十六話 混沌宇宙世界
見渡す限り、漆黒の闇。
かといって何も見えない、という事でもなく、遠く離れた位置には点のように瞬く光がまばらに確認できます。ほのかで優しく、儚げなその輝きに、私は見覚えがありました。
「あれは……星……?」
赤や青、黄色や緑と色を変えてきらきらと煌めく、満天の星空。上も下も、星に囲まれています。
こんな景色、見た事ないです。幼い頃に流星夜を眺めに行きましたが、それよりもはるかに多くの美しい星雲が、宝石をちりばめたみたいに光っていました。
「……混沌宇宙世界だ」
「宇宙……?」
「地上の、もっと上にある空間。それが宇宙だ。だからこんなに星と近いし、形や色もよく見える。とはいえ宇宙は広大だから、残念な事に俺達の住む星は見当たらないが……」
宇宙。天文学や占星術などの書物に記された場所。そこに今、私は立っているわけです。
冒険の果てにいよいよ極めつけにスケールの違うところへたどり着いた気がして、胸の内からこみ上げる熱いものを感じました。
「ここも、レイトリスさんの作品の中……すごい、感動してます。でも、どうして混沌なんて……?」
「見ろ」
レイトリスさんが星と星の間にある闇に彩られた遠くの空間を示すと、そこには奇妙な何かが蠢くようにしていました。
ここからでも目にまぶしい極彩の体色を持ち、はさみのような腕を振り上げ、何本もの足をくねらせ、泳ぐようにじりじりと移動しています。
「スペースデブリを主な餌とする宇宙の掃除屋、ギャラクシー蟹だ。横にしか動けないが、奴の通った軌跡は全て綺麗になる」
「うわあ、おっきい……」
「あちらにあるぎらぎらした流れは、宇宙中から集まった金属が寄り集まり一つの潮流と化した、金河。そっちのゴミ溜め天体では星の元となる資源が多く流れ着くので、大量に惑星が生まれている」
「わあ、綺麗……」
私の見守る先で複数の青い星が膨れあがり、そして音もなく爆ぜて闇へ溶けます。
「あ、あれ……消えちゃいましたよ」
「とても遠くの出来事だからな……俺達がこうして観測する頃には、あれだけ多くの星が生まれ、人知れず消えているのだ。花火みたいで面白いだろう」
私達のいる星も、同じようなものなのでしょうか。どこかで誰かが目にする時の一瞬で生まれ落ちて、そして滅んで行く。そう思いをはせると、何だか神妙な気分になります。
「ロマンチックで、賑やかなところなんですね、宇宙って」
「そうでもない。まず空気がないし、この足場から落ちたら死ぬ」
えっ、と私が見下ろせば、ちょうど足が透明な板のようなものの上に立っているのが分かります。さっきのドアを抜けた後、この板に立てたから、こんなにのんびり眺めを楽しむ事ができていたのでしょう。急に怖くなってきました。
「あわわ……い、いきなり押したりしないで下さいね」
「そんな真似をするか。さっさと進むぞ」
レイトリスさんが歩き出します。注意深く観察すると板はうっすら奥の方まで道のように伸びていて、歩いた点から幾何学的な波紋が薄く広がっていました。
一本道のようですし、引き返す事もできないので、私もそーっとした足取りで進み始めます。
うっかりすると落ちてしまいそうなのは怖いですが、それでも宇宙は驚きと神秘に満ちていて、あちらこちらで不思議な生物が動き回り、あるいは見た事もないような現象が次から次へと発生していました。
