十五話 浮遊大陸世界
「……空……と海?」
視野いっぱいに広がっていたのは青々とした空と、彼方まで続く水平線。さっきまでのお菓子と玩具の空間も、頭上にある逆さの町も何もなくなっていて、私はあっけにとられました。
「じ、地面が……ない……!」
ありえない事に、今度は下に陸地がないのです。全て、海。後ろを向けば通って来たアカデミーの出入り口は消え去り、代わりに威圧的な石造の城砦が佇立していて、私達はその胸壁の一つに立っているみたいです。
ですがこの城砦がある場所、つまり大陸は――海がはるか下方に見えるくらい高い位置で、宙に浮いていました。
「……浮遊大陸だ」
レイトリスさんが腕を伸ばし、周辺を示します。見れば城砦の周囲にも同じように、地面からそのまま持ち上げて来たような大陸が二つ三つ四つ、両手指くらいの数が浮いていました。遠目にもそれらの大陸には城や町、砦など人の住めそうな地区が散見されます。
「まさかここも、レイトリスさんの……!」
「俺の心象の中にして、作品の続きというわけか……」
理解を超えた風景に二の句が継げずにいると、左手の方で喚声が上がりました。何事かと身をすくめながら見やれば、雲の上からぬっと下降してきた新たな大陸から、無数の黒い影が翼を広げて飛び立ち、私達のいる大陸へと殺到して来ているではありませんか。
よくよく観察すれば、その黒い影は人間を一回り大きくしたような背格好で全身が黒く、それぞれが剣や槍といった武具を手に、強靱な翼を上下させて滑空しています。
一方で私達のいる城砦からは屈強な甲冑を着込んだ人達――こちらは普通の人間の姿――が現れ、城を守る兵士のように襲い来る黒い生物達と戦いを始めていました。
「あ、あれ、な、なんですか、一体何がどうして……うう、ひどい……!」
空中を自在に飛び回る黒い生物達に対して、城の兵士達は陣形を保って迎撃する以外は防戦一方で、たちまち薙ぎ倒され、あるいは大陸から引きずり落とされ、悲鳴を上げながら海へと落下していくのです。
生々しく凄惨すぎる戦場に恐れおののく私は、口元を抑えて声を引きつらせながらレイトリスさんに説明を求めました。
「……過去、地上で暮らしていた地上人達は技術の発展に傾注するあまり、土の一片まで資源を使い尽くしてしまった。生きるよすがを失いかけたが、空には浮遊する大陸で生きる空中人がいた。地上人達は空中人に戦いを挑み、こうしてどちらの種族が先に滅ぶか、奪い奪われの生存競争となっているわけだ」
「そんな……え、それじゃあ地上人って……」
「こちら側の、翼のない人間だ。逆に空中人はあの、黒い翼を持った者達。今のところ、空中人の方が優勢なようだが」
レイトリスさんの言葉が途切れた直後、私達の真上の雲の切れ間から、巨大な大陸が墜落もかくやというスピードで降下して来ます。
レイトリスさんに押し込まれるようにして胸壁に伏せ、出っ張りに掴まって衝撃に備えた私は、世界が吹き飛ぶような轟音と震源に身も世もなく絶叫しました。
落ちて来た大陸はすぐ背後にあった堅牢そうな城砦を天井や壁ごと押し潰し、さらに現れた空中人達が呆然とする地上人達を蹂躙し始めています。
「も、もう……やめさせて下さい、こんなの……うぉえっ!」
続く揺れやエスカレートする惨劇に吐き気を催しながらも壁にすがって立ち上がりますが、地上人側の抵抗も粘り強いものでした。
崩壊した城砦から瓦礫を断ち割り、鈍い漆黒の鉄腕が二本、陽光を照り返し天を突くように伸びていきます。
鉄塊の巨腕は群れ寄る空中人を振り払いながら突き進み、激突して来た空中人の大陸めがけ、鮮やかなアームロックを繰り出しました。
めりめりと破壊的なきしみを上げさせ、大陸が次第に放射状のヒビだらけになっていくと、次の瞬間真っ二つに割れてしまいます。
あたり一面が揺れ動いて粉塵、煙が立ちこめ、土や石や空中人の破片が雪崩を打って飛散し、この世の終わりすら私は覚悟しました。
「地上人は空中人と違い大陸を浮かせる固有のエネルギーを持たず身体能力も何歩か譲るが、地上の資源を使い尽くして得た技術で浮力を補い、機械の力で生き延びて来ているのだ。この大陸もここからは見えないが、実は二本の鋼鉄の足で移動しているぞ。他にも」
