第5話『マーケット(前編)』

 風鳴りで、目を覚ます。市街地タンクタウンに到着した日から数えて、二度目の朝だった。

 破損したシャロンの左腕の完全な修復を目標にマルスから提示された二日間という短くも長い療養期間を、シャロンら一行は道中で見かけた小さな廃ビルの最上階で、身を潜めて過ごした。


「おはようございます、エリー」

「おはようございます」


 半身を起こしてエリーに呼びかけると、淡白な返事だけが返ってきた。シャロンは、寝癖の付いた自身の髪を指で梳きながら、辺りを見渡した。剥がれたモルタルの壁と床。ポッカリと穴が空いて昼間の空を曝け出す天井。すぐ近くで壁に寄りかかって座っているエリーと、その傍らには彼女のリュックサック。眠る前と何ら変化の無い廃退的な光景に、無事二日間を乗り切れたことを確信する。


「無事に、二日が経ちましたね」

「左腕の調子はどうですか」


 シャロンは、修復したての左腕の外観を確認しながら、関節の曲げ伸ばしを行なう。

 それから思いつく限りの動作確認をしてから、深く頷いた。


「……異音や遅延もありません。正常に動作しています。機能良好です」

「そうですか。それはよかったです」

「お待たせしました。これで万全な体制でまた探索を行える訳ですが、どうしますか?早速、探索を再開しますか?」

「そうですね。これ以上休む理由もありません。身支度が出来次第、出発しましょう」

「分かりました」


 そうして二人は、身の周りに出ている物全てをリュックサックの中へと詰めていく。

 修復に使った資材はひとつ残らずシャロンの左腕へと変わった他、二日前に狙撃手の少女から貰い受けた食糧は全てこの二日間で蓋を開けてしまった為、リュックサックは荷物を全て詰め終えても拉げたままだった。


「それでは、行きましょうか」


 シャロンが頷き先導して、外付けの幅の狭い階段を下へ下へと下っていく。階段を下る間も、風鳴りと共に吹く強い隙間風が、シャロンの襤褸とエリーの長い金髪を揺らした。


「ビルの床なんてそもそも寝床として設計されている筈がないので、これを言うのもなんですが……流石にあんな場所で二日間も寝ていると、全身がバキバキになりますね。アンドロイドでも、身体が凝ったりするんだなあ……。エリーは大丈夫でしたか?」

「はい。私は寝たきりではなかったので、どこも痛めていません」


 シャロンは、階段を降りて早々そんなことを訊ねながら、階段の降り口付近を警戒し街路を見渡す。辺りに二人以外の気配は無さそうだったので、シャロンはOKサインをエリーに後ろ手で示し、周囲の安全をエリーに伝えた。頷き、エリーも廃ビルからコンクリートの街路へと降り立つ。


「成程、それなら良かったです。というか、昨日といい今日といい、エリーって結構早起きなんですね。僕が目を覚ましたらいつも先に起きていたので、流石に吃驚しちゃいましたよ」

「私は、異常事態に対応できるようにするために、五分間隔で仮眠を摂る体制をとっていました。早起きに見えたのはそのせいでしょう」

「えっ?すみません。エリーにそんな無茶をさせてしまっていただなんて……」

「勝手にやったことですから、気にしないでください。シャロンはここに着いた際に"有事の際は修復を中断して動ける"と私に伝えていました。その上で、自分の判断でやったことに過ぎません。なので、これに関してシャロンが落ち度に感じるような事は何もありませんよ」

「……分かりました。ありがとうございます」

「いえ。ですが、ここからは貴方が私を守ってくださいね。その為に私は貴方を連れているのですから」

「勿論です。エリーのことは、僕が命をしてお守りしますよ」

「……貴方は、早死はやじにしそうですね。そこまでしなくていいですよ。どうしようもなくて逃げるべき時は、例え私を置いてでも逃げてください」

「え?まさか、そんな」

「どうしようもない時は、ですよ。貴方が自由に動けるうちは、まだ勝機を掴める可能性があります。そんな状況で大した策も持たずに"自分はロボットだから"という理由で、無闇矢鱈に敵陣へ飛び込むような愚行はやめてください。勿論、どうにかしようがある時は、速やかに助けに来ていただきたいですが」

