第五話

 

 捕まえた男は、今噂になっている泥棒猫だった。

 と言っても、本当に猫又ねこまたなわけではない。生太郎しょうたろうの予想通り、空き巣を働くただの人間であった。


 男を派出所へ引き渡した頃には、予定の時間を大きく超えていた。急いで富久住ふくずみ駄菓子店へと戻り、駄菓子の詰められた木箱とぷぅ助を交換する。


 そうしてまた派出所へ向かう生太郎だったが、その途中。



「……嘘だろ……」



 突然の大雨に見舞われ、慌てて近くの軒先へ逃げ込んだ。木箱や服に付いた雨粒を払い、信じられない気持ちで空を見上げる。



 本当に、降った。可愛えのの言う通りになった。



 ……いや、完全に当たったわけでもない。



 可愛は、夕方頃に降ると言っていた。だが今は、夕方というには些か早い。

 このずれは何なのだろう。幸せを運ぶケサランパサランでも、完璧には当てられなかったという事か。


 と、そこで生太郎は、はたと思い当たる。



 もしかしたら、これはなのかもしれない。



 そもそも、野良猫がたまたま落とした手拭いを咥えて行ってしまったのも、逃げ込んだ先の民家でたまたま泥棒猫と鉢合わせたのも、あまつさえ気絶させたのも、偶然にしては明らかに可笑しい。