レイトリスさんが指差すいくつかの大陸には、よく見れば大陸の両側に材質は不明ですが何枚もの人工的な金ぴかの翼がはばたき、空中人の大陸へ体当たりを仕掛けていたり、より高度がある大陸には雲を突き抜けるくらいのサイズの気球が取り付けられ、ふよふよと漂いながら下方の空中人へ矢を射かけています。
「こ、これも全部、地上人が……?」
「人力だ。生きるか死ぬかの瀬戸際で輝くマンパワーだな。中々馬鹿にしたものじゃない」
「へえー……って感心してる場合じゃないです、早く逃げないと私達も!」
というより前提として、逃げ場があるのでしょうか。何か船みたいなものがあれば、とは思いますが、ここの人達が簡単に貸してくれるとは思えません。ましてやこんな戦時に、と不安に思い始めると、レイトリスさんは迷う事なくきびすを返します。
「分かっている。とりあえず城内へ逃げ込もう……ここよりはましなはずだ」
地上人と勘違いしてか私達にまで飛びかかってくる空中人を振り向きもせず裏拳で叩き落としつつ、レイトリスさんが通路を駆け出します。私も不規則な振動に振り落とされないよう壁面にしがみつき、その後を死にものぐるいで追いかけました。
通路の先には兵士の詰め所と思われる塔があり、そこは飛んできた瓦礫にふさがれておらず、運良く潜り込む事ができました。飛び込んだ私達の後ろで胸壁の通路が地上人達ごと大陸の衝突で消し飛び、周囲の地面もろとも海の藻屑へ消えていきました。
塔内にはいくつかの燭台があり視界は確保できていて、見回せば左右に上階への螺旋階段と、反対側には別の胸壁へ出られるドアがありました。奥には外の様子が見渡せる窓が開いていて、いまだ地上人と空中人の熾烈な戦いが続いているのが確認できます。
「どうしましょう、どっちに行けば――」
「どちらにも行かせん! 行かせっん!」
私の声をぶちきるように、聞き覚えのある大声が響き渡りました。直後、奥にある窓の下からだしぬけに腕が伸びて窓枠を掴んだかと思うと、はっという気合とともに何者かがジャンプし、屋内へ転がり込んできます。
その正体を目にし、レイトリスさんが叫びました。
「ぐ、グラヴヒルト! 貴様……生きていたのか!」
そう、私達の前に立ちふさがったのは鏡面世界で遭遇し、カシタンクの下敷きになったはずのグラブヒルトさんその人でした。ただイメチェンのつもりでしょうか、服のカラーリングは先ほどより配色が変わっていますが、目に優しくないのは変わりないです。
「ふふふ……俺は死なない! なぜなら最強だからだ!」
くっ、と勢いに呑まれかけるレイトリスさんですが、私にはひらめくものがありました。
「……もしかして、グラヴヒルトさんはレイトリスさんの深層心理が生み出した存在だから、何度でも蘇れるのでは……?」
「察しがいいな……その通り、俺は永遠に不滅の存在! レイトリス、お前を倒すまで何度でも挑み続けるぞ! さあ第二ラウンドとしゃれ込もうではないか!」
「ならばこの心が納得するまで殺し続けてやる! 塵にして空へ帰してくれるっ!」
「あ、あのー……暴力じゃなくて話し合いとか、もっと穏便な方法で解決する、という方法じゃ駄目なんですか……?」
ですが私の声も聞こえていないみたいで、グラヴヒルトさんがポーズを決めます。
「いでよ空魔将、ヴェンヴェンヴァッヴァ! その力をここに示せぇ!」
するとグラヴヒルトさんの正面で、謎の黒い障気がどこからともなく寄り集まり、瞬く間に人型を形成していきます。
恐らくこの世界の空中人の一人でしょう、新たに召喚されたのは全身が漆黒の甲冑で覆われ、身の丈ほどもある薙刀にも似た槍を携えた、身長三メートルはあろうかという巨人でした。
「くくく……ヴェンヴェンヴァッヴァはカシタンクなどという見かけ倒しとはわけが違うぞ。こいつは地上人に支配された幾多の大陸をその武力によって取り戻し、空中人達の希望とも謳われる猛将が一人! 鍛え上げられた豪腕から繰り出される一撃は岩をも砕き、あえて翼を切り捨て身軽になる事で、随一の驚異的な跳躍力を誇るのだ!」