「厳しい注文ですね……ですが、分かりました。どうしようもなくならないように頑張りますね」


シャロンの返答に何かもの言いたげなエリーであったが、言葉を発するよりも先に、彼女の歩みが止まる。一体何事かと道の先を見たシャロンも、同じように立ち止まった。


「この先、広場になっていますね。もしかすると、あそこが以前看板に書いてあった、街の中心というやつでしょうか?」

「どうやら、そのようですね」


 二人は、広場に面したジャックストリートの廃屋の陰から、顔だけを出して広間の様子を覗き込む。だだっ広い煉瓦を敷き詰められた円形の空間の中心に、壊れておかしな水の出方をしている噴水が建っていた。その周りは、ここまでの道と同様に廃材の類が無造作に散らかっている他、吹き飛んだような横倒しのベンチがいくつもあった。


「見た感じ、中には誰も居ないみたいですけど……どうしましょう。入ってみますか?」

「はい。しかし、この先は見通しが良すぎますね。それに、街の外には先日対峙したイクシヲンのようなロボットが居たにも関わらず、ここは妙に静かです。警戒して進みましょう」

「分かりました」


 何かがおかしいことを、エリーはいち早く察知していた。

 シャロンは、廃屋の陰から広場に出ると、改めて辺りを見回す。人影やロボットの存在は無く、歩いてきたジャックストリートの通りと同様に広場は静寂に包まれていた。


「今のところ、大丈夫そうですね」

「……」

「エリー?」


 返答の無いエリーを不思議に思いシャロンが振り返ると、エリーは眉を寄せて腫れ物でも見ているかのような目付きで広場を忙しなく見渡していた。


「どうかしましたか?」

「今更ですが、少しおかしくはありませんか?」

「何がおかしいのですか?」

「街なのに、人間が一人も居ないことです」

「それの何がおかしいんですか?別に今まで通った道もそうだったと思いますが……あ。でも、僕を撃った女の子なら二日前に居ましたね」

「いえ。生きている方ではなく、死んでいる方の人間がです」

「死んでいる方?それって、以前言っていた、物資を持っている死体の事ですか?それなら、僕達よりも先にこの街にやってきた誰かが、物資を漁っていったからじゃないでしょうか。だから、死体が無くなった後なんですよ、きっと」

「死体ごと持っていくでしょうか。物資を漁るだけならば、その場から持ち去られるのは荷物だけでしょう。誰も死体はわざわざ持っていきません」

「確かに……じゃあ、そもそも死体なんてハナからこの街には無かった、とかどうでしょう?」

「この街に人間が一度も物資を探しに来なかったとは思えません。実際に、ジャックストリートで荒らされた痕跡のある店をいくつか見てきたと思います。マーケットに残された物資を求めた人間がこの広場を通ったとすれば、間違いなく誰かしらはロボットと遭遇している筈です。いや……もし仮にこの街がロボットを奇跡的に寄せ付けない地であったとしても、人間同士で物資の奪い合いが起こり、死人の一人や二人ここでも少なからず出たことでしょう。先日、貴方が少女に狙撃されたように」

「では、何故……?」


 エリーの言葉にシャロンは、塞がった筈の左胸の痛みが蘇ってくるように感じた。

 二人はしばらく広場を見回していたが、やがてその視線はどちらとも、あるひとつの建物へと行き着いた。

 周囲に建てられた赤や緑の色とりどりのが、不意に吹き込んだ風に羽ばたくような音をたてる。他のどの建物よりも一際大きなそれは、広場の隅をまるで陣取るように建てられていた。


「エリー。あの建物って……」

「おそらく、例のマーケットですね」

「そうですよね。でもなんというか、これは……」


 シャロンは、訝しげな眼差しで、マーケットのを見る。そこは、数段の低い階段が設けられた、幅の広い入口だった。だが、シャロンの視線が向かう先は、入口のそれそのものではなかった。

