四話 ロラン・ハットの冒険

「も……戻ってる……?」


 私は、元の図書館に立っていました。あの寒々しさが嘘のように温かな室内で、呆けたように立ち尽くしていたのです。

 ふと気づくと、私は日記帳を抱えていました。恐る恐る表紙を見れば、そこにはちゃんと私の名前が書いてあります。では、さっきのあの日記帳は何だったのでしょうか。どうしてロランさんが書いたような内容が。


「つー……いてて」


 やや後ろから聞こえて来た声に私は弾かれたように振り向きます。するとそこには、絨毯の上に座り込むようにして、ロランさんが傾けた頭をぼりぼりと掻いていました。


「――ロランさん! 無事だったんですね!」

「……あ、あれ? ジェシー? お前こそ大丈夫だったんだな……ってか、何が起こってるんだ。俺達さっきまで、迷宮にいたよな……」


 ぱん、ぱんと服の汚れを払いながらロランさんが身を起こします。そう言われれば、私の服も蜘蛛の巣がついたり擦れていたりと、割とひどい有様です。……という事は、つまり。


「あの……あれは、夢……じゃないんですよね……?」

「じゃねぇのかな。まあでも、正直助かったぜ。あともう少しであいつらに捕まって、八つ裂きにされるとこだったしな!」


 そう言われた私は申し訳なさそうに目を伏せました。ロランさんがそこまで危ない目にあったのは、私のせいです。


「……けど、楽しかったよな」

「え……?」


 あっけらかんと放たれた言葉に、私は驚いて顔を上げていました。そこには何かやり遂げたような晴れ晴れした表情で、ロランさんがこちらへ笑いかけています。


「久しぶりで内部の構造を思い出すのには時間がかかったし、予想通りやばい事にもなったけど、一人じゃなくて、相棒と一緒に探検できて、俺は楽しかったよ」

「相棒、って……もしかして」


 私が恐る恐る、自分の顔を指差すと、ロランさんは頷きを返します。


「で、でも、私何もできませんでしたし……」

「一度命と背中を預けた相手は相棒さ。だからジェシーも立派な冒険家だ。もうそうやって下を向くなよ。冒険家ってのはいつだって前を向いてる……もしくは上かな。届きそうで届かない自分の夢。俺みたいにな!」


 歯を見せて微笑むロランさんに、私も固くなっていた頬が緩んでいくのを感じました。

 あの迷宮は筆舌に尽くしがたいほど恐ろしく、何度死を覚悟したか分かりませんし、一歩足を踏み出すのにもなけなしの勇気を振り絞らなければいけませんでしたが――それでも、ほんのちょっぴりは楽しかったのです。この図書館では絶対にできないような体験と、奥には何があるのだろうという期待。

 今の私には、冒険家が感じるわくわくやどきどきといったものが、少しは理解できるような気がしました。


「嬉しい……です。ロランさんに相棒だなんて言ってもらって、すごく」

「おう。また二人で冒険しようぜ。ジェシーには、あんな暗いところだけじゃなく見てもらいたい景色がたくさんあるんだ」


 朗らかに笑ったロランさんはその後、私の胸元に抱えられている日記帳へ目線を落としました。


「その日記帳だけど……あまり開かない方がいい気がするぜ。俺達が迷宮に迷い込む羽目になった引き金は、やっぱりそいつに思えるんだ。冒険家としての勘ってやつ」

「そう……ですね」


 私は日記帳を持ち上げました。指で手繰ればページは開けそうでしたが、またあんな事になるのかも知れないと思うと、反射的に腕で挟んで強く閉じてしまいます。


「とりあえず、ページさえ開かなければ変な事も起きないみたいですし、本について事情が判明するまでは、どこか人の手の届かないところに仕舞っておきます。私一人でまたあんな地の底に投げ込まれたら、絶対助かりませんし」


 だな、と特に否定もせずロランさんが頷くので、私は苦笑しました。相棒と認められたのはいいのですが、実力的には生き残れないと判断されているあたり、ロランさんはリアリストな面もあるみたいです。


