九話 飛跳 上

 翌日、からっと晴れた空の下、私とみっちゃんはさっそくヒイラギさんの部屋を訪ねるべく行動を開始していました。服装はいつもの司書のものです。屋敷の人が、洗濯したばかりの服を術で乾かしてくれたおかげでした。

 朝食をとった後、出発するヒイラギさんを見送り、それからヒイラギさんの部屋を家捜しする、という予定だったのですが――予想外にも、いきなりそれは覆される事になりました。


「では行って参ります。父上も、お気をつけて」


 庭を抜けた玄関先で私達と同じように見送りに来たモクヨウさんに、ヒイラギさんは慇懃に挨拶しています。モクヨウさんはどこか感情を押し殺した声で。


「もう一度だけ言う。思い直すつもりはないか」

「里を守るのは私の責務です。此度もまた、その役目を果たすだけですよ。父上も、どうか姉上がいつか帰ってくるなどという妄執から、早く解き放たれる事を祈っています」

「……本当に囚われているのはどちらか、己の胸に聞いてみるがいい。お前も分かっているはずだぞ」


 ヒイラギさんはモクヨウさんの言葉を黙殺し、身を翻します。ロウカくんと何事か話しつつも、早足で屋敷を離れていくその後ろ姿をモクヨウさんはなんとも言い難い眼差しで見つめていましたが、私とみっちゃんは別の事に気がついていました。


「おい……あいつ、まさか」

「うん。……日記帳、持ってる」


 一瞬だけですが、ヒイラギさんの懐に収められたあの赤い表紙が見えたのです。まさか、日記帳を持ったまま妖怪退治に出向くなんて。みっちゃんが痛烈に舌打ちします。


「あの野郎、思いっきりハヅキに未練たらたらっつーか……余裕かましすぎっつーか」

「どうしよう……これじゃ、部屋を探しても見つかるわけないよね」


 計画変更を余儀なくされ、私は途方に暮れました。まさか、今から追いかけて日記帳を譲ってくれ、なんて訴えたとしても、訝しく思われるか一蹴されるかのどちらかです。それなら昨日のうちに試しておけば良かったのに、完全にタイミングを逸してしまいました。


「決まってるだろ。追いかけてヒイラギから日記帳を手に入れる」


 なのに、みっちゃんはそのまさかを堂々とやるつもりのようでした。いよいよ泥棒めいた手段に、私は二の足を踏んでしまいます。


「で、でもそれだと、ヒイラギさんの邪魔になるんじゃ……」

「飛跳なんてあいつだけで充分だって。今は帰る事だけを優先しようぜ」

「うーん……そう……なのかな」


 そのためなら多少の無茶もやむを得ないのかも知れません。別に、ヒイラギさんの邪魔立てはせず、日記帳をもらうだけなのです。それならなんとか、と私は自己弁護するみたいに自分に言い聞かせながら、屋敷へ戻っていくモクヨウさんの目を盗み、ヒイラギさんの後を追って駆け出しました。


 里を抜け、裏山へ向かうために途中の竹林へと入り込みます。ヒイラギさんとはすでに結構距離が離れてしまっているので、私は服から出て前を飛ぶみっちゃんに急かされながら竹林を道なりに走っていました。


「具体的には、どうやってヒイラギさんから日記帳を取り戻すの……?」

「出たとこ勝負だ。裏山は険しいから、どこかであいつも隙を作る。その時にばっと行ってさっと盗っちまうんだ」

「そ、そんなの……」


 実行するのは私です。でも運動音痴な私に、そんな迅速で器用な真似ができるとは思えません。せいぜい様子を窺っている場所から踏み出した瞬間にこけて、察知されるのが関の山でしょう。それ以前に、人からものを盗むなんてだいそれた事、できるわけないです。