「す、すごく強そうですよレイトリスさん……やっぱり、戦うんですか……?」
「当然だ。――来い、子連れドラゴン!」
あ、今回も子連れドラゴンなんですね。それにしても、レイトリスさんの作品にはもっと強力な猛者が大勢いるのに、人気とはいえなぜ連続で同じキャラクターを……。
レイトリスさんの呼び掛けに応じるように、少し前方の位置で天井にすり鉢状のヒビが入りながら崩れて瓦礫をまき散らし、アバンナが飛び降りて来ました。それから子ドラゴンと鉈を置き、ヴェンヴェンヴァッヴァと対峙します。
「やれーいヴェンヴェンヴァッヴァ! お前の超絶パワーを見せつけろ!」
先手を取ったのはヴェンヴェンヴァッヴァの方でした。残像すら残るほどの速度でアバンナへ詰め寄り、その長大な得物を斜めに斬り下ろします。
対するアバンナは、重量級の体躯と短足からは意外なほどに軽快なスウェーで相手の攻撃を回避、素早い身のこなしで踏み込み、反撃にフックを見舞います。
真横からの打撃はまともにヴェンヴェンヴァッヴァの顔面を打ち据え、思わず怯む間隙をアバンナは見逃さず、軽いフットワークのステップを織り交ぜ、追いすがりながら右に左にフックを食らわせ、頭部を揺さぶり続けました。
ヴェンヴェンヴァッヴァは武器をだらんと下ろし、もはや打たれるだけのサンドバッグでしかありません。
「ど、どうしたヴェンヴェンヴァッヴァ! まさか素手相手にこんな……!」
「アバンナはその拳一つでセントラルシティ東の発狂街、および滅殺ストリートを生き抜いて来た古強者です、伊達に作品内で溜めに溜めた登場の仕方をしてませんよ!」
「口ほどにもない……周りが壁で囲まれていてはご自慢の跳躍力とやらも活かしようがなかったな。――構わん、とどめをさせアバンナ!」
アバンナは大きく肩を引き、次いで見舞われた渾身のストレートがヴェンヴェンヴァッヴァを打ち抜いて、その衝撃で相手の身体をはじき飛ばしました。
「なに……ふおぉぉぉぉっ!?」
そのままグラヴヒルトさんにまで激突したかと思えば背後の窓を壁ごとぶち破り、まだ威力は収まらずに青い空の向こうへ豆粒みたいに小さくなって見えなくなりました。
「……やっつけちゃいましたね」
「ああ」
「また……出てくるんでしょうか」
さあな、とレイトリスさんはやれやれとばかりにため息をつき、子連れドラゴンが飛び去った後、グラヴヒルトさんが最後に立っていたあたりへ目をやりました。
「なんだ……何か落ちているぞ」
え、と私も薄暗い中で目を凝らし、分厚い茶色のカバーの手帳が落ちているのを発見します。近づいたレイトリスさんが何気なくそれを取り上げ、ページを開くと。
「……な――」
瞠目して呼吸を止め、彫像のように固まってしまいました。何か恐ろしいものと対面したかのように肩が小刻みに震え、頬はこわばり強く歯がみしています。私は何か異変があったのかと、遠慮がちに声をかけました。
「あの……レイトリスさん……?」
瞬間、びくりとレイトリスさんの背中が跳ね、勢いよく身を翻しながら大穴の開いた壁からその手帳を放り投げました。
手帳はみるみる風にあおられ、大陸の裏側へページをはためかせながら飛んでいってしまいます。私は驚きのあまり口を開け、とっさに追いかけてキャッチする事もできませんでした。
「い、今の手帳、何が書かれて……」
「……何もない」
「で、でも」
「何もないと言ってる。さっさと先へ行くぞ」
有無を言わさぬ、というよりそれ以上追及されたくないみたいに、レイトリスさんは目元に陰影を作ったままとって返し、塔の出口のドアへと向かっていきます。
私は何が何だか呑み込めず、かといって問い詰めるような度胸もなく、後に続くしかありませんでした。
ドアを開いて、大陸からの脱出手段を探す――そのつもりでしたが、私達を出迎えたのは胸壁の通路でなく、暗闇に包まれた新たな異世界でした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます