第二話
「あ、
翌日。
少年の隣では、母親らしき上品な女性が頭を下げる。人力車を引く車夫も、巡査の二人に会釈をした。
「おぉ、
「うん。お爺ちゃんの新しい白衣と、僕の薬研を取りに行くんだ」
「おー、そうかぁ。気を付けて行ってこいよぉ」
「ありがとう。祝さんもお仕事頑張ってね」
すれ違い様に、またお互い手を振る。遠ざかる人力車を、生太郎と共に見送った。
「知り合いですか?」
「あぁ。
笑う祝に、生太郎は曖昧な相槌を打つ。
生太郎は、未だにどこへ行くのか知らないでいた。聞いても教えてくれないのだ。
先程の親子を見る限り、ある程度敷居の高い場所なのかもしれないが、しかし、洋服を着られる程金持ちの家の子供が行く場所など、皆目見当が付かなかった。
しかも、
大通りから遠ざかれば遠ざかる程、辺りからは西洋の香りが薄れ、古き良き日本の姿に変わっていく。
巡羅で毎日訪れているが、その度に生太郎は、江戸と明治を行き来しているような感覚を覚えた。江戸生まれの人間に言わせれば、江戸に明治が紛れ込んでいる、とも感じるらしい。
不思議なものだ、と考えていると、唐突に、祝は踵を返した。建物と建物の間にある、狭い路地へと入っていく。
「ちょっとごめんなぁ。通してなぁ」
寛いでいた野良猫達を跨ぎ、真っ直ぐ進む。正太郎も、戸惑いながら祝に続いた。
反対に抜け、祝はまた歩き出す。この辺りは民家が多く、建物も日本らしい木造家屋だ。大通りと違って店が少ないせいか、人気がなく、静かである。
「……一体、どこまで行くんですか?」
「んー、もうすぐそこだよ。そこの角を曲がってすぐ」
祝が指差した所を曲がれば、真っ直ぐ進んだ先に、先程人力車と行き合った通りが小さく見える。
何故こんな遠回りをしたのだろう。不思議に思いながらも、正太郎は祝の背中を追い掛けた。
すると不意に、正太郎の左腕を、何かが撫でていった。
「ほい、到着」
立ち止まった祝が、笑顔で左を振り返る。
そこには、小さな店があった。看板には、
「……ここが、目的地ですか?」
こんな店で、どう事件を解決するというのか。
そもそも、こんな駄菓子屋なんて、あっただろうか。
眉を顰める正太郎を余所に、祝はさっさと店へ入った。六畳程の空間に置かれた陳列棚や木箱、吊るされた玩具をすり抜け、奥の戸まで真っ直ぐ向かう。
「おーい、こんちはー」
「はーい、いらっしゃいませー」
とたとたと足音が聞こえ、戸が開く。
「あ、祝さん。こんにちは」
「こんにちは。いらっしゃいませ」
「あ、あぁ、こんにちは」
「えっちゃん。こいつ、俺の後輩で
何が安心してくれなんだ。正太郎は横目で睨むも、祝は笑うばかり。
「はじめまして。私はこの店の娘で、富久住
「私は吉瀬正太郎だ。こちらこそよろしく」
深々と頭を下げる可愛へ、正太郎は帽子の鍔を摘まみ、軽く持ち上げてみせた。
「今日はえっちゃんが店番なのか? ばーちゃんは?」
「お婆ちゃんは今、入院していまして」
「えっ、嘘だろ? どっか悪いのか?」
「それが、足の骨を折っちゃったんですよ。そこの出っ張りに躓いて、転んだ拍子に」
可愛は肩を竦め、苦笑する。
「治るまでしばらく掛かるみたいですけど、でも大丈夫です。お婆ちゃん自体は変わらず元気ですし、すぐに帰ってきてやるーって意気込んでますから」
祝はほっと胸を撫で下ろし、垂れ気味の目を安堵で垂れさせた。
二人が笑う度、店内には和やかな空気が溢れていく。会話も弾み、中々止まらない。