「あれは元々お前のなんだし、気にしてる場合かよ。それに今回は私も手を貸す。あいつの意表を突いて注意を引くから、うまいこと合わせろ」

「うう……できるかなあ」

「できるかできないかじゃない。やれ」


 どすのきいた命令口調のみっちゃんに逆らえるはずもなく、私は渋々頷きました。

 竹林には頭の欠けた地蔵が笑い声を響かせながら並んでいたり、足のない虚無僧が片手に錫杖、もう片手に人魂のような緑に光る球の入った提灯を持ってうろついていたり、無風なのに薄汚れた布が竹の間を縫うようにくるくる舞っていたり、大岩が突然赤い眼を開けてこっちを睨んだりと、今日も妖怪達は元気みたいですが、今の私にはいちいち反応している暇もありません。


 みっちゃんに叱咤されつつ肩で息をしながら竹林を走破すると、目前には巨大な岩山が見えて来ました。表面は砂で覆われていますが、里の裏山とは思えないほどに高度は高く、山頂はまったく窺えません。整備された道もあるわけなく、私は登山家やクライマーが喜びそうな山に圧倒されていました。


「入り口はそっちだぞ」


 みっちゃんに指摘され、私も視界を巡らせると、やや斜め前に山へと分け入る斜面があり、その手前には切り株――そして、そこにはなんと、ヒイラギさんが腰掛けていました。側には従者のようにロウカくんも控えています。

 ヒイラギさんはこちらに背を向けて、あの日記帳に目を通しているようでした。文字やヒイラギさんの表情までは読み取れませんが、真剣な雰囲気が漂っているように思われます。


「……私に何か用ですか、ジェシカさん」


 だしぬけに名前を呼ばれ、私はびくりと息を呑んで手近の竹へと飛び込みます。どうして。見られてもいないのに、分かるものなのでしょうか。

 ヒイラギさんは本を閉じると、ロウカくんとともに私の方へと振り返ります。


「身を隠しても無駄ですよ。そこにいるのは分かっています。出ていらっしゃい」


 ごまかす事もできないようで、私は先生に怒られた生徒みたいにうつむき、しゅんとした足取りで出て行きます。一体何を言われるかと内心すくんでいましたが、次に声を発したのはロウカくんの方でした。