「――突然口みたいな穴が開いたと思ったら回りの物体を吸い込んだり吐き出したりしちゃうし、大きな人の形をした機械が飛んでるし、音がしないはずなのにポップな歌声が聞こえたり……不思議ですね。でも、だんだん好きになってきました」
「そうか……」
「レイトリスさんは、どうしてこの混沌宇宙世界を作ろうと思われたんですか? やっぱり、この素晴らしさをみんなに伝えたいからとか……?」
レイトリスさんは口を開きません。どうしてか、ここまで至る世界の話になると、言葉を引っ込めてしまうような印象があります。それならばと、私は話題を転換させました。
「ところで気になっていたんですけど、これまで二回、子連れドラゴンを呼び出していますよね……? 同じキャラクターを連続で使うのには、何か理由があるのでしょうか」
「それは……」
レイトリスさんは答えようとして、むぐむぐと口ごもりました。数秒前までの頑なな態度とは何かが違い、私は自然と勢い込みました。
「当ててみましょうか。ひょっとして、あの騒動が関係しているのでは……」
あの騒動とはずばり、ドラゴンかませ化事件の事です。レイトリスさんは第千百十六巻の一万千五十三話の三百十六ページの四行目に子連れドラゴンを初登場させましたが、それが世界を巻き込むてんわわんやの騒ぎに発展してしまったのでした。
そもそも、ドラゴン滅亡記におけるドラゴンは哀れでみすぼらしく、何よりも蔑まれるべき存在です。なのにレイトリスさんはもはや共通観念と化していたそれをあっさりと覆し、ドラゴンをまるで人格や権利のある一登場キャラクターのように扱ってしまいました。その暴挙は重大かつ悪質なファンへの裏切りとして、怒り狂った読者達が暴動を起こし、一時は作品自体の絶版も懸念されたほどでした。
ほどなく出版社側から一応の謝罪が表明された事で騒ぎはいったん鎮静化しましたが、作者であるレイトリスさんからの声明はなく、いまだ不満と火種はくすぶり続けています。
なおも不満はやまず各地でドラゴンを訴えるための運動が起こり、その議題を裁判へ持ち込んで長々と争ったあげく、出版社側がこれからのドラゴン登場時は必ずかませ表記をつけると約し、ようやく事態を収められたのです。
怪我の功名というか、これを機にドラゴンは架空生物から現実に存在する生物として認められ図鑑に記載されるようになり、世界初の偉業としてレイトリスさんの名声は一層高まる結果になりました。
これが世に言う、業界そのものを震撼させた恐るべきドラゴンかませ化事件の全貌です。レイトリスさんはその間一貫して沈黙し、我関せずといった態度でいつも通り表に出てくる事はありませんでしたが、胸中は果たしてどうだったのでしょう。
今回、子連れドラゴンを何度も呼び出すのは、レイトリスさんにとって特別なキャラクターという思い入れがあるのだからではないのでしょうか。
「――そ、そんな事もあったな、そういえば……」
私が自らの考えを述べると、レイトリスさんは露骨に目を逸らし、ぽつぽつと語ります。
「俺は別に、気にしてはいないぞ。面倒な事になった、とは感じたがな……」
「それだけ、ですか?」
「他にどう言えというのだ。……まあ、ただ、何もあそこまで抗議する事はないだろうに、とは思ったとも。ほんのちょっと、子連れドラゴンを活躍させたくなっただけなのに」
……めちゃくちゃ気にしてるじゃないですか!
