一斗缶焚書に見える父子の会話

 一斗缶の中で炎がうなりをあげている。

 父親と息子が一斗缶を囲んで無言のうちに暖をとっている。父親の傍らには、これから一斗缶にくべられる燃料が置いてある。壊れたカラーボックス、新聞紙、ダイレクトメール、使用済みの割り箸、雑誌が数冊……。

 父親が雑誌を一冊、息子の目の前でページをはがすように裂いては一斗缶の中に入れていく。雑誌はわずかに炎色反応を起こして、あっという間に真っ黒な灰になる。

 父親が雑誌を裂いて一斗缶に放り込むのを、コールマンのアウトドアチェアに体育座りをする息子が残念そうに眺めていた。

 父親は無表情だ。黙々と、目の前の一斗缶に燃料をくべていく。

「お母さん、怒ってたなぁ」

 父親が独り言のように息子に語りかけた。

 息子は父親の手元をジッと見ている。語りかけている間にも、雑誌は数ページずつ剥がされてもうもうと燃える一斗缶の中へと放り込まれる。

「まあ、しょうがない」

 火ばさみで灰をかき回し、一斗缶の中に空間を作る。底に作った空気穴からわずかに灰がこぼれ落ちる。息子にはそれが妙に自分の心を表しているように感じられた。

 父親が千切っている雑誌は、息子が密かに拾ってきたエロ本だった。

 最近、学校から帰ってくると同時に自室へこもる息子の様子を見て疑問に思った母親は、息子の留守に部屋内を捜索したのだった。思春期の男子の部屋らしい臭いがこもった部屋に母親は確信し、傍目には見えないけれど物を隠しやすい場所を探したところ、あれよあれよという間に、エロ本が発見されてしまった。

 母親の観察力や勘というのは、男性からしたら先天的に備わっているとしか思えない、ある種神がかり的な所業である。母親は母親がまだ父親の恋人であったころから常に一種の超能力を有していて、あれこれ苦労して隠すアダルトグッズをあっという間に見つけ出してしまう。アダルトグッズだけでなく、浮気の証拠や夜の街に行ったことですら余裕で見抜き糾弾する姿は、紛うことなきエスパーである。

 女性の嗅覚とでも言うべきその察知力を最初に感じるのは、エロ本の場所を探し当てられることかもしれない。少なくとも、この親子にとってはそうだった。

「お母さんは昔からそういうのに敏感だった」

「お父さんも、見つかったの?」

「ああ。……ここからは、俺とアキノリの二人だけの秘密の話だ。いいか?」

 息子に話しかけるために、父親はアウトドアチェアに座る身体をわずかに屈めて、それから声を小さくした。

 息子は体育座りの身体を少し前にずらして、それから何も言わずに父親の言葉に頷いた。父親が口に人差し指を当てていたからだ。

「お母さんはな、まだアキノリが生まれてくる前から勘が鋭かったんだ」

「勘が鋭いって?」

「あー……例えばだな、お父さんがアキノリのようにどこかからエロ本を拾ってくるとするだろ?そうすると、お母さんは絶対に見つけ出すんだ。そして、お父さんに向かって怒り出す。何でこんなものを拾ってくるのか!ってな」

 息子はその様子がありありと想像できた。

 なぜならつい先ほど母親に自分の拾ってきたエロ本が発見されて、こっぴどく怒られたからだ。

 母親は割と口うるさくて、息子は何か粗相をするたびに怒られてばかりだったが、今度ばかりはだいぶこたえた。それは母親の怒り方が尋常ではなかったからではない。自分が拾ってきたエロ本という宝物が母親によって簡単に発見され、蹂躙されたことで、子どもらしいプライドがポッキリと折れてしまったこと、それに発見された宝物がエロ本であるがゆえに、心の繊細な部分に土足で踏み込まれたように感じたこと。この二つが、息子の気持ちをかき乱していた。

 今やかつての宝物は父親の手によって引き裂かれ、燃えるゴミとして火にくべられている。

 拾われたエロ本は、それを価値のある物とする人以外に見られた途端に輝きを失う。これはエロ本の本来の機能であるエロスを求めるという行為とは何の関係もなく、思春期特有の性への欲求と、大人に対する反抗が生み出した後ろ暗い結束の中に価値が生じるためだ。チューリップの品種改良と投機によって生じたバブルのように、拾ったエロ本は、思春期というわずかな期間にのみ価値が生じるものだ。誰でも買えるようになってしまったら、エロ本を拾う行為はゴミを拾う行為と何も変わらなくなる。

 だからこそ、拾ったエロ本はある特定の時期だけ儚くも美しい価値を持つ。

 幼いころに出会った妖怪のように、あるいは学校にしか存在を許されない怪談のように、未成年にしか意味をなしえない謎の言葉のように、拾ったエロ本はその時だけに意味をなす。

「実はな、アキノリ」

 父親はさらに体を屈めて息子の方に身を寄せた。手に持っていたエロ本を丸ごと一斗缶の中にくべると、既に灰となったエロ本がちらちらと舞い上がり雪のように辺りに散っていった。