「――お前もだ、狐。いつまでその娘を隠れ蓑にしている」


 え、と私が顔を上げると、首もとにいたみっちゃんが無言で離れ、私の隣へと並びました。その視線は対峙するように立つロウカくんへと突きつけられています。


「気配は殺していたつもりなんだが、ただの唐変木じゃないようだな」

「お前が隠れている事など昨日の時点で見抜いていたとも。何を企んでいるのかとあえて泳がせておいてやったまでだ」


対して、ロウカくんも険のある目つきで応じます。


「さすがに鼻だけはきくわけだ、媚びるだけが取り柄の飼い犬の分際で」

「その口を閉じろ、土臭く薄汚い野良狐めがっ……」


 それぞれの敵意が目視できるかのように火花が散り、ヒイラギさんが再び口を開くまで睨み合っていました。


「ジェシカさん。ご存じの通り、このあたりはもう飛跳の行動範囲で、屋敷におらねば大変危険です。ミツビを供にしているようですが、お一人でなぜこちらに」

「え、えと、それは」


 ひたと見据えられ、私は目線を逃がす事もできず、懸命に頭を働かせてどう切り抜けるかを考えます。

 半端な嘘では、この眼光の前に見破られてしまうでしょう。というより、こうしてプレッシャーをかけられている私自身の心が折れて白状しかねません。


「り、理由は言えないですけど、私も上に行かなきゃいけなくて」


 結局、吐き出されたのはごまかしにもならない、相手が理解してくれる事が前提の返答でした。ますます自分を追い込んでいる気もしますが、ここは引くに引けません。


「山頂に用が。……なるほど」


 ヒイラギさんは取り立てて問い詰めるでもなく怒るでもなく、小さく相づちを打った後、みっちゃんへと半身を振り向けます。


「ミツビ。何のつもりで我々の前へ顔を出したかは聞かない。ただ一つだけ答えてもらおう。……姉上はどうした」

「ハヅキの居所か? はっ、喋ってやる義理はねーな」


 なんだと、と激昂したのはロウカくんでした。長い髪をざわめかせ、今しも襲いかからんばかりにみっちゃんへ食ってかかります。


「貴様、もしもハヅキ様の身に何かあったら」

「ロウカ、よせ」


 ヒイラギさんが先んじて諫めました。く、とロウカくんは怒りを抑え込むように一歩引きますが、みっちゃんはどこ吹く風です。


「あ、あの……」


 私はといえば、高まるばかりの険悪ムードに口を差し挟めず息を潜めています。そんな私を、ヒイラギさんが改めて一瞥しました。


「もう一度言いますが、この先は極めて危ない。命を落とす可能性すらある。ここは引き返してもらう事はできませんか」

「そ、それは……その、私も、どうして行かなきゃならなくて」


 しどもどと、それでも先へ進む意思を告げると、ヒイラギさんは一つ頷きました。


「分かりました。それなら共に参りましょう。あなたの身は私が守ります」

「え……」


 思わぬ言葉でした。てっきり通せない、と断られるものと。


「あなたは無理に追い返されても、一人でも山を登ろうとする――そういう目をしています。であれば、始めから行動を共にしていた方が、より守りやすいでしょう」

「……いいんですか? 私なんか連れていたら、絶対足手まといになるのに」

「これでも里一番の術者で知られる身。あまり見くびらないでいただきたい。飛跳討伐も、あなたの護衛も、どちらも成し遂げてみせましょう。それでいいな、ロウカ」

「主の仰せのままに」


 ヒイラギさんの迷いのない判断に、私は昨日の事もあってか一抹の不安を抱きつつも、誰かが守ってくれる、という事自体にちょっとした安心感を覚えていました。

 けれど、私のターゲットは飛跳ではなくヒイラギさんです。そこをはき違えないようにしないといけません。何も山頂まで行かずとも、日記帳さえ取り戻せれば、全てが好転するはずなのです。


「そ、それじゃ、よろしくお願いします」

「ええ。こちらこそ、ジェシカさん」


 こうして私とみっちゃん、ヒイラギさんとロウカくんの四名で、山を登る事になりました。

 追い風に乗ったように突き進めれば良かったのですが、いかんせん私の足では亀がいいところです。ヒイラギさんももっと早く登れるでしょうに、前を歩きながらも私に合わせてスピードを落としてくれていました。

 ドングリ山よりも高低差は激しく、あっという間に気温が高くなり、たまにそよいでいく風だけが癒しです。ひいひい息を荒げながらえっちらおっちら登っていると、ヒイラギさんとロウカくんの間で会話が交わされているようでした。


「山に棲まう他のあやかしどもも飛跳を恐れてなりを潜めているようですね」

「いちいち行く手を遮られない分、楽でいい。だが警戒は怠るなよ」

「承知しています、主よ」


 妖怪討伐について話し合っているみたいです。そこで素朴な疑問が浮かび上がり、ヒイラギさんに近づいて声をかけました。


「あの、飛跳ってどんな妖怪なんですか」

「自在に空を舞う、巨大な怪鳥です。しかし鳥といっても翼や足が異常に発達しているため非常に頑強で、生半可な攻撃は通りません」

「その上、音を立てずに羽ばたく事ができる。多少なら地面をも走れるので、真っ向勝負はもちろん死角からの奇襲にも気を払わねばならん難敵だ」

「そ、そんな相手に……勝てるんでしょうか」


 大丈夫ですよ、とヒイラギさんは微笑みます。


「奴の手の内も弱点も知れています。姿さえ確認できれば問題なく仕留められるでしょう。その時が来たらすぐに知らせますので、ジェシカさんはどこか物陰に隠れていて下さい」

「はい……」

「おい狐。お前はこの娘の近くにいろ。妙な真似をしないよう、私が目を光らせているからな」

「あーまったく、犬はきゃんきゃんうるせえな」


 ロウカくんにすごまれても、みっちゃんは涼しい顔で肩をすくめています。この二人はとにかく仲が悪そうだけれど、その理由を聞いてもみっちゃんは教えてくれなさそうです。

 その後、私達は時間をかけてどうにか中腹までたどり着くことができました。とはいっても、疲れているのは私だけでヒイラギさんは汗一つなく、ロウカくんとみっちゃんも似たようなものです。


