第3話『崩壊星』
「隙を作れそうな時は、こちらから合図を送ります。それまでエリーは、ここに隠れていてください」
シャロンはそう言って、瓦礫の下からその身を這い出して立ち上がる。辺りを見渡すが、視界の届く範囲に歯車のロボットの姿は無い。
後方は、エリーが身を隠している大きな一枚岩の瓦礫。前方十メートルほど先には瓦礫やガラクタが高い塀を築いており、左右に岩肌の平坦な細い道が、霧に向かって伸びていた。
「ここは、一本道か。さっき右から転がってきて左に折り返していったって事は……次は、左から来るんだよな……?」
シャロンは、自身が立つ一本道の左方に向き直る。だが、道は数メートル先から霧に呑まれているため、目を凝らしてみても敵の影を見ることは叶わなかった。
「霧が、さっきより濃くなってきているな……それにしても」
代わり映えの無い視界。それどころか、歯車のロボットが地を滑るスキール音や、駆動音ひとつすら聞こえてこないまま、悪戯に時間だけが過ぎていく。もしかするとあのロボットは、もうどこか遠くへ走り去って行ったのではないかと、彼は考えた。そう考えて、彼は無意識のうちに握っていた拳を解いて、浅く溜め息を吐いた。
「エリー。敵が来る気配はありません。どうやら先程のロボットは、偶然ここを通過していっただけなのかもしれません」
シャロンの呼び掛けに、エリーは瓦礫の下の穴蔵からひょっこりと顔を出す。
「……そうですか。それでは仕方がありませんね。分かりました、行きましょう」
エリーは四つん這いでシャロンの元に向かって瓦礫の下を這いながら、手元のリュックサックを掴んで引き寄せる。
「……ん?」
すると、エリーのリュックサックの中から突然、砂嵐のようなノイズ音が鳴り始めたことに気付いて、シャロンは小首を傾げた。エリーは、リュックサックの中に手を入れて、音の発信源を引っ張り出す。無線機だった。
「その無線機、先程あの歯車のロボットが現れた時もノイズを発していましたよね。調子が悪いのですか?」
「いえ。辺りの霧が濃いせいで、電波の入りが悪いのでしょう。と言っても、この無線機で電波を拾ったことなど数える程度しかないので、断言はできませんが」
「成る程。無線機の拾う電波が霧で乱れてしまっているのですね。というか……この霧はそもそも、一体何なのでしょうか? ここは霧ができるほど気温が低くはありませんし、山岳地帯というわけでもありません。むしろ、ガラクタ塗れの平地とも言えるくらいです。なのに、一体何故こんなにも濃い霧が発生しているのでしょう」
「憶測ですが、この霧は──」
エリーが話し出したのと同時に、無線機から発せられていたノイズ音が、突然ピタリと鳴り止んだ。エリーは、無線機を握った右手を自身の耳元に近づけ、確かに音が途絶えた事を確認する。
「エリー!!」
シャロンが名を叫ぶので、エリーは何事かと振り返る。振り返った彼女の視界に映ったのは道でもシャロンでもなく、灰色の空と、宙を舞う
何かに突き飛ばされた? 故に、視線が空に向いている。そう気付いたエリーは、視線を下げて突き飛ばした本人であろうシャロンへと視線を向けた。
そこに、シャロンは居た。突き飛ばすようにこちらに両手を伸ばして、何やら左方をじっと睨みつけていた。その睨む視線の先には、走り過ぎようとしている歯車型のロボットが居た。
どうやら、ロボットの接近にいち早く気付いたシャロンが、エリーを突き飛ばして退避させたらしかった。
エリーを庇ったシャロンは五体満足に見えたが、着用していた襤褸が一部巻き込まれて、無惨に引き千切れていた。
「シャロン」
「エリー、もう一度隠れていてください! すみません……僕の読み違いでした、アレは偶然ここを通りかかったのではありません。僕達に確かな敵意を向けています」
エリーは、言われた通りに再び瓦礫の下へと身を隠す。
シャロンは歯車のロボットが走り去っていった方向に身体を向けて、霧の先に目を凝らした。