はじめ、私はレイトリスさんの事を、それは気むずかしい方と考えていましたけど……違うのかも知れません。
本当はとても繊細で、感受性が強いから、人とどう付き合っていけばいいのか戸惑っているだけで。もっと言えばレイトリスさんは嘘が苦手というか、人前で喋り慣れてないというか……うん、そこにも親近感を覚えます。
「おい、何をにやついている……!」
「いいえ、特には何も……でも、レイトリスさんの事が少し分かって来たような気がして」
私は心の距離が縮まったように思えて、好奇心の赴くままに質問を続けます。
「レイトリスさんから見て、グラヴヒルトさんはどんな人なんですか?」
「奴の情報なら、外部にさんざん露出しているだろう……出たがりだからな、あいつは」
「でも、親友のレイトリスさんにしか分からない事も、いっぱいあると思うんです」
「親友、などという凡俗の枠組みで測れるほど、我々はぬるま湯に浸かった間柄ではない……」
またレイトリスさんが小難しい言い回しをしていますが、話してはくれるみたいです。
「グラヴヒルトは器用で多才な男でな、絵や音楽、詩歌といった方面にも造詣が深く、それらの分野でも一定の評価を得ていた。小説一筋にのめり込んでいた俺と正反対だな……奴の部屋は雑多なもので満ちあふれ、足の踏み場もろくにないほどだ」
「じゃあ、アカデミー卒業後も顔を合わせたりはしていたんですか?」
「……まあ、奴がしつこく手紙で来い、と催促するものだからな。実際に足を運んだのは二度だけだが……表に出ている時の顔と違い、私生活の堕落ぶりは相当だぞ。いつも外泊、そうでなければ女を呼んで料理を作らせるものだから部屋の一つすら片付けられないし、お前も見た通り、とりわけあの私服のセンスはいただけない事この上ない……」
「ああ、あれはアーティスト性とかではなく、ただただセンスが壊滅的なだけなんですね」
思わず苦笑すると、レイトリスさんもつられたようにふっと口の端を歪めました。グラヴヒルトさんの意外な一面がつまびらかになったのももちろんですが、おかげでレイトリスさんとも打ち解けてこられたみたいで嬉しいです。
今まではどこか、そう――ハヅキさんのように感情を抑圧しているような重苦しさを感じていたのですが、こうしてグラヴヒルトさんの話題で屈託なくなっているあたり、レイトリスさんにとってはやっぱり特別な人なのでしょう。
……その割にはこっちの世界に来てから、圧死させたり墜落死させたりしちゃってますけど。
「後、どれくらい続くんでしょうか……日記帳はどこに」
曲線を描いて駆け抜けていく白黒の流星群を見送っていると、ホームシックというか、原因のはずの日記帳さえ恋しくなって来ます。こんなところまで来てしまって、日記帳一つで本当に帰れるんでしょうか。ロランさんやハヅキさん、みっちゃんは心配してくれているでしょうか。
絶えず変化を続ける景色とは裏腹に、後ろ向きのスパイラルに思考が及んでしまいます。
「……恐らく、これが最後だ」
「え……どうして分かるんですか」
レイトリスさんはうつむきがちで、答えません。顔色が優れないのが、こうして横顔を見るだけでも分かります。
冗談や適当で言った、という雰囲気ではないしそんな人ではないでしょう。ならもしかしたら、さっき拾った手帳に何か書かれていたのかも。
「あの……レイトリスさん、私――」
「ついたぞ」
先を行くレイトリスさんが足を止めました。私達の前方ではそれまで細道のようだった通路が一気に四方へ広がり、広場のような空間が形成されています。
そして奥にはこの宇宙にはどう見ても似つかわしくない、木製のドアがぽつん、と立っていて。
「……よくたどり着いたな! 待っていたぞ!」
物語の最後に待ち受けるボスみたいに、その前でグラヴヒルトさんが仁王立ちしていました。
またしても服装の色合いが変更されていますが、けばけばしく毒々しい組み合わせで、それが完璧にイケてると思っている風なのがより哀愁と笑いを誘います。
「なんとなく察しているだろうが、このドアの向こうにお前らが探しているものはある! だがそのためには、この俺を倒していかねばならん!」
「分かったから、さっさと刺客を呼べ。今度も子連れドラゴンで一蹴してやる」
「もちろんだとも。しかし……今のお前にそれができるかな?」
意地悪く嘲笑を漏らすグラヴヒルトさんの言葉に、レイトリスさんは一瞬顔をこわばらせ、声を落として。
「……何が言いたい」
「すでに分かっているはずだ。お前ではもはや、俺には勝てん! ここで朽ち果て、永久に暗黒をさまよう羽目になるのだーははは!」
「ちょ、ちょっと、おかしな事を言わないで下さい! レイトリスさんが負けるわけないじゃないですか、ここまで連勝して来ているのに……!」