「ここで休憩しましょう」


 岩肌のでっぱりにすがって息を整えている私を見かねて、ヒイラギさんがそう言いました。気を遣っていただかなくても大丈夫です、と返そうとしましたが、そんな体力も残っていませんでした。


「ったく、村のガキどもだってもっと簡単にここまで来られるのによ、いくらなんでもスタミナなさすぎだぜ」

「うう……でも、こんな地形とか、坂とか、膝が痛いし滑るし全然歩き慣れなくて」


 山に入る前にヒイラギさんが言ったところでは、これでも楽な最短ルートを進んでいるとの事。それでも二日連続の山登りは足腰に堪え、力が抜けてへたばってしまっています。

 帰ったら、本格的に体力作りに励んだ方がいいかしら、と私は密かに思うのでした。


「私とロウカは、念のため飛跳が潜んでいないか見回ってくるとしましょう」


 二人は軽々とした足取りで先の方へ行ってしまい、みっちゃんと一緒に座り込む事になりました。私が汗を拭っている間、みっちゃんは額に手を当ててそこかしこを覗き込み。


「あー、懐かしいなあ、このへん。よくここでハヅキやヒイラギと遊んでたぜ」

「そう、なの……? でもこんな険しい山で、遊ぶなんて……」

「いや、里の奴らはそれが普通なんだ。ハヅキとヒイラギはまあ、とりわけ身体能力に優れてたのは認めるけどな。ガキの頃はこの裏山とドングリ山を行き来しながら、野山を駆け巡り崖を駆け上がり谷底の激流を泳ぎ、時には強い妖怪に片っ端から喧嘩を売って回ってたぜ」


 そこまで凄いともう、常人の私にはついていけない世界です。でもそうすると、当時のみっちゃんにとってハヅキさんとヒイラギさんは元々は仲が良かったという事なのでしょうか。


「みっちゃん、教えてくれない……? ハヅキさんとヒイラギさんの間に、何があったの? どうしてハヅキさんは、里を出る事になったの?」


 ちょうど近くにはヒイラギさん達はいませんし、思い切って聞いてみました。ここまで、ところどころにあった違和感。少なくともただの仲良い姉弟、では済まない何かがあるように思える、二人の関係性。ヒイラギさんが日記帳を読んでいた姿を思い出し、私はどうしても気になっていたのです。


「全部を知ってるわけじゃねえよ。ハヅキの奴にはあえて聞いてない事だってある。それでもいいならな」

「うん……お願い」


 みっちゃんははーっと大儀そうな息を漏らし、上半身を後ろに傾けながら腕組みをして、クヌギの里がある方へと首を巡らしました。


「ハヅキは幼い頃から秀でた術者としての片鱗を見せてた。将来を嘱望され、ゆくゆくは里を背負って立つ次代の長と期待されていたんだ」


 ただ、とみっちゃんの視線が少し下がります。


「弟のヒイラギもそれなりの才能を持っていたんだが、伸びしろという意味ならハヅキの方が何倍も図抜けていた。だから、何かあっちゃハヅキと比べられ、踏み台のように扱われ、肩身の狭い思いをしていただろうな」

「じゃあ、ヒイラギさんはハヅキさんの事が、嫌いなの……?」

「いや、慕ってたよ。いつもハヅキの後をついててさ、常に姉の後ろで守ってもらうような奴だった。ハヅキもそんなヒイラギを憎からず思ってて、傍目にゃごく息の合った姉弟でさ。……まあ、だからこそ、なんだろうが」


 最後の方の呟きは私にはよく聞こえませんでしたが、みっちゃんは一呼吸を置いた後、先を話してくれます。


「そんな折り、十年前の事だ。クヌギの里を一匹の妖怪が襲撃した。しかもその妖怪はまっしぐらにモクヨウの屋敷を襲った。さらに間の悪い事に、中庭で遊んでいたハヅキとヒイラギの前に、そいつは現れた」


