第三話


「いらっしゃいませ」


 六畳程の店内には、一人の女性がいた。以前この店を訪れた時、可愛えのが座っていた場所に腰を下ろしている。



 その膝の上には、真っ白い毛玉が乗っていた。



 一見すると小さな座布団のような物体は、むぅ太郎よりも二回り程大きい。恐らくこれもケサランパサランなのだろう。毛の間から覗く瞳が、やってきた生太郎しょうたろうを捉える。


 ……気のせいか、目付きが悪いな。

 生太郎は、じとりと見上げてくる瞳に何とも言えぬ気持ちが込み上げた。むぅ太郎のように跳ね回らず、どっしりと居座っている辺りも、ふてぶてしいというか、幸せを運ぶとされるケサランパサランらしからぬ不敵さを醸し出している。



「……ぷぅ」


 だが、鳴き声は案外可愛い。



「あの、私の膝が、何か?」


 女性は不思議そうに小首を傾げる。


「え、あ、いや、何でもない」


 生太郎は、慌てて目を逸らした。


 しかし、女性とケサランパサランは、じーっと生太郎を見つめ続ける。


「……もしかして、あなた、吉瀬きせさんですか?」

「あ、あぁ、そうだが」

「あぁ、やっぱりそうですか。いえ、先日いわいさんが、後輩の吉瀬さんという方を連れてきたと可愛から聞いていましたもので。突然失礼しました」


 女性は口に手を当てて微笑むと、居住まいを正した。


「初めまして。私は可愛の母で、可耶かやと申します。そしてこちらが、ケサランパサランのぷぅ助です。どうぞお見知りおきを」


 頭を下げる可耶。ぷぅ助という名のケサランパサランも挨拶をしているのか、「ぷぅ」と白い毛を揺らしてみせた。

 生太郎も、帽子を軽く持ち上げ、挨拶を返す。


「本日はどのようなご用件でしょう。またケサランパサランの力がご入り用ですか?」

「いや、今日は違う」

「では、駄菓子をお買い求めですか? それとも飲み物でしょうか? うちは玩具も取り扱っていますからね。お子様へのお土産にもよろしいかと思いますよ」

「あ、いや」

「私のお勧めはこちらの風車です。美しい色紙を使っていますから、回れば素晴らしい模様となり、小さなお子様、特に女の子には人気ですわ。丈夫なので振り回した位では壊れませんし、持って走ればカラカラと綺麗な音を立てて回りますの。それもまた人気で、この辺の子は皆持っていますわ。吉瀬さんもお子様にお一ついかがですか?」

「い、いや、私は、子供どころか嫁もいないので」

「あら、そうですか」


 可耶はさっさと風車を下げ、頬に手を当てる。


「では、一体どういったご用でしょう。ただ立ち寄ったというわけでもなさそうですし……あ、もしかして、うちの娘に会いにきたのですか?」

「……は?」

「ふふ、そうですか。吉瀬さんは可愛をお目当てにいらしたと。まぁ、あの子は私に似て気量がいいですからね。巡査さんが目を付けるのも納得ですわ。ねぇ、ぷぅ助?」


 真ん丸な体を撫でられ、ぷぅ助は是とも非ともつかぬ声を「ぷぅ」と上げた。


「ち、ちちち、違うっ」


 生太郎は、真っ赤な顔で拳を握り締めた。


「私は決して、そ、そのように破廉恥な目的でここへきたわけではないっ。ただ、祝さんの代わりに、珠子たまこさん用の駄菓子を買いにきただけであってっ」

「あぁ、やっぱり。そうだろうと思いました」


 可耶は、あっけらかんと微笑む。


「あ、え? や、やっぱり、とは」

「吉瀬さんが、祝さんの代わりに珠子さん用の駄菓子を買いにきた事ですよ。そろそろ無くなる頃なのに、祝さんは一向にいらっしゃいませんでしたからね。お仕事もお忙しいようですし、誰かに代わりを頼むのも不思議ではありませんよ」


