第五話
「あ、祝さんだ。こんばんはー」
「おぅ、こんばんは
「うん。ついさっきね」
太一と呼ばれた洋装の少年は、愛想良く笑いながら近付いてくる。
すると、祝の傍にいた正太郎を見て、目を丸くした。
「あれ? お兄さん、もしかして、さっきかっぱらいを捕まえたお兄さんですか?」
「あ、あぁ、そうだが」
「わぁ、やっぱり。あの、ありがとうございました。お兄さんのお陰で、車引きの
そこで、正太郎は思い出した。
そう言えば、あのかっぱらいとぶつかった人力車に、親子らしき女性と少年が乗っていたな、と。
「いや、私は当然の事をしたまでだ。礼には及ばない。それよりも怪我はなかったか?」
「はい。僕は大丈夫です。お母さんも壱朗太さんも元気です」
「そうか、ならば良かった」
生太郎が頷くと、太一ははにかんだ。
それから、徐にズボンのポケットへ手を入れる。
「あの、お兄さん。これ、よかったら貰って下さい」
「これは……
「いえ。蛤の殻に入った軟膏です」
殻を二つに割ってみせる。中には、緑掛かった半固形状の薬が入っていた。
「僕の家で作っているんですけど、切り傷や擦り傷にとってもよく効くんですよ。今日のお礼に、お兄さんにあげます」
「いや、そんな、わざわざ礼などしなくていい。私は己の職務を果たしただけだ。何も特別な事はしていないのだから、薬など受け取れない」
「でも、僕はとっても助かったんです。壱朗太さんもお母さんも、とっても助かったって言っていました。だからお兄さんには、是非受け取って欲しいんです」
両腕を突き出して、太一は満面の笑みを浮かべる。輝かんばかりに無邪気な眼差しを送られ、正太郎は眉を下げた。
「いいじゃねぇか。貰ってやれよ」
祝は、にやりと口角をつり上げる。
「それで太一の気が納まるってんなら、付き合ってやるのも大人の務めってもんだろぉ。なぁ、えっちゃん?」
「そうですよ。太一君の気持ち、どうか無碍にしないであげて下さい」
「むぅー」
「…………では、ありがたく頂戴する。だが、こういった事はこれっきりにしてくれ」
正太郎は、渋々蛤の殻に入った軟膏を受け取った。
「じゃあ、お兄さん。お世話になりました。鎌鼬を捕まえてくれて、本当にありがとうございます」
姿勢を正し、太一は深く腰を折った。額を太股に付けると、起きて正太郎を見上げる。
互いの目が合い、自ずと笑みが込み上げた。
「んじゃ、客もきた事だし、そろそろ退散するかぁ」
祝は首を回し、踵を返す。
「じゃあなぁ、えっちゃん。本当助かったわ。太一もまたなぁ」
祝は手を振り、歩き出す。正太郎も帽子を軽く持ち上げると、駄菓子屋の出入り口へ向かった。礼に貰った貝殻を、懐へ丁寧に仕舞い込む。
そこで、はたと気付いた。
あの太一という少年は、何故鎌鼬を捕まえてくれてと言ったのだろう。
捕まえたかっぱらいが、今話題の鎌鼬だとは、まだ知らされていない筈なのに。
正太郎は、後ろを振り返った。太一が、可愛と喋りながら駄菓子を選んでいる。その足元では、むぅ太郎が真ん丸な体を跳ねさせ、鳴き声を上げていた。
太一は口を開けて笑い、つと、視線を下げる。
「……え?」
見えていない筈のむぅ太郎へ、笑い掛けた、ように見えた。
正太郎は目を丸くしたまま、駄菓子屋の外へと出た――瞬間。
「うっ」
頭の上へ、何かが落ちてきた。驚いた正太郎は、咄嗟に自分の頭を触る。
掌には、鳥の糞が付いていた。
「あーららぁ。早速不幸に見舞われたなぁ」
祝は、楽しげに目と口を弓形にする。
「ま、心配すんな。今回は大した時間むぅ太郎を乗せてなかったし、すぐに納まるだろうからよ」
「……すぐに納まるとは、どういう意味ですか」
懐から藍色の手拭いを取り出し、正太郎は祝を睨む。
「お前だって疑問に思ったんじゃねぇか? 何でお前を富久住駄菓子店に連れてきたのかとか、何で今まで一度も連れてこなかったのかとか、後は、こんな低報酬で事件が解決するのに、何で頻繁に利用しないのか、とかさぁ」
「……まぁ、多少は思いましたけど」
「その理由が、それなのよ」
生太郎の頭に付いた鳥の糞を、指差す。
「ケサランパサランは、幸せを呼ぶ妖怪だろぉ? だからむぅ太郎は吉瀬に幸せを運んでやって、その結果鎌鼬と呼ばれるかっぱらいを捕まえられたと、そういうわけだ」