 一度言葉を切り、みっちゃんが私へ視線を送ります。


「妖怪は名を飛跳という」

「そ、そんな……」

「今のヒイラギにとっちゃ因縁の相手って事だ。話を戻すぜ。モクヨウと数人の精鋭が急いで中庭にたどり着くと、すでにその妖怪は撃退されていた。……ハヅキが戦って、追い払ったんだ。二人とも命はあったが、問題はその後だ」


 私は生唾を飲みました。みっちゃんの語り口は静かだけれど、えもいわれぬ重みが感じられたのです。


「それから数日後。ハヅキは里を去った。モクヨウにもヒイラギにも、誰にも何も言わず、書き置きすら残さず、な。残された連中は、ハヅキが何を思って出て行ったのか、その心中を推し量るしかなかったろうな」

「どうして、ハヅキさんが……ヒイラギさんを残して」


 妖怪に襲われ、危険な目に遭った。ならば二度とそんな事にはさせないと、弟の側で守ろうとするのではないでしょうか。私だったらそう思うのに、その時のハヅキさんは、何を考えていたのでしょう。


「ハヅキの動機はまあ、置いておこう。それよりもヒイラギだ。端的に言うと、あいつはハヅキに複雑な感情を持っていた。優しく勇敢で、父よりも誰よりも慕っている姉。けれど周りの者は、いつまでたってもハヅキに届かない自分を比較する。――ハヅキ様さえいれば、今のヒイラギでは……みたいにな」

「ひどい……ヒイラギさんはヒイラギさんなのに」

「どれだけ努力しても、ハヅキ様ならもっとうまくやれた、なんて言われていたらうんざりどころじゃない。そういった陰口はハヅキがいなくなってから収まるどころか、より顕著になっていったろうな。そんな有様だから、ヒイラギが自分を置いて出て行ったハヅキに対して何も思わないはずがない」

「……そう、だね」


 私も何度か、ハヅキさんの名前が出る度に態度の変わったヒイラギさんを見ています。普段は物腰柔らかそうな人なのに、だからこそ余計にあの底冷えのする気配との落差が印象に残っていました。


「……外部の人間にも隠しきれないくらいだ。内心はさぞかしよどみきってるだろうな。とはいえそれも、ハヅキの奴が蒔いた種だが」


 他人事のようにハヅキさんを批判するみっちゃんに、私は疑問を投げかけました。


「みっちゃんは、その時どうしていたの? いつ、ハヅキさんと再会できたの」

「再会なんてしてねぇよ。最初から私もいたんだ。あの日、妙に胸騒ぎがしてな。夜中にたまらず跳ね起きて里を徘徊してたら、こっそり夜逃げしようとするハヅキを見かけて、そのまま強引についてった。……運良く見つけられなかったら、あの野郎、私まで置いていっちまってたんだろうな」


 こき下ろしているように見えて、みっちゃんの語調はもの静かなものでした。私はようやく事情が呑み込めて、両手の指を組みながら呟きます。


「ハヅキさんは、どうして里を出て行っちゃったんだろう」

「さあーな。そればっかは私も知らねぇ。興味もないから聞く気もねえし」

「他人事みたいに言ってるけど、みっちゃんだってクヌギの里の仲間なんでしょ?」

「仲間? はっ、笑わせるぜ」


 一笑に付したみっちゃんは、ずいと私に顔を近づけます。


「私は元々、ドングリ山生まれの一匹狐なんだ。そこに面白いものがありゃ一所には落ち着かず、どこにだって飛んでいくぜ。今回はたまたまハヅキが旅立つ方に気が向いたから、後を追いかけてるだけだっての」


 冷たいように思えますが、これがみっちゃんの元来の気性なんでしょう。でもそれなら、もう少しくらい残されたヒイラギさん達の方にも気を回して欲しいです。

 ああ、でも、配慮ならしてくれているのでしょう。里に戻って来た時は身を隠して、ヒイラギさん達に見つかった後も、ハヅキさんとヒイラギさんの二人に解決してもらおうと、先入観を与えそうな事は何一つ答えない。不器用でひねくれている風にも思えますが、これがみっちゃんなりに考えての行動なのでしょう。