それとも、この混沌宇宙世界で召喚される敵は、それほど強いのでしょうか。するとグラヴヒルトさんが初めて私の方へ視線を寄越し、やれやれと肩をすくめます。
「レイトリスなんかのファンを名乗るそこの小娘……何も知らないのか? 知らずに、ひたすらレイトリスの太鼓持ちばかりをして恥ずかしくないのか、ええ、レイトリス?」
レイトリスさんはグラヴヒルトさんを睨み据え、ぎりりと歯ぎしりします。何でしょう。私が知らない――つまり、レイトリスさんが何かを隠している、という事なのでしょうか。
「れ、レイトリスさん……?」
「お前が言えないのなら、代わって俺が答えてやろう! 何せ俺はお前の心象世界の一部……お前そのものなんだからな。じゃあ言うぞ。いいか、言っちゃうぞ?」
「よせ、グラヴヒルト――!」
「お前達が旅して来た三つの世界……これらは実は、レイトリス、お前の創作した作品ではない。そうだよなあ?」
グラヴヒルトさんを制止しようと声を上げかけていたレイトリスさんは、その一言で目を見開きました。私も私で、グラヴヒルトさんの言葉の意味が掴めず首を傾げて。
「え……そ、それなら、誰の……?」
「――俺のだよ、俺の」
グラヴヒルトさんが、親指を上げて自らを指します。何が言いたいのかまだいまいち読み取れず、私はかぶりを振りました。
「そ、そんなの、変ですよ……どうしてレイトリスさんの心象世界に、グラヴヒルトさんの……え? あれ、今ここにいるグラヴヒルトさんは、現実じゃなくて、なのに……」
現実でないとしたら、これらの世界は……まさか、そんな。思考がしっかり形を成すよりも早くその可能性が単語の羅列として浮かび上がり――愕然としました。
だって、それが本当なら、レイトリスさんは、つまり。
「レイトリスはな、長らくスランプ状態にあった。次の題材も見つからず、本も出せず、抜け殻のように彷徨する日々。だけども、そんな折りに見つけたんだ。この俺が作る――作るはずだった、三つの世界観。お前は運よくそいつを手に入れ、自分なりのアレンジを加えて、世に出そうとした。違うか?」
「レイトリス……さん? 本当なんですか?」
それじゃ、レイトリスさんが私の問いに度々答えを濁していた理由にも、見当がついてしまいます。それはあまりにも恐ろしい、触れてはならない禁忌と呼べる真実でした。
そんな事ありえない。作家界のトップを走るこの人が、そんな。否定して欲しいのに、レイトリスさんは拳を握りしめてうなだれ、反論もしません。
「なあ。その行為の事をなんて言うか知ってるか? ……盗作って言うんだよ、この恥知らずが。お前ほどの男が落ちぶれたもんだ。だっていうのに、その小娘の前では、さも自分がゼロから作り上げたかのように、得意顔で解説していた。これが喜劇でなくてなんだ」
レイトリスさんは死人のように蒼白な表情で、力なくグラヴヒルトさんを見ます。次の刹那にはがくりと膝がくずおれ、地面に手を突いてしまいました。
私は信じられない、という思いとともに、そうだったのか、という気持ちにもかられていました。
違和感はあったのです。レイトリスさんの態度――世界観に関しての細かな設定や、その発想に至るまでの過程。それらが曖昧にぼかされていたのは、そもそも自作品でないから。
そう、グラヴヒルトさんの作ったものをありのまま持って来ただけなのだから、表面上の作りは理解できても、些細な心の揺れ動きや情緒、伝えたい魅力などが分かるわけもありません。だから答えられなかった。そういう事なのでしょうか。
それだけではないです。慣れ親しんだレイトリスさんの作品にしては、作風が違いすぎるというか。ディテールを積み重ね、伏線を張り巡らせる理論型の作劇に比べ、通って来た世界の一つ一つはあまりにも奇想天外で、
「違う……俺は」
「ここは生きていない世界。ただ設定という舞台装置があるだけで、どれほどそれが緻密でも、演者がいなければ物語もない。鏡面世界は変化のない無人廃墟も同然、浮遊大陸は地上人と空中人が延々殺し合っているだけだし、混沌宇宙空間は崩壊と再生を繰り返すのみ。停滞、退廃、変化がない。かといってお前にストーリーが紡げるわけもない」
「ああ……ああ、そうだ、盗んだ! お前から盗んだ! 全部、その通りだ……!」
「レイトリスさん……」
私はなんとも言えずもの悲しく、うちひしがれるレイトリスさんを見つめました。
そこまで追い詰められていた、というのでしょうか。竹馬の友ともいえる人の、命を削って描き出した作品を奪い取ってまで、小説家としての名声にこだわった、とでも……。
「……なあ、グラヴヒルト。どうしてお前は死んだんだ。それさえなければ、俺は今も」
「――え……?」
そのセリフに、私は一瞬頭の中が真っ白になりました。グラヴヒルトさんが、死んだ……って?