 そして、そんな神懸かり的な偶然が起こる度、頭上のぷぅ助は鳴いていた。



 つまり、これらは全て、ぷぅ助の仕業なのではないか。



 泥棒猫を捕まえる為、生太郎の幸せを糧に、己の力を揮ったのではないか。



「……まぁ、確証などないが」


 だが、可能性は十分にある。あのふてぶてしさと態度のでかさ、そして去り際に見せた人を小馬鹿にした目付きからして、何かしらの悪さを働いていても可笑しくはない。


 しかし、どうするか。生太郎の溜め息が、雨音にかき消される。

 無理矢理駆け込んだ所で、この雨脚だ。木箱共々ずぶ濡れになるに決まっている。かと言って、このままここにいても、何の解決にもならない。


「……よし」


 生太郎は、徐に上着を脱いだ。木箱を丁寧に包んで抱え込む。そのまま身を屈め、自分の体で覆い隠した。

 これでどうにか雨を凌げるだろう。後はこの姿勢を保ったまま、派出所まで急ぐだけだ。


 生太郎は一つ気合いを入れ、降り注ぐ雨の中へ足を踏み出そうとした――その時。




「あれ? 吉瀬きせさん?」




 唐突に、声を掛けられた。

 雨粒の中から、傘を差した若い娘が現れる。


 その左手には、風呂敷包みと、真っ白い毛玉が抱えられていた。



「……可愛さん?」



 現れた可愛は、笑顔で軒先へ近付いてきた。掌の上で、むぅ太郎が小さく跳ねる。


「やっぱり吉瀬さんだ。こんにちは。雨宿りですか?」

「あ、あぁ。派出所に向かう所だったんだが、途中で降られてしまってな」

「そうだったんですか。あ、じゃあ、もしよろしければお送りしましょうか?」


 可愛は、自分の傘を持ち上げてみせた。


「いや、結構だ。ここからでは、派出所と可愛さんの家は反対方向だろう。わざわざ遠回りをさせるわけにはいかない」

「でもそうすると、吉瀬さんはびしょびしょになって帰らないといけないんじゃないですか? 雨脚も強くなっていますし、傘なしでは大変だと思いますよ」

「大変なのは君も同じだろう? 着物の裾も汚れるだろうし、第一、雨脚が強くなっていると分かっているのに、女性を連れ回すわけにはいかない」

「大丈夫ですよ。私にはむぅ太郎がいますから。ねぇ、むぅ太郎?」


 任せろ、とばかりにむぅ太郎は踏ん反り返る。


「それとも、私と同じ傘を使うのはお嫌ですか? それなら、まぁしょうがないですけど」

「あ、いや、そういうわけではない、の、だが……」


 眉間に皺を寄せ、落ち着きなく目を彷徨わせる。


「と、年頃の娘が、男と身を寄せ合って、一つの傘に入るのは、あまり外聞がよろしくないのではないか、と」


 遠回しに、逢い引きと間違われてしまうのではないか、と生太郎は言った。


 可愛は、しばし目を瞬かせると、目と口を開き、頬を赤くする。


「い、いやっ、違いますっ。私、そんなつもりで言ったわけじゃっ」

「わ、分かっている。分かってはいるが、その、傍から見れば、そう邪推する事も出来るのではないかと、そう思ってだな」


 互いに顔を赤らめ、明後日の方向を向く。

 可愛の手の上で、むぅ太郎は不思議そうに二人を見比べた。


「……あの、でも、ほら。あ、あれですよ」


 可愛は、徐に辺りを見回す。


「さっきから、誰も通りませんし、大丈夫ですよ。万が一、その、邪推されたとしても、この雨です。私達の顔までは、きっと見えませんって」

「そ、そうだろうか」

「そ、そうですよ。ねぇ、むぅ太郎?」

「むぅー」

「ほら、むぅ太郎も、そうだって言っています。なので、ど、どうぞ」


 可愛は少し左へずれ、傘を持ち上げる。そのまま、気恥ずかしげに生太郎を窺った。


「で、では……失礼する」


 ぎこちない動きで、生太郎は可愛の傘に入った。そうして派出所方面へ、歩き出す。

 互いの顔を見ず、腕に当たる温もりを意識しないよう、ただただ無言で足を動かした。


「……あ、あの、吉瀬さん」

「な、何だろうか」

「その、上着に包まれているものは、何ですか? 随分と大きいみたいですけど」

「あ、あぁ。これは、木箱だ。先程、富久住駄菓子店で買った駄菓子が入っている」

「木箱ですか。という事は、沢山買って下さったんですね。ありがとうございます。でも、どうしてそんなに購入されたんです? ケサランパサランの力をご入り用でしたか?」

「いや、そういうわけではない。今日はいわいさんの代わりに、珠子たまこさん用の駄菓子を買いに行ったんだ」

「あぁ、そうでしたか。珠子さん、まだ悪阻が酷いんですか?」

「祝さんの話だと、見ていて可哀そうになるらしい」

「そうなんですか。早く落ち着くといいですね」


 可愛は眉を下げ、すぐに笑みを浮かべる。


「でも、これで疑問は解けました。ケサランパサランの力を借りたにしては、妙に駄菓子が多いなぁと思ったんですよ。ねぇ、むぅ太郎?」


 むぅ太郎と可愛は顔を見合わせ、頷き合う。


「……いや、全くそうではない、とも言えないのだが」


 生太郎は、ぷぅ助にいきなり頭へ乗られた事。外を歩いていたら、不自然な出来事が次々起こった事。野良猫を追い掛けた先で、今話題の泥棒猫を捕まえた事。そしてそれは全てぷぅ助の仕業なのではないかと疑っている事を、可愛に説明した。


「あー、それは……すみません。多分、ぷぅ助がやったんだと思います」



 やはり、と生太郎は、眉間へ深い皺を刻む。



「ほ、本当にすみません。でも、ぷぅ助も悪気があったわけではないと思うんです。昨日、私とお母さんが泥棒猫を怖がっていたから、何とかしようとしただけなんだと」


 生太郎の顔に、あのふてぶてしい奴がか? という疑念がありありと浮かんだ。


「ぷぅ助は、確かにちょっと我が儘ですけど、でも悪い子じゃあないんです。家族思いの、いいお兄ちゃんなんです。妹分の私とお母さんを、ただ守りたかっただけなんですよ」


 むぅ太郎も、そうだそうだ、とばかりに「むぅー」と上下に動く。


「だから、どうか怒らないであげて下さい。悪いのはぷぅ助じゃなくて、泥棒猫の話をした私なんです」

「あ、いや。別に、怒っているというわけでは、ない」


 嘘だ。本当は思う所がいくつかあったが、生太郎もそれを言う程唐変木ではなかった。


「……本当ですか?」

「……あぁ。本当、だとも」


 生太郎は、そっと可愛から顔を逸らす。


「本当の本当に?」

「あぁ。本当の、本当にだ」

「むぅー?」


 肩に飛び乗ってきたむぅ太郎から、生太郎は更に顔を反らせる。


「本当は怒っているんじゃないんですか? 私、別に怒られても怒りませんよ?」

「いや、怒ってはいない。それは本当だ」

「じゃあ、何で私の目を見てくれないんですか?」

「むぅむぅー」


 可愛とむぅ太郎は、左右から生太郎に迫る。生太郎は必死で首を捻って逃げるが、逃げた先にむぅ太郎が周り込み、白い毛を押し付けた。


 その円らな目が笑っている事も、可愛も同じく楽しんでいる事も、生太郎だけは気付かない。必死に顔を背け、只管からかいに耐え忍んだ。


 だから、だろう。



「うわ……っ」



 ぬかるみに気付けず、足を取られてしまった。


 滑り上がる片足。後ろへ仰け反る上半身。受け身を取ろうにも、手に持つ木箱が邪魔で出来ない。生太郎は顔を引き攣らせて、身を固くするしかなかった。


「吉瀬さんっ」



 しかし、生太郎の背に広がったのは、雨水の冷たさではなく、柔らかな温もりだった。



「うぅ、だ、大丈夫、ですか……っ?」


 可愛が、いた。両腕と体を使って、自分よりも遥かに重い生太郎を支えている。力みから体を小刻みに震わせ、真っ赤な顔を顰めた。


「す、すみません。もし、自力で立てるようでしたら、お願いしたいのですが……っ」


 生太郎は慌てて体勢を立て直す。可愛は大きく息を吐いて、よろめいた。



 今度は、生太郎が可愛を支えた。木箱を片手で持ち、空いた腕を可愛の背中に回す。



「だ、大丈夫か、可愛さん」

「あ、はい。大丈夫です。吉瀬さんは大丈夫ですか?」

「あぁ、私も大丈夫だ。ありがとう」

「いえ」


 二人は微笑み合い、次いで、気付く。



 物凄く、近い。



 傘の下、互いの息使いと体温がよく分かる。


 まるで抱き合っているかのようだ。


 そう自覚した瞬間。生太郎と可愛の顔が、一気に赤くなった。




 ほぼ同時に、硬直する生太郎の左腕を、何かが撫でていく。




「っ、す、すまないっ」


 弾かれるように、生太郎は可愛から腕を離した。木箱の存在も忘れ、傘の外へ一歩後ずさる。




 途端、辺りに突風が吹き荒れた。




 生太郎の背後から現れた風は、凄まじい音と無数の雨粒を引き連れて、通り過ぎていく。




 後には、ずぶ濡れの生太郎が、取り残された。




「えぇっ。だ、大丈夫ですか吉瀬さんっ」

「…………駄菓子は、なんとかな……可愛さんは……?」

「私は、大丈夫です。吉瀬さんが、その、壁になって下さったと言いますか」

「……そうか……」


 可愛は慌てて手拭いを取り出すと、生太郎の顔や服の水滴を拭っていった。生太郎は、呆然と佇みながらそれを受け入れる。近付かれても、もう気恥ずかしいとは思わなかった。


 ただ、あぁ、不幸だな、としみじみ思うばかりであった。


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