけだ」

「え? 介抱?」

「吉瀬さん。しー、しー」


 多可は、窄めた唇に指を当てた。


 それだけで察したのか、可愛はじとりと多可を睨む。


「もう。お婆ちゃんったら、また無茶な事をしたの?」

「別に、無茶な事はしてないわよ? ただ、凄く天気が良かったからね。ちょっとお散歩でもしようかなーと思ったのよ」

「それで躓いたか何かして、動けなくなったんでしょう」


 多可は、すっと目を逸らした。


「もう、止めてよお婆ちゃん。それで悪化したらどうするの?」

「大丈夫よ。下は土だったし、ぬぅ左衛門が受け止めてくれたから」

「そういう問題じゃないでしょぉ」


 眉を顰めて、盛大に息を吐き出す。

 多可は口に手を当て、わざとらしく笑っている。ぬぅ左衛門とむぅ太郎の様子からして、よくある光景らしい。


「はぁ、全くもう……あの、吉瀬さん。ありがとうございます、お婆ちゃんを助けて下さって。それと、ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」

「いや、気にしないでくれ。臣民を助けるのは、私の職務だからな」


 可愛は苦笑を浮かべ、もう一度頭を下げる。



 それから、つと真顔になった。



「所で吉瀬さん。確認なんですけど、お婆ちゃんは、きちんとお医者様に診て頂いたんでしょうか?」


 すると、生太郎の視界の端で、多可がこっそりと窄めた唇に指を当てる。


「……いや。当人が拒否したので、診せていない」

「お婆ちゃんっ!」


 目をつり上げる可愛から、必死で顔を逸らす多可。耳を塞いで「あー、聞こえない聞こえない」と棒読みする。


「ちゃんと診て貰わないと駄目じゃないっ。もうっ」

「あー、私は大丈夫ー。ぬぅ左衛門がいるからー。どこも痛くないしー」

「万が一って事もあるでしょっ」


 それでも、多可は子供のように知らんぷりを続ける。


「……そんなに反省してくれないんならね。こっちにだって考えがあるんだからね」


 可愛は、目を据わらせて、多可を射抜く。


「――神田のおばさんに、言い付けます」

「ごめんなさい可愛っ、お婆ちゃんが悪かったわっ。だから義姉さんには言わないでっ」


 孫に縋り付き、多可は必死で許しを請う。だが可愛は腕を組み、つんとそっぽを向く。

 姦しく騒ぐ二人を、ぬぅ左衛門とむぅ太郎は呆れ気味に眺めている。溜め息でも吐くように「むーぅ」「ぬぅーん」と真っ白い毛を揺らした。


 そんな中、一人取り残されてしまった生太郎。どうしようか、止めるべきか、と手を上げ下げしていると。



「ふんっ。じゃあもういいわよっ。そっちがそういうつもりなら、こっちだってやってやるんだからねっ」



 可愛を指差すと、多可は勢い良く生太郎を振り返った。


「ねぇ吉瀬さん聞いて。この前可愛が言ってたの。吉瀬さんに新しい反物を買って貰っちゃったって。そりゃあもう嬉しそうに私に自慢してきたのよ?」

「えっ! ちょ、お婆ちゃんっ!?」

「どうやって買い物に誘われたとか、遠慮する自分を気遣ってくれたとか、反物選びで一緒になって悩んでくれたとか、でれでれした顔で語っちゃってね」

「ち、違いますよっ。違いますからね吉瀬さんっ」

「しかも結局選んだのは、吉瀬さんが似合うって言ってくれた、蒲公英色の七宝しっぽう繋ぎだって話じゃ」

「いやあぁぁぁぁぁっ! 止めてぇぇぇぇぇーっ!」


 飛び掛かるようにして、可愛は多可の口を塞いだ。ベッドの上で、女同士の戦いが勃発する。


 口を挟む隙もない応酬に、生太郎は手を彷徨わせた。何度か止めようと試みるも、その声は伝わらない。

 一体どうしたら、と眉を下げれば。



「……ぬぅん」



 唐突に、ぬぅ左衛門が床へ降りる。むぅ太郎を乗せたまま、生太郎に近付いてきた。


 そして、その真ん丸な巨体を、生太郎に押し付ける。


「お、おい?」


 困惑する生太郎を余所に、ぬぅ左衛門は何度も生太郎の体を押す。むぅ太郎も、大丈夫大丈夫、とばかりに円らな瞳を「むぅー」と細めた。


 そうしてどんどん押されていき、遂には病室の出入り口までやってくる。


 ぬぅ左衛門は、顎をしゃくるように真ん丸な巨体を揺らした。それから騒いでいる可愛と多可を見やり、溜め息に似た鳴き声を上げる。


「……あちらの事は気にせず、帰って構わない、という事だろうか」


 その通り、とばかりに、むぅ太郎は「むぅー」と元気良く飛び跳ねた。ぬぅ左衛門も、鋭い眼光を僅かに緩ませる。


 生太郎は、帽子の鍔を持ち上げた。礼代わりに一つ頷く。


「あ、吉瀬さーんっ。さっきの件で気になる事とかあったら、いつでもここにきていいからねーっ。相談に乗るのは勿論、話だけでも聞くからーっ」

「ちょっとお婆ちゃんっ。さっきの件って何っ? まさか吉瀬さんに変な事言うつもりじゃないでしょうねっ!」

「ご希望ならば可愛の話も一杯しちゃうからねーっ。待ってるわよーっ」


 可愛に口を塞がれながら、多可が手を振っている。生太郎は、一応帽子を持ち上げ、頷いてみせた。


 むぅ太郎とぬぅ左衛門に見送られ、病室を後にする。


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