「ああそうだよ、俺はとっくに死んでる。なんだ、知らなかったのか? レイトリス以外の作家の事は、どうでもいいってかぁ?」
「そ、そんな事……! でも、本当……なんですか……?」
レイトリスさんは視線を落としたまま、小さく頷きました。
「奴が不治の病にかかっている事を知らされたのは、死んだ後かなり経ってからだ。その日、俺はいつものように執筆活動に勤しんでいて……前触れもなく、訃報を聞かされた」
「そ……んな」
「長年のライバルだったグラヴヒルトが、突然いなくなり……俺には何も浮かばなくなった。アイデアも、文章も、意欲そのものも。あいつを追い越すために、俺は書いていて、その目標がなくなればこうなるのだという事を、死にたくなるほど思い知らされた……」
口調は弱々しく懺悔するようでもあり、私は息を詰めて話を聞く事しかできません。
「奴の遺族、親兄弟に頼まれて、グラヴヒルトの墓参りに出向いて……それでも受け入れきれなかった。これからどうすればいいのか、呆けたままグラヴヒルトの部屋にまで行って、まだろくに片付けられていない、生きていた痕跡を無性に探して……見つけたんだ」
もしや、と私は浮かぶものがありました。一つ前の浮遊大陸で、落ちていた、あの。
「それって……あの手帳、ですよね。多分、グラヴヒルトさんの作品について書かれた」
「そうだ。あれにはグラヴヒルトが書く予定だった、三つの作品の覚え書きが記されていた。それこそが、鏡面世界、浮遊大陸世界、混沌宇宙世界……」
そういう事、だったんですね。グラヴヒルトさんは病にかかったままでも、執筆をやめずに、最後まで先の展開を考え続けていたのでしょう。それを書けずにこの世を去ったと考えると、とても無念という言葉だけでは言い表しきれないものを感じます。
「迷いはあった。無限にも思えるほどの。だが、それらはグラヴヒルトの生きた証そのもので、見なかった事にすれば、本当に奴がいなくなってしまうようで……話の設定自体も魅力的だった。やはり奴は天才なのだと確信できた。これがあれば、俺はまた書ける。書き続けられる。何事もなかったように――ああ、だから、もう分からなくなって……!」
「苦しいか」
その時、グラヴヒルトさんが尋ねました。それまでの人を小馬鹿にした笑みはなりをひそめ、鋭い眼光を放つ真顔です。
「ならば、終わらせてやろう。お前の愛した、我が世界の手によって……!」
グラヴヒルトさんが腕を上げた途端頭上の空間がぐにゃりと螺旋状に歪み、続けざまに衝撃波が発生するとともに、隕石でも落ちるような重量とゴムのような弾力を伴う何かが降り立ちます。
クラゲか、クリオネみたいに透き通った、それは丸々とした家ほどもあるサイズのナメクジめいた生物。宇宙をそのまま押し込めた風に体内では無数の光が瞬き、中心には異形を思わせる頭蓋めいた物質が浮き、二つある眼窩の空洞からは煌々とした輝きが漏れています。頭部らしき部位からは二本の触角が伸び、やはり内部は透明ですが一本の線が太い血管のように走り、先端まで淡い光を巡回させていました。
「見よ、この奇跡の造形を! こいつこそが混宙星人メヘカーン! 原初の生命にして終焉を司る運命! お前に終わりをもたらすものだ!」
メヘカーンは身体の下部をうねうねさせて、レイトリスさんへ近寄っていきます。このままでは、あの巨体にあえなく轢き潰されてしまうでしょう。
「レイトリスさん、逃げて下さい! こ、殺されちゃいますよ……!」
「無駄だ。その男は失意に沈み可能性を途絶えさせた。行き詰まった芸術家の哀れななれの果てでしかなく、何の言葉ももう届かん。後は引導を渡してやるのが慈悲というもの」
