八話 イヌガミ憑きの術者、ヒイラギ

 なんだか山を歩いて来たよりもはるかに疲れたような気分で、私は廊下を歩いていました。割り当てられた寝室の場所は使用人さんから教えてもらい、今はとりあえずそちらへ向かおうとしている最中です。


「飛跳、か……」


 と、モクヨウさんとヒイラギさんの口論が始まったくらいからずっと押し黙っていたみっちゃんが、前触れなく呟きました。


「なんだか、大変な事が起きてるみたいですね……話を聞く限り、すごく厄介な相手みたいですし」

「……まあな」


 みっちゃんは苦いものを含んだような相づちを打ちます。そこで、私は疑問を投げかけました。


「あの、モクヨウさんの隣にいた、ヒイラギさんって何者でしょう。この里で結構、地位のありそうな人でしたけど」

「いや、あいつ、ハヅキの弟だから」


 えっ、と私は廊下の真ん中で足を止め、思わず声を上げてしまいました。


「つーか、なんだと思ってたんだよ。よく似てるだろ」

「そ、そうでしょうか……」


 ハヅキさんとヒイラギさんは雰囲気はだいぶ異なって見えますが、言われてみれば目元に面影があるような……でもイメージがつながらないのは、やっぱり冷静沈着でこなれた感じのするハヅキさんとは違い、ヒイラギさんはまだ青さが残っているというか。


「青い、ねえ……それ本人に言ったら睨まれるぜ、少なくとも強さは折り紙付きだし」

「そ、そんな事、言うわけ……」

「おや、ジェシカさん、こんなところで独り言でしょうか」


 びくぅっ、と私が振り向くと、ちょうど廊下の曲がり角から当のヒイラギさんが歩み出して来たところでした。モクヨウさんの部屋で見せた恐ろしげな表情と違い、今は落ち着きを取り戻しているみたいです。


「先ほどは見苦しいところをお見せしまして失礼しました。どうか長旅の疲れをこの屋敷で癒していって下さい」


 にこり、と微笑むヒイラギさんは王都でもそう見かけない端整な顔立ちである事もあいまって、どきりとするような好青年ぶりを発揮しています。この人を惹きつける美貌はなるほど、確かにハヅキさんと血のつながりがある事を示していました。


「こいつ、ここで待ち伏せてやがったな。気配を消してもてめーの匂いはごまかせねぇっての。相変わらず小細工が好きな奴」


 耳元でみっちゃんがぶつくさ囁いていますが、私の意識はヒイラギさんの横からさらに現れた人物に向けられていました。


「私はロウカ。ヒイラギ様の式神をしている。よろしく頼む」


 ヒイラギさんの斜め後ろに付き従うように立っていたのは、長い銀髪を持つ男の子でした。私達よりも一回り小さくて、口調は厳かなものですが声は甲高く、子供が無理して偉ぶっているように見えてしまいます。


「わあ、可愛い男の子ですね。もしかしてヒイラギさんの弟さんですか?」

「……おい、貴様。聞いていなかったのか? 私はヒイラギ様の従者にして大妖怪、イヌガミの一族なのだぞ。その耳は飾りか」


 耳、と言われて気づきます。じとりとした目つきをするロウカくんの頭頂部には銀とは対照的な縦縞模様の入った黒い大きな耳が二つ、ついていて、彼が何かを口にするたびにぴょこぴょこ動いていました。


「わわ、この耳、本物っ? ちょっと触っていいですか……?」

「や、やめろと言っている! 勝手に触るな、私に触れていいのは主だけの……! くっ、ヒイラギ様、助けてくれ!」

「はは、ロウカが遠慮なく誰かに触られるのを見るのは久しぶりだ。役得だと思って楽しむといい」


 嫌がるロウカくんの耳はなんともふさふさ柔らかく、触っていると幸せな気持ちになれます。同時に、絶対触らせてもらえないでしょうけどみっちゃんの耳はどんな感じなのか気になって来ました。


