第四話


 その日の夕方。正太郎しょうたろういわいは、富久住ふくずみ駄菓子店を訪れた。


「いやぁ、ありがとうなぁえっちゃん。お陰で無事鎌鼬かまいたちを捕まえられたよぉ」

「いえ、私は何もやっていませんよ。頑張ったのはむぅ太郎ですから。ね、むぅ太郎?」


 正太郎の頭の上で、むぅ太郎は得意げに鳴いた。


「……協力、感謝する」


 生太郎は帽子の鍔を掴み、むぅ太郎ごと可愛えのへ差し出す。


 可愛は一つ頭を下げてから、両手を開いた。掌の上へむぅ太郎が飛び移る。見事着地を決めると、ただいま、とばかりに円らな瞳をぱちくりさせた。


「はーいお帰り。お疲れ様」


 可愛は、むぅ太郎の真ん丸な体を撫でる。

 むぅ太郎は気持ち良さそうに目を瞑った。かと思えば、可愛の手から飛び降り、近くの木箱へと移動した。何度も飛び跳ねては、「むぅー」と何かを訴えている。


「あぁー、はいはい。分かった分かった。えっちゃん、そのかりん糖、二人分くれや」

「はい、ありがとうございます。かりん糖が二人分で、一銭です」


 可愛は木箱の蓋を開け、新聞紙で作ったお手製の紙袋へかりん糖を入れていく。


「ほらよ」


 一銭を支払った祝は、二袋に分けられたかりん糖を受け取る。


「おら、吉瀬きせ

「え、いえ、私は」

「遠慮すんなって」


 片方の紙袋を押し付けられ、正太郎は眉を下げる。


「ん、美味ぇ。流石は富久住さんの駄菓子だ。タマがもりもりかっ食らうのも分かるわぁ」


 タマとは、祝の妻、珠子たまこの事である。小柄で物腰の柔らかな、正に大和撫子といった風貌の女性だ。

 しかし、見た目に反してその実力は凄まじく、結婚する前は実家の根来ねごろ体術道場で師範代も勤めていた。銀座の鬼天狗と名高い倉間くらまも認める程の猛者である。


「ありがとうございます。そう言って貰えると嬉しいです」


 可愛の掌へ戻ってきたむぅ太郎も、「むぅー」と嬉しそうに真っ白い毛を揺らした。


「ほら、吉瀬もさっさと食っちまえよ」

「はぁ……では、いただきます」


 正太郎は、かりん糖を一つ摘まんで齧る。小気味良い音と、黒砂糖の独特な甘みが口の中に広がっていく。


「どうだ、吉瀬。美味ぇだろぉ?」


 目を瞬かせる正太郎に、祝は口角を持ち上げた。


「……はい。思っていたよりも美味しいです」

「お前、そこはただ美味いって言えばいいんだよ。一言多い奴だなぁ」

「すみません。なにぶん、かりん糖なんて久しぶりに食べたものですから」


 口に残る余韻を楽しみながら、生太郎はかりん糖へ目を落とす。



「……しかし、何故かりん糖なんだ?」



 確かに、幼い頃食べたものより味はいいかもしれない。だが所詮は駄菓子だ。二人分でもたったの一銭。事件解決の依頼料としては、破格としかいいようがない。



「多分、今日はかりん糖の気分だったんじゃないですかね」



 可愛は、真ん丸な毛玉をぽんぽんと叩いた。


「最近、かりん糖を食べてくれる子がいなかったんですよ。ほら、文明開化したお陰で、昔からあるものって敬遠されているじゃないですか。子供達も西洋菓子に憧れがあるみたいで、昔からあるお菓子はあんまり人気がないんですよね。だから、むぅ太郎もが食べられなくなっちゃって」


……かりん糖の、幸せ? 不思議な表現に、生太郎は目を瞬かせる。


「あれ? 吉瀬さん、祝さんから聞いていませんか?」


 正太郎は、吉瀬を振り返った。吉瀬はかりん糖をむさぼりながら、悪ぃ、と片手を立ててみせる。

 じとりと睨む正太郎。可愛も苦笑している。



「えっとですね。ケサランパサランという妖怪は、幸せを食べて生きているんですよ。人から零れ落ちた幸せを」



 徐に、むぅ太郎の真っ白い毛を撫でる。


「あ、零れ落ちたと言っても、悪い意味ではないですよ? ほら、傍から見ても幸せそうな人っているじゃないですか? あれって要は、胸に込み上げた幸せが、体の外へ溢れ出ている状態なんですよ。そういう、有り余った幸せ、とでも言えばいいですかね? それを、ケサランパサランは糧にしているんです」


 忙しなく目と手を動かしては、自分の言葉に自分で頷いている。


「むぅ太郎は、駄菓子を食べて喜ぶ子供達の幸せが特に好きなんですよ。自分の姿が見えないのをいい事に、駄菓子を買った子の傍に寄っては、むぅむぅ飛び跳ねるんです。お目目を輝かせて、白い毛を躍らせて、もう本当に嬉しそうなんですよ。それで私の手の上に戻ってくると、満足気に唸るんです。これがまた可愛くて」

「おーい、えっちゃーん。話が脱線してるぞぉー」

「あ、失礼しました」


 自分の口を押さえ、照れ笑いを浮かべた。


「えっと、まぁそういうわけで、むぅ太郎は駄菓子を食べた幸せのお零れを頂いているわけなんですけど、この幸せも、食べた駄菓子によって味が違うみたいなんですよね。人間も、ずっと同じものばかり食べていては飽きるじゃないですか。そんな感じで、むぅ太郎も最近の売れ筋駄菓子の幸せには飽きてしまったので、こうして人気の低いかりん糖を選んだのだと、思います」

「……つまりは、売れない菓子をていよく処理している、という事か?」


 途端、むぅ太郎が鋭く鳴き喚いた。

 可愛の掌から飛び降り、正太郎に体当たりをかます。


「うわっ。こ、こら、止めろっ」


 しかしむぅ太郎は、陳列棚や木箱を駆使して、多方向からの攻撃を繰り出していく。


「お前なぁ、流石にそういう言い方はねぇだろうよ」


 祝は肩を落とし、大きな溜め息を吐く。


「ごめんなぁ、えっちゃん。後できちんと叱っとくからよぉ」

「いえ、大丈夫ですよ。そういう面が全くないわけでもありませんから」


 可愛は苦笑いで手を振る。


「でも、むぅ太郎自身は、本当に食べたかったから選んだだけですよ。他意はありません。なのにそうやって邪推されては、むぅ太郎だって怒りますよ」

「むぅーっ」

「わ、悪かったよ。私が悪かった、すまない」


 むぅ太郎は、円らな瞳を据わらせて正太郎を睨む。もう一度低く唸ると、身を翻して可愛の元へ戻った。

 掌の上で頻りに揺れる白い毛を、可愛は宥めるように撫でていく。


 正太郎は、ほっと胸を撫で下ろした。食べ掛けのかりん糖を口の中へ放り込み、残りは懐に仕舞う。


「んあ? 何だ吉瀬。食べねぇのかぁ?」

「えぇ。まだ仕事中ですし、いつまでもここにいるわけにはいきませんから」

「でも、食べておいた方がいいと思うぞぉ?」

「いえ、大丈夫です。腹は減っていませんので」

「そういう意味じゃあねぇんだが」



「こんばんはー」



 不意に、店の戸が開かれた。

 見れば、洋装の少年が店内へと入ってくる。


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