「駄目だ。やっぱり、霧で全く姿が見えない……これじゃあ隙を作るどころか、避けるので精一杯だ」
シャロンは姿勢を低くして構える。エリーの隠れた瓦礫の下から無線機のノイズ音が鳴っているのを横目に、彼は敵の出方を待った。
やがて、辺りが静寂に満ちる。シャロンの擦った左足が、ざりりと足裏の砂を鳴らした瞬間、霧の向こうから轟音と共に歯車のロボットが、霧を掻き分けるようにして姿を現した。
「……来た!」
歯車のロボットは、シャロンに向けて一直線に向かってきた。シャロンはそれを接触する直前に真横に飛び退く。走り去る歯車のロボットを目で追っていると、歯車のロボットはそのまま通り過ぎて、再び濃い霧の中へと姿を消した。
「くそ、駄目だ。ずっと避けていたらこちらが手を打つ暇がないぞ」
シャロンは気を取り直して右方を睨んで身構える。しかし、結果は同じだった。何度やっても同じことの繰り返しだった。
構える。無線機のノイズ音。静寂。摺り足の音。歯車のロボットの接近。回避。
構える。無線機のノイズ音。静寂。摺り足の音。歯車のロボットの接近。回避。
構える。無線機のノイズ音。静寂。摺り足の音。歯車のロボットの接近。回避。
構える。無線機のノイズ音。静寂。摺り足の音。歯車のロボットの接近。回避。
流石にロボットのシャロンも、一方的な攻防の繰り返しに、息切れを始めていた。身体が、段々と機械熱を帯び始めている。
「……駄目だ。確実に僕のいる場所に向かって走ってくるせいで、全然隙が無い。というか、どうしてアイツは的確に僕の立っている場所に向かって来れるんだ? ……まさか」
シャロンはふと思い立って、今度は道端の方になるべく寄って同じように敵を待ち構える。すると、同じように霧の中から姿を現した歯車のロボットは、今度はシャロンの立っている道端に沿うような軌道を描きながら勢いよく転がってきた。
シャロンはそれを飛び退き、歯車のロボットの無い背中を見送りながら、先程の疑問に確信を得て、ごくりと唾を飲み込んだ。
「やっぱりアイツ、僕が見えている。でも、こんなに濃い霧の中で、一体どうやって……」
「というかそれ以前に、目とか付いているのかアイツは……?」とシャロンは呟きながら、歯車のロボットが消えていった方向へと目を遣った。
《もしかすると何か、視覚に頼らない別の方法で、こちらの居場所を特定しているのかもしれませんね》
「うわっ、吃驚した!!」
《驚かせてしまったことを、お詫び致します。戦闘ロボット用オペレーションシステム"マルス"、只今起動完了致しました》
「前から言いたかったんだけどさ、急に喋り出すのやめろよお前……。それで? 今まで、どうして返事をしてくれなかったんだ?」
《当オペレーションシステムは以前も申し上げた通り、シャロンの頭部にオペレーションシステムの親機と交信を行う通信デバイスが組み込まれています。しかし、シャロンが工場跡地で被弾し気を失ってから目を覚ますまでの間に、当該プログラムが何らかの障害を受け、破損。私とシャロンが交信出来ない状態となり、自動的な自己修復を経て先程復旧が完了した次第です。ご安心ください。現在の戦況は、シャロンの活動中の記憶を取得することによって全て把握しています》
「何らかの障害? ……まあいいや、それなら教えろよ。この状況はどうすればいい? お前の言う視覚に頼らない別の方法ってやつを封じればいいのか?」
《敵の隙を作ることが最終目的であれば、別段それに至るまでもありませんが、相手の目を潰す事自体は、戦況を変えるには十分な有効打となることでしょう》
「えっと、つまり?」
《ひとまず、敵対ロボットの第三の目の正体を探りましょう。その目を潰すか否かを考えるのは、それからです》
「分かった。でも、その別の方法で俺を見ているってのは例えばどういう事なんだ?」