「ロランさんはこれからどうされますか? そろそろ日が落ちる時刻ですが……」


 私は司書机の後ろの柱にかかっている大時計を確認して言いました。窓から見える空はうっすら赤みがかって来ています。


「そうだな……そろそろどっか宿を取りたいところだけど、何しろ王都についてまっすぐここまで来たから、城下町の地理がよく分からないんだよな」

「あ、それなら、ここにお勧めの品がありますよ」


 私は机からファイルを取りだし、開きます。そのファイルにはフォレス王都のあるきかたというパンフレットがマップナビで綴じられていて、これさえあればどこに何があるのか一目瞭然、一発で目的地が分かるのです。

 ちなみにパンフレット自体は図書館のみならず、各地区の案内看板や役所などに配布されています。


「フォレスは観光地としても有名ですから、よく迷ってしまうお客さんのために、こうしたフォローは欠かせないんです。無料ですからロランさんもお一つどうぞ」

「おう、ありがたいぜ」


 マップを受け取り、しげしげと眺め渡すロランさん。その様子は数分前の命がけの冒険なんてなかったみたいに平然としたものです。

 本来ならショックで寝込んでいてもおかしくない出来事だったのですが、つられて私も緊張が解けて、すっかり元の司書モードに戻っています。迷宮や日記帳に対する苦悩が何だかおかしく思えて、くすりと小さく吹き出してしまいました。


「へえ……いろんな店舗があるんだな。目が回りそうだぜ」

「そうですね。特にフォレスを象徴する繁華街はすごいですよ。一流シェフが多数務める豪華な料理店や伝統の品物を扱う老舗の工芸店、高貴な人達が通うラグジュアリーショップに、穴場ではありますが流れの商人達が経営する露店も並んでます。取り扱うどれも高価ですけれど、華やかさでは大陸のどの国も負けない自信があります!」


 ……って、これは全部パンフレットにあるあおり文句なんですけれど、ロランさんの瞳には輝きががぜん宿り始めています。


「こっちは腕利きの職人達が集う工房地区と、大通りには大衆酒場か。時刻ごとに傭兵や戦士達や仕事帰りの労働者であふれるみたいだな。散策がてら寄ってみたいぜ」

「他にも住宅地は丘を丸々使い塀を挟んでいるので閑静で、公園は自然も多くて心が安まりますよ。このあたりにしかない武器や防具の店、それにちょっと変わった店もあるのでぜひ訪れてみて欲しいですね」

「めぼしい場所は素通りして来ちまったけど損をした気分だな。そんなすごかったとは」

「あ、でも歓楽街の方は今治安が良いとは言えませんから、気をつけて下さいね」


 そうだな、とロランさんは神妙に頷いてくれます。


「盗賊とかが出るって噂になってるし、近寄らない方が良さそうだ。……だけど、これだけ広いとますますどの宿屋に泊まるか悩みどころだぜ」

「それならフォレスの高台亭がお勧めですよ。料理は美味しいですし、文字通り高台に建てられているので窓から町並みを見下ろせるんです。それに反対側の部屋からは雄々しい王城の威容を楽しめて、夜景も綺麗なので他国から旅行してくるお客さんから大満足なんです」


 私の滑らかなセールストークにロランさんはますます興味を持ってくれたようで、今日の所はそこにしてみると言ってくれました。お役に立てたようで、私も一安心です。

 それから私は、もう一つ気になっている事を尋ねてみました。


「ええと……ちなみにロランさんは、どれくらい王都に滞在される予定なんですか?」

「いや、俺は基本的に、具体的な滞在日数は決めないんだ。訪れた後、思わぬ冒険のきっかけが見つかったりするからな。まだまだ城下町やこの王立図書館も歩いてみたいし、しばらくはうろうろしてるつもりだぜ」

「そ、そうですかっ……」


 ほっと安堵がこみ上げて来て、答える私の声が少しひっくり返ってしまいました。


「えっと、私ももっとロランさんに本を紹介したいですし、近いうちにでもまた来ていただけたらな、と……なんて」

「おう。また明日にでも来るから、その時は頼むぜ」


 それじゃ、ときびすを返すロランさんを見送りながら、私の胸は躍っていました。それはどこか冒険にも通じるものがあります。

 日記帳の事とか、考えなければいけない事柄は山ほどありますが、きっと明日も楽しい一日になるでしょう。

 理屈も不安も飛び越えて、この時の私にはとても前向きに、そう思えたのです。

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