「こ、この……いい加減に……!」


 すると突然、それまでじたばた暴れていたロウカくんの双眸が銀色に燃え上がりました。比喩じゃないです、本当に銀色の炎が宿ったのです。

 その直後、私との間の空間で火傷するような熱さの炎が、もの凄い勢いで一瞬だけ膨れあがりました。


「きゃっ……」


 驚いた私が尻餅をつくとロウカくんが飛び退き、耳をぴんとさせつつ片膝を立てて息を荒げています。炎は刹那で消え去り、慌てて手や腕を確認しましたがどこにも焦げ跡や火傷はありません。


「大丈夫ですか、ジェシカさん」

「あ、は、はい……」


 ヒイラギさんが手を貸してくれ、腰が抜けそうになっていた私はなんとか身を起こせました。


「こんな幼児のようななりでも、ロウカはれっきとした由緒あるあやかしなのです。今は私の式として働いていますが、あまり怒らせるとこのように癇癪かんしゃくを起こす事もありえます、お気をつけを」


 はい、と私は反省します。つまり、ロウカくんはハヅキさんで言うみっちゃんのような役割なのでしょう。その身は小さくとも、人智を越えた力を持っているのです。


「ロウカ、お客人に対して術を使うなど、礼を失するにもほどがあるぞ。後できちんと謝っておけ」

「いやしかし、主よ……」


 とはいえヒイラギさんに懇々と諭されて渋い顔をするロウカくんは、やんちゃ盛りの子供にしか見えませんでした。


「けけけ、ロウカの奴、ざまあねえな。こいつがもっと本気を出したら、婿にも行けねぇ身体にされちまうぞ」


 ……私の首元にいるみっちゃんも、やっぱりその辺の子供にしか見えないのですが。


「あの……ヒイラギさんって、ハヅキさんの弟さんなんですよね」


 私がそう問いかけるとヒイラギさんの背がぴくりと硬直し、それからゆっくりと向き直ります。

 その瞬間だけヒイラギさんから冷気じみた何かを感じたのですが、私へ向けられる好意的な笑みからは、そうしたほの暗いものは跡形もなくなっていました。


「……ええ、そうですね。我が姉の名はハヅキ。ここ十年、音沙汰なく心配しています。時にその口ぶりだと、ジェシカさんはもしや姉の行方について何かご存じなのでは」


 はい、と素直に頷きかけて、私の後ろ髪が突然引っ張られました。


「痛いってば、みっちゃん……! こ、今度は何……?」

「言うな」

「え……?」

「居場所だ。ハヅキの居場所は分からない、と言え。後は好きにしていい」


 またみっちゃんのよく分からない指示が飛びますが、その口調には遊びが感じられませんでした。何か空恐ろしくなった私は、深く聞き返さず言われた通りにします。


「あ、あの、会った事はありますが、今はどこにいるか、までは……」

「……そうですか。姉が里を出てからどうしているか、気になっていたものですが」

「ごめんなさい、お力になれなくて……」

「いえ、奔放な人ですし、気に病まれる事はありません」


 安心させるようにかぶりを振るヒイラギさん。私も少し気が楽になりました。


「きっと、元気にしていますよ。直接過ごした時間は短いですけど、とても凛然としていて、格好良い方でしたから」

「そうですね……そう願っています」


 あの、と私は尋ねます。


「本当にその、飛跳という妖怪を退治に出かけられるんですか? お一人で……」

「ええ、明日にでも」

「危ない、んじゃないでしょうか。モクヨウさんも仰っていた通り、一度態勢を立て直してからでも」

「敵に背を向けるなど、クヌギの里の術者にはあるまじき事。私達は里を守るため、命を賭けて立ち向かう……それこそが本懐なのです」

「で、でも……ヒイラギさんに何かあったら、きっとハヅキさんも悲しみますよ」

「なに、勝算もありますし、ご心配には及びませんよ。――なあ、ロウカ」

「もちろんです、主よ」


 私にもロウカくんにもあくまでにこやかなヒイラギさんの対応ですが、これ以上の問答は不要とばかりに切って捨てるような響きがわずかに感じられました。どうやら私なんかの言葉では、ヒイラギさんを思いとどまらせるのは不可能みたいです。