生太郎は、曖昧に頷いてみせる。
「で、ここからが本題なんだけどよぉ。ケサランパサランは、どうやって相手に幸せを運ぶんだと思う?」
「……こう、むぅむぅと鳴いていたので、どこかから幸せを呼んでいたのでしょうか。もしくは、あの白い毛を揺らす事で、
「じゃあ、その撒き散らす為の幸せを、むぅ太郎はどうやって手に入れてたと思う?」
祝の問いに、生太郎は眉を顰める。藍色の手拭いで鳥の糞を拭き取り、しばし考え込む。
「……もしかして、駄菓子の幸せ、ですか?」
「おー正解。そうなんだよぉ。むぅ太郎は、駄菓子屋にきた子供らが零す幸せを食って、溜め込んだ分を相手に返す。そうしてむぅ太郎は、幸せを運んでるんだ」
大きく頭を上下させると、徐に指を立てた。
「さぁて、ここで問題です。吉瀬は、むぅ太郎が幸せを運んでくれたお陰で、鎌鼬を捕まえられました。しかし吉瀬は、その間駄菓子の幸せも、それ以外の幸せも零していません。吉瀬が零していないのだから、当然むぅ太郎は零れた幸せを蓄える事が出来ず、幸せを返してやる事が出来ません。ではむぅ太郎は、一体どうやって、吉瀬に幸せを運んでやったのでしょーか?」
正太郎は、またしても眉間に皺を寄せ、黙り込んだ。
「……別の誰かの幸せを使った?」
「違いまーす」
「では、幸せの前借りをした」
「あ、近い、けど違いまーす」
祝は腕でバツを作る。
正太郎の口から、それ以上言葉は出てこない。
「降参か?」
「……はい」
「じゃあ正解の発表です。正解は、吉瀬の体から強制的に幸せを吸い取った、でしたー」
わー、と祝は一人、拍手をした。
「…………はい?」
「だから、吉瀬の体から、強制的に」
「い、いえ、聞こえました。けれど、言葉の意味が、少々理解し難いと言いますか」
「意味も何も、そのまんまだよ。むぅ太郎は、吉瀬の頭に乗りながら、吉瀬の体から幸せを吸い取って、それを使って幸せを運んでいたと、そういう事だ。でなきゃ、あれだけ偶然を連発出来るわけねぇだろうが」
確かに、そう、なのだろうか。正太郎の疑問は拭えないが、取り敢えず頷いておく。
「で、お前はむぅ太郎から幸せを吸い取られたわけだが、吸われたからには当然お前の中の幸せは減ってる状態だ。幸せが減るという事は、それだけ不幸に見舞われやすくなるという事でもある。ここで、さっきの俺の発言に繋がるわけだなぁ」
「……成程。ではその後の、今回は大した時間むぅ太郎を乗せていなかったから、すぐに納まるだろう、というのは?」
「それも言葉のままだ。むぅ太郎が頭に乗ってる時間が短い分、吸われる幸せも少なく済む。よって多少の不幸には見舞われるが、減った幸せもすぐ戻るだろう、という事だな。だからさっき、かりん糖を食べた方がいいって言ったんだ。そうすりゃ少しは幸せが補充されるからなぁ」
正太郎は、懐にしまったかりん糖を取り出そうとする。しかし、先程鳥の糞を触ってしまったと思い出し、顔を顰める。
これではかりん糖の幸せを得られない。
「ま、大丈夫大丈夫。いくら幸せを吸い取られたっつっても、そんな物凄ぇ不幸に見舞われるなんて事ぁねぇから。今日はちょっと運が悪ぃなぁって位で、命の危機に瀕する事もねぇからよ。そんな顔すんなって」
「……はぁ」
正太郎と祝は、銀座の派出所へ向けて歩いていく。
「……所で、祝さん」
生太郎は、隣を行く先輩を振り返った。
「何故今回、私を富久住駄菓子店まで連れていったんですか?」
すっと目を細め、眉間に力が籠った。
「まさかとは思いますが、ご自分が不幸に見舞われるのが嫌だから、私を生贄にした、などとは言いませんよね?」
「んー、あー」
祝は宙を眺めながら、頬を掻く。
「……まぁ、あれだなぁ。無事犯人逮捕出来て、良かったよなぁ」
わざとらしく笑い、さっさと行ってしまう。その後ろ姿を、正太郎は恨めしげに睨んだ。
これもまた、自分に降り注いだ不幸なのかもしれない。
溜め息を吐く正太郎の左腕を、何かが撫でていった。
まるで慰めるような感触に、正太郎は己の左腕を擦り返す。それから祝の後を追い、夕暮れに染まる道を進んでいった。
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