「みっちゃんって、どんな形でハヅキさんと出会ったの? やっぱり、ドングリ山で?」

「そーだな。あの頃、私はドングリ山を仕切る大妖怪の座にいたんだが、ある日ハヅキの奴がやって来て、威張り散らすな、圧政をやめろ、みたいな事言って来たんだ。当然私はこんなガキに説教されたもんだから頭にきて、そっからはガチンコのバトルだよ」

「ば、バトルって……」


 おう、とみっちゃんは胸の前で手のひらと拳をぱちんと合わせます。


「相手が誰だろうと、三本尻尾のミツビ様が退くわけにゃいかねぇ。だから殴り合いでケリをつけたんだが、結果は私のざんぱ……いや、惜敗に終わった。ハヅキもなかなかのもんだったから、どんな人間なのか気になってさ。まあそれからはヒイラギも加わって、連中のお遊びに付き合うようになったってわけ」


 まさか、ハヅキさんとみっちゃんの出会いがそんな熱き血潮の流れるシチュエーションだったとは。でも、その光景は想像してみればなんとも微笑ましいものでした。


「あれ、でも、その頃からみっちゃんは三本尻尾だったの? 十年間、変わるわけじゃないんだ?」

「んなわけねーだろ、ちゃんと変わってるっつの! いいか、私ら妖狐の強さは尻尾の数で決まるんだ。最高が九本で、多けりゃ多いほど凄いんだ。私は今は管狐として体格を縮めて力をセーブしてるが、いざとなったらもっと増える」

「そ、そうなんだ……」

「おい、なんだよその顔! さては信じてねぇだろ! くっそ、ここにハヅキがいれば、本来の私の姿を披露して、お前の目ん玉飛び出させてやれるってのに」


 そう言われても、三本以上の尻尾のみっちゃんはちょっと想像が難しいです。それにこれよりも増えると、今の絶妙なかわいらしさから遠ざかってしまうような。私としては、みっちゃんには今の三本のままでいて欲しいです。


「あ、そういえば、みっちゃんはハヅキさんといて、ロウカくんはヒイラギさんといるよね。術者ってみんなそんな風に、一人と一匹で行動を共にするものなの?」

「正確には、式神だな。その術者の特性に応じた式神がつく」

「しきがみって?」

「えーと……要するにもと妖怪だったり幽霊だったり、術者に付き従う人ならざるもの、の通称を式神っていう。式神にする方法は様々だ。力で打ち負かして調伏したり、説き伏せて服従させたり。で、そうなった式神は術者をサポートする役目を持つ。だから基本、二人一組で行動するわけだ」


 へえ、と私は感心したように相づちを打ちます。図書館でハヅキさんがみっちゃんの事を大事なパートナーと言っていたけれど、より詳しくその関係が明らかになったように思えます。


「ずっと一緒にいるなら、術者と式神って仲は良いの? ハヅキさんとみっちゃんみたいに」

「おい、誰が私とあいつの仲が良いってんだよ。お前は何を聞いてたんだ」


 みっちゃんに睨めつけられますが、話は続けてくれるみたいです。


「そりゃ、関係性ってのはそれぞれだろ。力ずくで言う事を聞かせた術者は式神をものみたいに扱う事もあるし、逆に小さい頃から知り合ってたら今でも相棒同士だったりする。別にそういう契約を結んだからといって、通り一遍の決めごとや縛りがあるわけじゃない」