「ジェシカさんもご家族の方が見つかるまで遠慮せず我が屋敷に逗留を。身の回りの事は使用人がしますし、必要なものがあれば言いつけて下されば。明日の夕方までには戦勝の報を届ける予定ですし、その際の宴席にはぜひご参加下さい。それでは」


 背を向けるヒイラギさん。と、その段になって私はようやく、ヒイラギさんの片手に書物が抱えられているのを目に留めました。手元まで伸びる袖は長く、こうして背中を見せるまでほとんど死角になっていたのです。


「あ……!」

「おい、あれ、もしかしてっ……」


 みっちゃんも驚いたように私を小突きます。赤と金の本。見間違えるはずもありません。それは私を二度も外の世界へと連れて来た、あの日記帳。

 その反応にヒイラギさんは怪訝そうに振り返り、手の中の日記帳を持ち上げます。


「どうかされましたか? この本が、何か……?」

「あ、あ、それ、ど、どこで手に……?」

「先刻、中庭に落ちていたのを拾ったものです。誰かの落とし物かと思ったのですが、なぜか表紙に、この名前が」


 と、ヒイラギさんが日記帳をこちらにかざします。その表紙部分には――ハヅキさんの名前が。


「え……ど、どうして……」

「私にも分かりかねます。内容はどうも、姉らしき人物の書いた日記のようなのですが」


 ヒイラギさんが感情の窺えぬ無表情で何気なく日記帳を開き、そのページをぱらぱらとめくっていきます。その光景を、私はぽかんとして見つめていました。


「……まあ、別段不快な怪文というわけでもなし。おおかた誰かのいたずらでしょうが、面妖なるあやかしの仕掛けた罠であるやもしれません。いずれによるものかこれの正体を暴きたいところですが、なにぶん明日には発たねばなりませんので、きちんと中身を把握するのは里へ戻って来てからになるでしょうね」


 ぱたん、と日記帳を閉じて、小脇に抱え直すヒイラギさん。私は腕を中途半端に伸ばした状態のまま、ロウカくんを伴って立ち去って行くのを見送るしかありませんでした。


「……おい! 何黙って行かせてんだよ。あの本が必要なんだろ、帰るにはっ!」


 みっちゃんに怒鳴られ、私ははっと我に返りました。


「あ、う、うん、そうなんだけど、ごめん、ちょっと気圧されちゃって……」

「あんなのに呑まれやがって、ったく、気が小さい上に頼りねぇ奴だなほんとに」


 反論できないです。


「こ、これからどうしよう……」

「どうするって、日記帳を手に入れるしかないだろ」

「どうやって……?」


 みっちゃんは鼻息を漏らして腕を組み、ややあってから口を開き。


「……考えがある。いったん、お前に割り当てられた部屋に行くぞ。話はそれからだ」

「うん……」


 私はとぼとぼと廊下を歩き出したものの、使用人から不審に思われるから普通に歩けとみっちゃんに怒られ、しょんぼりする事もできませんでした。



「……あー! 気持ち良いぃ……!」


 数時間後、眼鏡を外した私は上機嫌で頭から布団に飛び込みました。布はふかふかで暖かく、柔らかな陽光の匂いがします。こうして包まれているだけで、そのまま天上へと登って行くような心地でした。極楽はここにあったのです。


「さっきまでの落ち込みぶりが嘘みてぇだな。切り替えが早いっつか、単純だから引きずらないっつか」


 みっちゃんのぼやきも聞こえません。私は枕にぐりぐりと顔を押しつけ、その柔らかさとぬくもりを堪能します。

 ここは屋敷の中の和室の一つ。畳は二十畳以上もある広い部屋で、わざわざこんないい場所を用意してくれたモクヨウさんの懐の深さや屋敷そのものの豪華さを感じます。

 私はまず、使用人さんからお風呂に入るかどうかを尋ねられました。迷いはしたもののとにかく汗を落としたくて結局二つ返事で頷き、案内されたのはなんと露天風呂。

 お風呂に入る習慣はないので戸惑いましたが、露天から見える夜の村や山は墨で塗ったような風光明媚ふうこうめいびな夜景と、妖怪達の笑い声がどこからともなく木霊するこの世のものとは思えぬ幽玄ゆうげんさがともに感じられて知らず息を詰めていましたが、それと同じく蛍の光や虫の鳴き声、吹き抜ける笛の音のような風の音などの風流にも癒されてすぐに気に入りました。

