第四話
頭にぷぅ助を乗せ、
しかし、何故か思うように進めない。
以前かっぱらいを捕まえた大通りへ抜けようとすれば、丁度出入り口が崩れた木箱で塞がれてしまった。
ならばと右へ曲がろうとすれば、頭上から大量の鳥の糞が落とされ、通る気が起こらない。
仕方なく反対方面へ向かうも、蛇が通路を横断していたり、猫が盛大な喧嘩をしていたりと、どうにも不思議な偶然が重なっていく。
その度、頭の上からはぷぅぷぅと聞こえてきた。
「……まさかとは思うが」
帽子を外し、生太郎はぷぅ助を睨み付ける。
「お前の仕業ではないだろうな?」
「ぷぅ」
是とも非とも付かぬ鳴き声が返されるも、その目は明らかに笑っていた。
生太郎の米神に、青筋が浮き上がる。しかし、こんな毛玉如きに怒っても仕方ない、と自分を戒め、帽子を被り直した。
懐から、新聞紙で作られた紙袋を取り出す。念の為、幸せ補充用にと富久住駄菓子店でかりん糖を買っておいたのだ。
生太郎は、この場でかりん糖を口の中へ放り込んでいく。
……こんな時でも、美味いものは美味いのだな。
心の中でそう呟けば、頭上から「ぷぅ」と相槌らしき鳴き声が聞こえた。
「……お前も食うか?」
頭上のぷぅ助へ、かりん糖を差し出してみる。どうせ食べないだろうと戯れ半分にやってみたのだが、予想外に威勢のいい返事が返ってくる。
そして生太郎の手は、かりん糖ごと真っ白い毛玉に飲み込まれた。
「うわぁぁぁっ!」
何とも言えぬ感触に、慌てて手を振り払った。帽子が落ちるのも構わず、道の端まで逃げ果せる。帽子にくっ付くぷぅ助を、目をかっ開いて見つめた。
「ぷぅぷーぅ」
ぷぅ助は、真ん丸な体を頻りに揺らしている。
その動きに合わせ、真っ白い毛に突き刺さるかりん糖が、滑らかに吸い込まれていった。
「……う、美味いか……?」
当然だろう、と言わんばかりの一瞥を食らわせるぷぅ助。
生太郎は曖昧な相槌を打ち、ぷぅ助をまじまじと見下ろす。
「……口、あるのか……」
かりん糖が突き刺さっていた辺りの毛を、そっとかき分けてみる。だが、見えるのはみっしり生えた白い毛のみ。
この奥にあるのだろうかと、更に指を突っ込んでみる。
「ぷーぅー」
ぷぅ助は身を捩る。少々悪い目付きが、更に悪くつり上がった。
「あ、あぁ、すまん。
生太郎は目を逸らし、ぷぅ助ごと帽子を被り直す。
「……ん?」
つと、自分の手を見た。
先程まで持っていたかりん糖の紙袋が、ない。
見れば、地面へ落ちたかりん糖に野良猫が群がっていた。その中で一番大きな猫が、新聞紙で作られた紙袋を咥えて遠ざかっていく。
……仕方ない。生太郎は小さく息を吐き、懐から藍色の手拭いを取り出した。かりん糖の油で汚れた指を拭う。
「ぷぅ」
すると、突風がこの場に吹き荒れる。
生太郎の手から、手拭いが滑り落ちた。
「あ……っ」
咄嗟に手を伸ばすも、藍色の手拭いは空高く舞い上がる。くるりと渦を描いて、かりん糖を食べ終えた野良猫達の元へ落ちた。
野良猫は手拭いの匂いを嗅ぐと、徐に咥え上げた。
「こらっ」
生太郎が一歩踏み出せば、野良猫達は一斉に逃げ出した。
当然、咥えられた手拭いも、持っていかれる。
「お、おいっ、待てっ」
生太郎は慌てて駆け出した。手拭いを靡かせる野良猫を、追い掛ける。
「こらっ、待てっ。待てと言ってるだろうっ」
しかし、猫は止まらない。素早く四肢を動かし、近くの垣根をよじ登ると、民家の庭へ飛び込んでいった。そのまま庭を横切り、反対側の垣根を飛び越える。
「くそっ」
生太郎も民家の裏手へ急ぐ。
だが辿り着いた時には、既に野良猫の姿はなかった。