 それに、と喉を鳴らし、ぷぅ助を撫でる。



「噂の『唐変木の巡査』が、女目当てにここまでくるとも思えませんしね」



 口を開けて、生太郎は固まった。言葉もなく、唇を戦慄かせる。


「あら? もしかして、本当に可愛がお目当てで?」

「そっ、そんなわけあるかっ!」

「冗談ですよ」


 可耶は至極楽しげに顔を綻ばせた。ぷぅ助も、どことなく目を弓形にしている。


「では、改めまして。本日は、どのような駄菓子をご入り用でしょう?」

「…………出来るだけ日持ちするものを数種類、十日分程、と言われている。それと、水飴も欲しいそうだ。適当に見繕って貰えるだろうか」

「出来るだけ日持ちするものと、水飴ですね。畏まりました。ですが十日分となると、少々量が多くなってしまいますがよろしいですか?」

「あぁ、構わない」

「では、少々お待ち下さい」


 そう言うと、可耶は立ち上がった。ぷぅ助をお供に、店に並ぶ駄菓子を物色していく。


「お煎餅でしょう。それから落雁と、おこしと、あ、金平糖もいいわね。珠子さん、金平糖は食べやすくていいって言っていたし」


 新聞紙で作った紙袋へ次々駄菓子を放り込んでは、ぷぅ助の上へ乗せていく。

 積み上がるに連れて、生太郎は崩れやしないか心配でならなかった。しかしぷぅ助は平然と移動し、可耶も気にせず追加していく。


「こんなものかしらね。後は、水飴か」


 中の間に繋がる戸を開け、奥へと消える。

 しばしがさごそ音を立て、戻ってきた。


「申し訳ありません。水飴は、丁度切らしておりまして」


 頭を下げると、ぷぅ助の上に積んだ紙袋を、受け渡し用の木箱へ詰めていく。


「ですが、今うちの主人が仕入れに行っていますから、一時間程待って頂ければお渡し出来ると思います。いかが致しますか?」

「では、それで頼む」

「畏まりました。それでは、一時間後にまたこちらへお越し下さい」


 生太郎は踵を返した。

 さて、どう時間を潰そうか。一度派出所に戻ってもいいし、適当な店へ入ってもいい。駄菓子屋の周りを歩いて、次はきちんと辿り着けるよう立地を覚えてもいいかもしれない。そんな事を考えつつ、一歩足を踏み出す。



「ぷぅ」



 すると、行く手に真っ白い毛玉が現れる。


 若干悪い目付きと、かち合う。


「……そこを、退いて貰えるだろうか」

「ぷぅ」


 是とも非ともつかぬ返事を返され、生太郎の眉間に皺が寄った。


 ぷぅ助の横を通ろうとするも、真ん丸な体を素早くずらし、道を塞ぐ。反対側も同じく通してはくれない。ならばと跨ごうとすれば、生太郎の股間目掛け跳ね上がってきた。

 生太郎は慌てて飛び退き、ふてぶてしく通路に居座る真っ白い毛玉を凝視した。


「あらあら。ぷぅ助ったら、吉瀬さんの事が気に入ったの? 珍しいわねぇ。あなたが家族以外に懐くなんて」

「こ、これは、懐いているのだろうか」

「えぇ、懐いていますとも。ぷぅ助は、どうでもいい相手だと全く動きませんから」


 ならば、是非退いて貰いたいのだが。

 生太郎はぷぅ助を見下ろしたまま、途方に暮れる。ぷぅ助も生太郎を見上げたまま、その場を退く気配を見せない。



 かと思えば、徐に生太郎へにじり寄る。



 押されるように、生太郎は後ずさった。


「こ、こいつは、一体何をしたいんだ」

「うーん、多分、遊んで欲しいんじゃありませんか? 昨日も、むぅ太郎と一緒に主人の体をよじ登っていましてね。ころころーと転げ落ちる度に、楽しそうに鳴くんです。まぁ、ぷぅ助は五回目位からは、むぅ太郎の踏み台になっていましたけど」