 その後は夕食に、精進料理というものを出されました。味は薄いものの食材の高級さや料理の巧緻さは伝わってきて、神妙なのにゴージャスな気分になれます。

 ちなみに途中からみっちゃんが肉を寄越せ酒を出せと暴れるものだから、仕方なく運んで来てくれた使用人さんに頼んでみたら持ってきてくれました。

 存分に飲み食いするみっちゃんには油揚げがあったのであげようとしたら、「こんな味も素っ気もないもん食えるか」と突っ返されたり。嬉々として肉へかぶりつくワイルドなみっちゃんに粗食は合わないようです。

 就寝前には使用人さんが私用の寝間着を持ってきてくれて、服は洗濯しておいてくれるみたいです。なんだか一級の宿に泊まっているような気になり、ここまで頑張って歩いてきて良かったやら嘘をついて申し訳ないやら。


「……で、本の事だが」


 蝋燭の明かりを消して、外よりもなお暗い闇の落ちた部屋の中でみっちゃんが言いました。そうです。肝心の日記帳をどうするか、浮かれていた私は情けない事にすっかり忘れていました。


「みっちゃん、何か方法があるの……?」


 私も居住まいを正し、この話が終わるまでは寝かせないとばかりに枕へ腰掛けるみっちゃんに向き合います。そういえばいつの間にか、みっちゃんに対して砕けた話し方になっていました。でも、その方が私も肩肘張らずに済みますし、みっちゃんも気にしないでしょう。


「至ってシンプルだ。明日、ヒイラギが飛跳退治に出かけた後、あいつの部屋に行って日記帳を頂戴する。それでおさらばさ」

「え、そんなの……泥棒みたいだよ」

「いいじゃねえか。元々私達はここにはいないんだ。黙って消えても構いはしないって。ていうかむしろ、あの日記帳があれば本当に帰れるんだろうな?」

「た、多分……ロランさんの時は、そうだったし」


 けれど、今ヒイラギさんが持っている日記帳は、なぜかハヅキさんの名前が入っていて、しかもページも最後まで開けるみたいです。この差異が何を意味しているのか、無事に戻る事ができるのか、私にははっきりした事は言えません。


「ハヅキの奴もいまだに姿を見せないしよ……分からない事ばっかだぜ。まあ、ドングリ山とかに妖怪があふれていたのは、里の連中が飛跳の事にかかりきりなっていたからってのは察したけど」


 みっちゃんが枕からどいてくれたので、私は素直に頭を預け、横になりました。


「ヒイラギさん……大丈夫かな。たった一人で戦いに行くなんて」

「あいつはあれでも腕が立つ。相手より自分の方が格上だと思った時に油断するのが玉に瑕だが……それもガキの頃の話で、今じゃとっくに矯正されてるはずだ。そのうち、モクヨウの跡目もあいつが継ぐんだろうな……」

「モクヨウさんの跡継ぎは、本来ならハヅキさんだったの……?」

「そりゃあ、な。ハヅキは姉だったし、実力も人望も何もかも、里の術者どもとは別格だった。旅に出さえしなきゃ、次の長はあいつで決定だったろ」


 それが、どうして。ヒイラギさんはモクヨウさんと一緒に里を守っているのに。


「みっちゃんは……ハヅキさんが里を出たわけ、知ってるんだよね」

「当たり前だろ。十年前、出て行くあいつについていったのは私だけだしな」

「理由……教えてくれない? なんだかすごく、気になるの」


 ふん、とみっちゃんは鼻を鳴らして、私からはぎとった毛布に身をくるみました。


「お前は部外者で、無関係だろ。興味本位で首を突っ込む事もねえよ、こんな話……」

「でも」

「でもじゃねー。もういいから寝ろ。明日から忙しいんだぞ。早くハヅキと合流してやらねえと、どんな難癖つけられたもんか分かりゃしねぇ」


 転がって背を向けるみっちゃんは、言葉通り私と話すつもりはなさそうでした。私も仰向けになり、木目のついた天井を見上げます。


「私も……早く図書館に帰らないと」


 迷宮の時とは違い、すでに一日が経過しようとしています。船を使って帰るには時間がかかりすぎますし、司書の職務をさぼったら、本達も泣いてしまうでしょう。日記帳があって早く帰れるならそうします。本来なら、ハヅキさん達の事情だって深く知るべきではないのでしょうが……。