「で、でも……!」
あわや絶体絶命の窮地。その時、宇宙の向こうから飛来してくる影がありました。
その影はメヘカーンと向き合うように着陸し、身構えます。その胴長短足の後ろ姿は、間違いありません。
「子連れドラゴン……! レイトリスさんは呼んでいないのに、どうして……?」
「ふ……たとえ呼ばれずとも、それでもレイトリスを守ろうと駆けつけて来たようだな。それが示すのは奥底にいまだくすぶる矜持か。心と心の戦いというわけだ!」
アバンナはバッグと鉈を置いて、にじり寄るメヘカーンへ飛びかかります。地面の板を踏み割らんばかりの踏み込みと、満身の力が籠もった拳を、目の前の敵へ叩きつけようとして。
「だがこんなものはただの残りかす! 弱ったレイトリスの意志では、元の力がどれほど強かろうとろくに動けまい! ――蹴散らせメヘカーン! 宇宙ショックウェーブスーパーをくらわせろ!」
グラヴヒルトさんの命令を受けて、メヘカーンは触角を不気味に蠢かせます。すると空間が激しく鳴動したかと思うと、円状の波が放射されるように襲いかかって来ました。
それをまともに受けたアバンナは動きを止め、体内へ潜り込んで暴れ狂う攻撃に身をよじります。
肉体が限界を超えて膨張し収縮し波打ち、内臓に至るまで破壊され尽くす様は誰が見てもひとたまりもなく、ようやく攻撃が収まった後のアバンナはおしりを上にしてうつぶせに倒れ込み、子ドラゴンともども大量のページへ姿を変えて消滅してしまいました。
「ふん、あっけなかったな……」
「そ、そんな……今まで勝って来たのに、こんなに簡単に……!」
「それだけこの男が我がメヘカーンには勝てない、と理解しているという事だ。いや、ようやく直視する気になった、というところか?」
邪魔者を排除したメヘカーンが、改めてレイトリスさんへ距離を詰めていきます。なのにレイトリスさんは見向きもしません。
「ま……待って下さい!」
私は反射的に走り出て、両者の間へ立ちふさがりました。
「……なんだ、小娘。お前には用はない、下がっていろ!」
「れ、レイトリスさんは殺させません! そんな事させないです!」
よせ、と声を発したのはうずくまったままのレイトリスさんでした。
「もう、これでいい。俺は……死んで永遠になった奴には、生涯勝てない。超えるべき試練も目標もないのに、生きていても仕方がない……」
「グラヴヒルトさんならここにいるじゃないですか! どうして戦う前から負けを認めてしまうんです!」
「そいつは本物じゃない……勝利したとしてももむなしいだけだ」
「レイトリスさんにとってグラヴヒルトさんは、ちょっと死んだくらいで記憶から忘れ去ってしまうような、そんなどうでもいい存在なんですか?!」
「それは……違う、が」
だったら、と私は腹の底から声を高めて叫びます。
「そんな風に諦めないで下さい! 私の知ってるレイトリスさんはこれからも素晴らしいお話を書いて、私の単調で孤独な日常に目の覚めるような彩りを添えてくれるんです! つまづいても、何度でも立ち向かう事を、私はあなたの本から学んだんですから……!」
「ジェシカ……」
「あなたが戦えないなら、私が戦います! イメージが何よりも大切だっていうなら、私にだって――!」
私はメヘカーンを睨み付けたまま、星の光へ高々と手をかざしました。
「来て、もう一度だけ! 子連れドラゴン……!」
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