「どこに行った……っ」
生太郎は辺りを見回す。それらしい気配や鳴き声はないか、目と耳を澄ませては駆けていく。
そして、何度目かの角を曲がった時。
「ぷぅ」
生太郎の足音に、垣根の脇を歩いていた猫が二匹、振り返る。
その口には、かりん糖の入った紙袋と、生太郎の手拭いが咥えられていた。
「いた……っ」
一瞬にして眉をつり上げ、生太郎は一層激しく足を動かす。
あまりの形相に、野良猫達は一目散に逃げ出した。
「逃がすかぁっ!」
頭上のぷぅ助の毛をたなびかせ、生太郎は全力で腕を振った。二匹の猫も必死で逃げる。後ろを振り返る事もなく、只管前へ突き進んだ。
「ぷぅ」
かと思えば、突如右へ曲がる。
すぐ傍にあった民家へと駆け込んでいった。
「待てっ、この泥棒猫っ!」
生太郎も野良猫に続き、民家の門を潜る。縁側を横切り、家と垣根の間を通り抜けて、勝手口へと回った。
「ぷぅ」
瞬間。
猫のけたたましい声と、男の悲鳴が轟いた。
少し遅れて、何かの落ちる音も響く。
勝手口の前で、男が倒れている。
その回りには、男のものらしき風呂敷包みと、新聞紙で作られた紙袋、零れたかりん糖を食らう二匹の猫、そして生太郎の手拭いが落ちていた。
「な、何だ……?」
生太郎が呟くと、野良猫達は勢い良く振り返る。咥えられるだけかりん糖を咥えるや、垣根を飛び越え消えていった。
生太郎は、呆然と立ち尽くす。だがすぐさま気を持ち直し、倒れる男に駆け寄った。
「おい、大丈夫か。しっかりしろ」
肩を軽く揺するが、唸り声だけが返ってくる。顔には猫の爪痕がいくつも走っていた。恐らく、勝手口から出てきた所でたまたま猫と鉢合わせ、引っ掻かれてしまったのだろう。
運の悪い男だ。生太郎は藍色の手拭いを拾い、息を吐いた。
と、不意に勝手口が開く。
顔を出した女は、怪訝に眉を顰めた。
「あんた……巡査の旦那かい?」
箒を構えたまま、生太郎をじろじろと眺める。
「あぁ。銀座の派出所に勤務している
「それはいいけど、うちに何の用だい? さっき凄い音がしたけど」
「それは……その、猫がな」
「猫?」
女の眉が、更に歪む。
生太郎は罰が悪くなり、視線を彷徨わせる。
「そ、そう言えば、この男は、この家の者だろうか?」
生太郎は、誤魔化すように倒れた男を指差した。
「気を失っているようなので、中で休ませてやりたいのだが」
すると女は、首を傾げる。
「誰だい、そいつ?」
「……この家の者では、ないのか?」
「違うよ。こんな奴、見た事もないね」
ならば、何故こんな所にいたのだろう。
生太郎も眉間に皺を寄せ、目を回す男を見下ろした。
「あっ!」
唐突に、女が声を上げる。
目と口を開くや、転がっていた風呂敷包みを開いた。
「これ、あたしの着物じゃないかっ。それに簪に、鍋に、うちの人の地下足袋までっ」
中から出てきた代物に、女は眦をつり上げる。生太郎を押し退け、男の胸倉を掴んだ。
「ちょっとあんたっ。これは一体どういう事だいっ。どうやって手に入れたのさっ。まさかうちに盗みに入ったんじゃないだろうねっ! えぇっ?」
「お、おい、落ち着け」
だが女は、生太郎の声に耳を貸そうとしない。男を乱暴に揺さ振っては、罵詈雑言を浴びせていく。
あまりの激しさからか、気絶していた男の瞼が半分開く。焦点の合っていない目で宙を眺め、ゆっくりと、唇を開いた。
「ぷぅ」
直後。
男の口から、猫そっくりな声が、うなぁん、と零れ落ちる。
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