「……いいところだよね、この里。ドングリ山だって、私が必死だっただけで、見ようと思えば珍しいものとか、光景とか、いっぱいあったのかもしれないし」

「……ああ」


 応答は期待していませんでしたが、意外にもみっちゃんが声を返してくれました。


「だのに、あんなに親切なモクヨウさん達にも嘘をついて、日記帳を盗もうとするなんて……こんな形じゃなくて、ちゃんとほんとの旅行で来たかったな」


ロランさんと来られたら楽しかっただろうな。あの人は今、どうしてるんだろう。私がそんな事を思っていると、またみっちゃんから言葉が返ってきます。


「来ればいいだろ」

「え……?」

「一度帰ったらさ。それこそ正規の手続きで海を渡って、来ればいい。道が分からないなら、私が案内してやるし」

「け、けど、みっちゃんとハヅキさんは、里を……」

「別に、里帰りに問題があるわけじゃねーよ。たまにこうやって、懐かしい面々の顔を見てやるのも悪くないしな。お前がいいなら、三人で来ようぜ。この里には、もっと面白いもんがいくらでもあるし」


 ……なんだか、とても胸が温かくなりました。気まぐれで短気で気性が荒いですけど、みっちゃんとこうして知り合えて、色んな話ができて良かったと思います。ロランさんが言っていた通り、大変な事ばかりじゃなくて、楽しい事だって、図書館の外にはたくさんあるのでしょう。


「……ありがとね、みっちゃん」


 短くお礼を言って、私は寝返りを打ち、まぶたを下ろして眠ろうと試みました、が。


(……ね、眠れない……!)


 身体は疲れ切っているのに寝付けません。考え事が多すぎてまだ頭がはっきりしているせいでしょう。羊の数を数えて睡魔を呼ぼうとしましたが、一向に効果はないです。いつまでも眠れなければ、寝不足で明日に差し障ってしまうでしょう。

 すると、私の鼻先でふさふさと動くものがありました。寝転がったみっちゃんの毛布からはみ出た、三本の尻尾です。尻尾はふぁさふぁさ、ぱたむと緩やかな動きを繰り返していて、多分みっちゃんがリラックス状態にあるのだと分かります。


 私はその尻尾をじっと眺めました。そして。


「あの……みっちゃん」

「なんだよ、まだ何かあるのかよ」

「うん……あのさ、尻尾触っていい?」


 おい、と声が疑わしいものになり、振り返りこそしませんが頭の耳がぴくりと跳ねます。私は弁明混じりに続けました。


「その……寝られなくて。尻尾を触らせてもらえれば、寝られると思う」

「どういう理屈だよ……まあ、私の尻尾の毛並みには自信があるけどな。お前が夢中になるのも少しは分かるが」


 みっちゃんは腕を上げて自分の頭を乱雑に掻いてから、大儀そうに吐息をついて。


「手のかかる奴……いいか、寝るまでだからな。それと強く掴むなよ」

「……うん!」


 許しを得た私は魚が餌に食いつくかのようにみっちゃんの尻尾を指で撫で、触り、つつき、存分にその感触を楽しみます。時折みっちゃんから何か小さな声が上がりますが、気にするほどではないでしょう。


「お、お前……触っていいとは言ったが、もうちょっと遠慮ってやつをだな」


 思わず、といった調子で身体を起こしたみっちゃんですが、途中で言葉を呑み込みます。


「……たくましいんだかそうでないんだか、ほんとわけわかんねえ奴」


 そんなみっちゃんの声や息づかいは子守歌のように聞こえていて、私はいつしか水底へ沈むように眠りに落ちていきました。

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