「お父さんも、昔に拾ったことがあるんだよ、エロ本」

「そうなの?」

 父親は、母親と約束をしていた。

 息子が隠し持っていたエロ本についてどのように怒るか。それは、息子をもつ親の通過儀礼のようなものだ。無視してしまうのも方法の一つではあるが、母親はそれを許さない。子どもの読むようなものでは無いエロ本を隠して持って帰って宝物にしようなどという事は、悪事であり、咎められるべきことだと主張するのである。

 しかし、かつて一人の息子だった父親としては、息子がエロ本を隠し持つという行動が身に染みてよく分かる。

 そこで、役割分担をしようと母親は提案したのだ。

 母親は息子のことを怒る。もちろん、拾ってきたエロ本は処分させる。代わりに、父親がエロ本を拾ってきた息子に対して同情するのであれば、慰めるのは任せる。

 普段から、叱って躾をするのは母親だった。父親は、よほど酷いことを息子がしない限り、矢面に立って息子を叱ることはなかった。同時に、褒めて躾をするのも母親の役目だった。あまり子育てに参加できていない父親にとって、こういうチャンスは、頻繁にあるものではない。

「なぜか知らないが、いつの時代も、エロ本は捨てられているんだよなぁ」

 しみじみと語る父親の言葉に、息子は体をさらに傾けた。傾けすぎてアウトドアチェアから落ちてしまうかと思われるほどに傾けた。

「ほら、危ないぞ」

 アウトドアチェアが前のめりになると、一斗缶にぶつかってしまう。父親は息子の身体を腕で押さえて、それからチェアごと息子をこちらへ近づけた。

「お父さんも、高架下とか、林の中にエロ本を見つけてたの?」

「そうなんだよ。ああいうところには、きっとエロ本おじさんが現れやすいんだろうな」

「エロ本おじさん?誰それ?」

「あー、さすがに今はそういう言い方をしないのか。エロ本おじさんって言うのは、エロ本があるような場所にエロ本を捨てていくおじさんのことだ。誰も見たことはないんだけどな、そこに落ちてるっていうことは、誰かがそのエロ本を捨てた、ってことだろう?じゃあそれはおじさんに違いない、ってな」

「ふうん……。僕はエロ本は土から生えてくるんだと思ってた」

「ははは、斬新だなァ」

「でも……そっかぁ、エロ本おじさんかァ……」

「誰も見たことがない、都市伝説のようなものだよ。この辺は田舎なのにな」

「じゃあ、妖怪だね」

 一斗缶の中で、パチ、と炎が爆ぜた。

「妖怪エロ本おじさんは、どうしてそこに捨てていくんだろう」

「そりゃあ、妖怪エロ本おじさんだからな、エロ本の良さを子どもたちに伝えようとしているんだろう。拾ったエロ本は、宝物だろう?」

「……うん。宝物だった」

 父親は、別のエロ本を手に取って、再び破り裂き、火にくべ始めた。

「宝物だった、か」

「持ってたらお母さんが怒るし、見つかったら何か……嫌だ」

「嫌、か。分かるぞ。例え親子の間でさえ、見られたくないことはあるもんだ」

 父親は、あえて無関心を装って、そのエロ本を引き裂いている。それは、性的嗜好が最も個人のプライバシーに係わるものの一つだと思っているからだ。性的嗜好が茶化されるのは、心の最もナイーブな部分に爪を立てられるようなものである。母親も当然それを理解しているから、エロ本の内容に関しては一切怒りを見せなかった。ただ、エロ本を読んで良い年齢ではないにもかかわらず、隠し持っていたということだけを叱った。

「ねえ、お父さん」

「何だ」

「他の家でも、見つかって燃やされたり、ゴミの日に出されたりするのかな?」

「さあな。エロ本の処分の仕方なんて、それぞれだろ」

 火の勢いが増したからか、父親はエロ本を次々引き裂いて一斗缶の中に放り込んでいった。

「……またエロ本を拾ってくるか?」

 父親が問うと、息子は押し黙って、一斗缶の中の炎を見つめた。揺らめく炎に照らされて、無表情な息子の顔にさまざまな陰影が浮かんでは消える。

「止めておく」

 息子の顔は依然無表情だった。

「そうか。まあ、買える年齢になるまで、お預けだな」

 今度は、どこかの書店で年齢を偽ってエロ本を買ってくるかもしれない。あるいは、女の子と付き合いだしてエロ本になんか興味が湧かなくなるかもしれない。

 いや、興味が湧かなくなるなんてことは、きっと無いだろう。父親は確信する。それは悲しい男の性質だ。エロ本でなくとも、エロコンテンツの溢れるこの時代、息子はどこかでエロコンテンツを手に入れるだろう。

 その時はまた、母親と画策して叱ればいい。今度はもっと反抗するかも知れない。

「バイバイ、エロ本おじさん」

 息子が一斗缶につぶやいた言葉は、父親にまでは届かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

畦道にエロ本を見つけるということ 雷藤和太郎 @lay_do69

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