 と口に手を当て、朗らかに笑う。

 そんな可耶を、生太郎は困惑に眉を顰めて振り返った――直後。



 ぷぅ助が、「ぷぅ」と大きく飛び上がった。



 生太郎は、咄嗟に上半身を逸らして避ける。真っ白い毛が、顔の真横を通過していった。


 ぷぅ助は空中で一回転し、傍にあった陳列棚へ落ちていく。しかしすぐにまた飛び上がり、柱へぶつかってから、天井近くまで跳躍した。




 そして華麗な宙返りを決め、見事生太郎の頭の上へ着地する。




「あら、上手ねぇぷぅ助。凄い凄い」


 ふてぶてしく踏ん反り返るぷぅ助へ、可耶は暢気に拍手を送った。


「お、お前、いきなり何するんだっ」


 生太郎は、ずれた帽子を毟り取る。だがぷぅ助は動じない。帽子ごと振り回されても、まるで縫い付けられているかのように離れないのだ。


 ぷぅ助の目が、ゆっくりと弓なりになる。鳴き声も、どことなく馬鹿にした響きがあった。



 生太郎の米神に、青筋が浮き上がっていく。



「……可耶さん」


 生太郎は、帽子ごとぷぅ助を突き出した。


「こいつを取って貰えるだろうか」

「はい、分かりました。ぷぅ助、いらっしゃい」

「ぷーぅー」

「あら、嫌なの。ごめんなさい吉瀬さん。ぷぅ助はそこがいいみたいです」

「……それは、私が困るのだが」

「そう言われましてもねぇ。ぷぅ助は頑固な所がありますから、一度こうだと決めたら梃子でも動きませんよ。昨日だって、可愛が最近出るっていう泥棒の猫又ねこまたの話題を出したら、詳しく教えろーっていう風に、可愛へ体当たりをし始めたんですから」


 ころころと喉を鳴らす可耶。生太郎の眉間へ、一層深い皺が刻み込まれる。


「まぁいいじゃありませんか。そのまま乗せておけば。ぷぅ助も、少しばかりくっ付いていれば気が済みますよ。この子、頑固な割に飽きっぽいですから。昨日もねぇ、可愛が泥棒猫の噂を聞かせてあげていたのに、途中でどっかに行っちゃったんですよ。自分から聞いておいてそれはないだろうって、可愛も呆れていました」

「……だが、こいつを頭に乗せていたら、私の幸せが吸い取られるのではないのか?」

「さぁ、そこはぷぅ助次第ですかね。この子、気まぐれな所もありますから。昨日も、いなくなったと思ったらまた戻ってきましてね。それで話の続きは? とでも言わんばかりに、可愛に圧し掛かったんです。あんまり勢いがよかったのか、可愛はそのまま潰れちゃいましてね。それでもぷぅ助は、ぷぅぷぅ言いながら催促を止めなかったんですよ」

「……もう少し、厳しく躾けた方がいいのではないか?」

「でも、とってもいい子なんですよ。昨日、盗まれた物の中に下穿きがあると聞いて、私と可愛の箪笥を確認しに行ってくれたんですから。お陰で中身を引っ張り出されて、片付けが大変でしたけど。でも、家族を心配してくれる心の優しい子なんです。ねぇ、ぷぅ助?」

「ぷぅ」


 一切の迷いもなく、ぷぅ助は返事をした。


 ……どの辺りがいい子なのだろう。生太郎は疑いの眼差しでぷぅ助を睨む。ぷぅ助も、生太郎から目を逸らさない。つり上がり気味の目が、挑むような色を帯びる。



「…………はぁー……」



 先に折れたのは、生太郎だった。ぷぅ助付きの帽子を渋々被り直す。



 途端、ぷぅ助は勝鬨の如き鳴き声を上げた。



「よかったわねぇぷぅ助。吉瀬さんが遊んで下さるって」

「……遊んでやるつもりはないのだが」


 しかし、可耶は聞いていない。

 ふてぶてしく踏ん反り返るぷぅ助を、微笑ましげに眺めるだけだった。


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