「そうなんだ……なんだかあこがれるなあ。私にもそういう式神がいてくれたら」

「お前はどっちかって言ったら本の奴隷だろ。身の程をわきまえやがれ」


 ひどいです。けど、本の奴隷っていう響きはちょっと素敵かも。


「……里の長の家族は少し特殊でな」


 と、みっちゃんの声調が心なしか下がります。


「いつも、代々伝わる特別な式神と組むんだ。その方がより力が発揮できるからな」


 たとえばロウカだ、とみっちゃんが顔をしかめながらも指を立てます。


「あいつは見た目はあんなガキんちょだが、実際にはお前よりはるかに長生きだ。ロウカを代表に、そいつらはクヌギの里を守護する式神として奉られてる。通称、イヌガミの一族だ。お前が出会った時もそんな事ぬかしてただろ? あいつら、とにかく自分の血統を見せびらかして偉ぶるから気にくわねーんだ」

「イヌガミの一族……でも、あれ、ハヅキさんはみっちゃんと組んでいるんだよね? 里の長を期待されているのに」

「そこが、ハヅキの型破りなとこなんだ。本来ならロウカは、ハヅキと組むはずだった。なのにあいつはそれを断って、ドングリ山で調伏した私を選んだのさ。規範をまるきり無視した行為にさすがにモクヨウとも一騒動あったみたいだが、ハヅキは引かなかった。結局ロウカの奴は泣く泣くヒイラギと組む羽目になったから、そん時はざまあみろって感じだ。今思い出しても三行半を突きつけられたあの犬の不本意そうな顔が忘れられねぇぜ」


 喋っている途中に思い出し笑いが始まったのか、ついにはぎゃはは、と腹を抱えるみっちゃん。これまた意外な事実でした。本当なら強い者同士が協力するのが伝統だったのに、ハヅキさんは小さな頃からの友達だった、みっちゃんを相方にしたのです。

 そこにどんな思惑や判断があったのかこれまた推量するしかありませんが、話の中に出てくるハヅキさんには、きっと何の打算もなかったのだろうとは思えました。


「ヒイラギさんは、どう感じていたんだろう。ハヅキさんが断ったから、仕方なく自分と組んだロウカくんの事を……」

「さあな。まあここまできてみても、特段うまくやってる様子だけどな。性格的にもお似合いなんじゃないのか? 飼い主の帰りを待つ忠犬みたいでさ……やべ、また笑いがこみ上げてきやがった」


 けらけらと笑い転げるみっちゃんの背後から、ぬっと長い髪と耳を持つ影が険のある目で歩み出て来ました。


「誰が忠犬だ、貴様。またヒイラギ様や私を侮辱しているのか?」


 ロウカくんです。その後ろにはヒイラギさんの姿もありました。無事、見回りを終えて来たのでしょう。


「あの、ありがとうございます。おかげさまで、充分休めました」

「そうですか。であれば、そろそろ出発しましょうか。登頂まではもうひとふんばりです」

 はい、と身を起こし、立ち上がる間にも、みっちゃんとのロウカくんの言い争いは続いています。

「ハヅキ様をたぶらかした女狐め! ヒイラギ様が許せば、今すぐその喉笛を食いちぎってやるものを……!」

「そうまでハヅキにご執心かよ、大した忠誠心だな、えっ? あいつが聞いたらきっと泣いて喜ぶだろうぜ」

「なにお、言っていい事と悪い事の区別もつかんのか貴様!」

「んだよ、やんのかこの犬!」

「きつねめ!」

「犬!」

「きつねェ!」


 ぎりぎりとお互いに額を押し付け合いながらの打てば響くような罵倒合戦ですが、最後の方はほとんど子供の口げんかです。この二人は性格も合わない上に、ロウカくんはみっちゃんがハヅキさんをそそのかして里を出て行かせたと思っているから、より敵視しているのでしょう。

 開き直り、それを訂正もしないみっちゃんにも一因はあります。なんというか、徹底的に相性が悪いというか。

 売り言葉に買い言葉。お互いに譲れないものがあるのでしょうが、これではいつまでたっても進めません。ですが、ヒイラギさんが一声発すると。


「小競り合いがしたいならここでいつまでもしていてくれ。私は先に行く」

「お、お待ち下さい我が主! つい頭に血が昇って……」

「へっ。命拾いしたな」


あっさりとその場は収まります。戦いを前にしてどうにも緊張感ないなあと私は苦笑をこぼすのでした。

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