 幅の広い、入口。その一点に集まっていくように、引きったような血の跡が、広場の至る所から長く何本も伸びていたのだ。


「訳あり物件どころの話じゃ無いですよね、これ……」


 シャロンは、無数の血の跡のうち一つに駆け寄り、屈んでそれを指先でなぞる。

 指先を返してその腹を見るが、血は付着していなかった。


「古い血だ……よく見るとどれも、酸化して黒ずんだものばかりですね」

「そうでもなさそうですよ」

「えっ?」


 声がした方を振り返ると、シャロンの後方で別の血の跡に向かって同じように屈み込み、指の腹を見ていたエリーが、自身の指の腹をシャロンに見せつけた。

 そこには薄らではあるが、確かに赤黒い血がべっとりと付着していた。


「これは、まだ新しい血のようです。変色も激しくありません。遅くても昨日か、一昨日か……我々が廃ビルに身を隠している間にここを訪れた人間が、居たのかもしれません」

「ということはつまり、その訪れた人間は今……」


 血の跡が伸びる先へと、視線を向かわせる。

 人気ひとけの無いマーケットを、風鳴りが悪戯に不気味さを煽っていた。その大きな入口はまるで、大口を開けた怪物のようにすら思えた。


「嫌な所に、立ち寄ってしまったものですね」

「エリー、やめておきましょう。ここを探索するのは、いくら何でもリスクが高すぎます」

「ええ。これらの血の跡が交わる場所には、必ず原因となる何かが居る筈です。憶測ですが、ここに人間の死体が残っていないのも、その何かが関係していると私は考えています」

「それでは、早く……」

「いいえ。正体が分からない以上は、中に確かめに行きます」

「根拠は特に無いですけど、そう言うだろうなと少し予想出来ていました……理由を聞いてもいいですか?」

「私の目的を覚えていますか、シャロン」

「え?えっと……あるロボットを探して、それを破壊する、みたいな感じでしたよね」

「はい。実を言うとそのロボットの所在は、掴みきれていないのです。なので、この血の跡が伸びた先にそのロボットが居る可能性は僅かながらにあります。私はそれを確かめ、場合によっては破壊しなくてはなりません」

「それで、この中を今から探索すると?」

「はい。ですが、シャロンが否定する通り、このマーケットの中を探索することは、火中に飛び込む行為とほぼ同じでしょう。これは、私の独断による探索です。なので、シャロンはここに残っていただいても構いません。むしろ、そう判断することが懸命だとすら思います。大丈夫です。私には、これがありますから。例えこの身が滅びることはあっても、目的の達成には至れるでしょう」

「えっと、つまり?」

「危険なので、シャロンはここで待っていてください」


 エリーはそう言って、懐からイノセントを取り出す。対してシャロンは、全てを聞いてから深い溜め息を吐いた。


「一昨日の事もそうですけど……エリーって本当に、他人に甘いですよね」

「一昨日?何のことでしょうか」

「あの女の子のことですよ。僕達の命を奪おうとしてきたのに、引っ叩くだけ叩いて食糧も必要な分しか取らなかったじゃないですか。本来は、荷物を全部取っても割が合わないようなものだったのに」

「……何が言いたいのですか」

「僕はエリーに付き従うだけのロボットなんですから、主人であるエリーは"ついて来てくれ"って、ただそれだけ言えばいいんですよ」

「ですがそれは、シャロンの意志を蔑ろにすることになります」

「だから、そうじゃなくて──」


 シャロンは、早足でエリーの前に進み出る。マーケットに向かって数歩歩いたところで立ち止まり、そして、再び深い溜め息を零して振り返った。


「──僕も連れて行ってください、エリー。エリーが火中へ飛び込む選択をするのなら、僕は共に火中へ飛び込み、エリーを守るだけです」


 シャロンは、エリーに向けて右の手を差し出した。エリーは差し出された手を暫くじっと見て何かを考えていたが、やがてそれを自身の右手で握り返した。


「……やはり貴方は、早死にしそうですね」


 シャロンは笑いかける。エリーはいつもの無表情で返して、マーケットへ向けて歩き出した。


「行きましょう」

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