そんな彼らから一歩離れ、生太郎は所在なく立っている。手持無沙汰に店内を眺めてみるも、そこは至って普通の駄菓子屋。事件解決に繋がる糸口があるとは思えない。
祝は一体何を考えているのだろう、と眉間の皺も深まっていった。
その時。
店の隅に、何やら白くて丸いものを発見する。
猫でも寝ているのだろうか。正太郎は、微かに上下する真っ白い毛玉を見つめた。
と、不意に、白い毛の隙間から、円らな二つの瞳が姿を現す。
毛塗れの丸い物体と目が合い、正太郎は呼吸も忘れて、硬直する。
「……むぅー」
鳴いた。
正太郎はぎょっと顔を引き攣らせる。思わず後ずさり、すぐ傍の棚に尻をぶつけた。
「んあ? どうした吉瀬?」
「い、祝さん……あれ……あれ……っ」
正太郎が指差す方向を、祝と可愛は見やる。
「あぁ」
可愛は目を輝かせ、掌を合わせた。
「吉瀬さんも、むぅ太郎が見えるんですか?」
「む、むぅ太郎?」
「
正太郎は、何度も首を縦に振る。
「そうですかぁ、見えるんですねぇ。あ、だからうちに連れてきたんですか、祝さん?」
「まぁ、それもあるが、あいつの力もちょいと借りれたらなぁと思ってよ」
「分かりました。じゃあ、ちょっと聞いてみますね。むぅ太郎、おいでー」
手を叩いてから、掌をむぅ太郎と呼ばれた白い毛玉へ差し向ける。
するとむぅ太郎は、兎のように飛び跳ねながら近付いてきた。一段と大きく跳ね、可愛の両手の上に着地する。
「ねぇ、むぅ太郎。祝さんが、むぅ太郎の力を貸して欲しいんだって。どうする?」
むぅ太郎は「むーぅ」と丸い体を器用に傾け、円らな瞳で宙を見上げる。
それから掌から飛び降り、近くに置かれていた木箱へ乗った。鳴きながら何度も跳ねる。
「かりん糖を買ってくれるなら、いいそうです」
「かりん糖な。いいぞいいぞぉ」
むぅ太郎は、やったー、と言わんばかりに木箱の上で飛び跳ね回った。
「じゃあ、早速連れて行きますか?」
「そうだな。頼めるか、むぅ太郎?」
「むぅーっ」
「任せろって言ってます」
「うっし。んじゃあ任せたぜぇ」
むぅ太郎はもう一鳴きすると、木箱から降りた。ぽよんぽよんと跳ねながら、祝に近寄っていく。
「あぁ、悪ぃ。今日は俺じゃなくて、こいつな」
祝の指差した方向を、むぅ太郎と可愛は振り返る。
途端、正太郎の肩が揺れた。
「あ、そうなんですか。むぅ太郎、吉瀬さんだって」
むぅ太郎は「むぅー」とその場で反転した。真っ白い毛を靡かせ、正太郎目指し進む。
その分、正太郎は後ろへ下がっていった。
「おいおい吉瀬ぇ、なに逃げてんだよぉ。じっとしてろってぇ」
「そ、そんな事を言われましても……そもそも、な、何なんですかこいつ、うわっ」
大きく跳ね上がったむぅ太郎に、正太郎は体を仰け反らせる。
「吉瀬さん。むぅ太郎は、ケサランパサランですよ」
「ケ、ケサラン、パサラン?」
「はい。幸せを運ぶって言われている妖怪なんですけど、知りませんか?」
「名前だけは知っているが……こいつが?」
眉を顰め、白い毛玉を見下ろす。
「むぅ太郎は、正真正銘ケサランパサランですよ。その証拠に、今まで何度も犯人逮捕のお手伝いをしてきたんですから。ね、祝さん?」
「おー、そうそう。むぅ太郎の力を借りると、あっという間に事件が解決するんだよぉ。一番早い時だと、店を出て百数えない内に終わったなぁ」
「……まさか、そんな」
「そのまさかを、このむぅ太郎はやってくれんの。なぁー、むぅ太郎?」
むぅ太郎は「むぅー」と毛玉な体を、得意げに踏ん反り返らせた。
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