《視覚以外の感覚……代表的なもので言えば、視覚以外の五感を使うなどして、我々の居場所を把握しているという事です。聴覚、嗅覚、触覚、味覚……それらの感覚を使って》
「成る程……取り敢えず、触覚は違うな。アイツ、いきなりこっちに向かってくるんだ。事前に遠くから僕の居場所を把握しているみたいだった。五感以外と言っていたが、聴覚はどうなんだ? あり得ない話じゃないだろ」
《もしも周囲の足音や声を聞き取ってあのロボットが索敵をしているとしたら、むしろ彼が向かっていく先は、時折無線機が鳴動しているエリーの方の筈です》
そう言っている今も、エリーの無線機は砂嵐のようなノイズ音を辺りに響かせていた。
シャロンはマルスの言い分に「成る程」と深く頷く。
「それなら、嗅覚も人間のエリーが狙われないなら違うってことになるな。じゃあ、五感は全部アイツの目ではないと。それじゃあ、一体何を目にしているんだ? ……あっ。僕の体温を感知しているとか、どうだろう」
《熱源感知は考えられなくもありませんが、もしあのロボットが熱感知をしているとしたら、瓦礫の下に身を隠しているエリーが見つかっていないのが妙です。もし熱源を探知しているのならば、伏せていて回避が困難なエリーを一番に狙ってくる筈です》
無線機のノイズ音が止み、それと入れ替わるように、霧の向こうから歯車のロボットが現れたので、シャロンは飛び退く。やはり、歯車のロボットはシャロンの居場所を把握した上で迷いなく転がってきているように見えた。
「そうか……それなら、何かセンサーみたいなものを飛ばして索敵をしているんじゃないか? 例えば、不可視の赤外線みたいな光線を四方八方に飛ばして、それが標的にぶつかって戻ってくるまでの距離から僕の居場所を判断……いや。こんなに濃い霧の中じゃ、まともに光線が飛ばした場所まで帰っていくとは思えないな。これじゃない」
シャロンは、何か手掛かりは無いかと辺りを見渡す。しかし、それらしい収穫は何も無かった。
「くそ。一体どういう仕掛けなんだ……? 僕の居場所を正確に探知できて、瓦礫の下にいるエリーの居場所を探知できない何か……僕を探知できて、エリーを探知できない…………?」
再び瓦礫の下でザーザーとノイズ音を鳴らし始めた、エリーの無線機。シャロンはそれに何か違和感を覚えて、眉を寄せた。
「まさか……エリー、それって……」
「シャロン、来ます!!」
エリーに言われて振り返ると、目前まで歯車のロボットが迫っていた。シャロンは咄嗟に身を捩らせて、紙一重でそれを躱す。
そしてシャロンは、同時に確信を得た。
「やっぱりそうか……エリー! その無線機は今、どのような状態になっているのか教えていただけますか?」
「どのような……と言うと」
「電波の送受信の状態についてです!」
「……周囲の無線機から送信されている電波を、無条件で受信しています。送信の方は、側面のトリガーを押さえている間にしか行われないので、一切行っていません」
「やはり、そうですか。これでアイツの第三の目の正体が大方掴めました」
「……どういうことですか?」
「次にアレが向かってくるまで、時間がありません。実際にお見せします。マルス、僕の身体から発信している全ての通信を切ってくれ!」
《全ての通信をオフに切り替えると、シャロンの発言や視覚データ等が私に送信されない状態となり、その間、当オペレーションシステムが利用できなくなりますが、それでもよろしいですか?》
「ああ。それなら、三十秒後に設定を復帰させてくれ。三十秒あれば十分だ」
《了解。全てのデータ送信を三十秒間停止致します》
マルスがそう言うと、シャロンは歯車のロボットが消えていった霧の方を向いて、その場に座り込んでみせた。
「……シャロン?」
「ああいえ、自暴自棄になった訳ではありませんよ。ご心配なく。少し疲れたので休憩をしようかと思っただけです。何せ……あのロボットはこれから三十秒間、こちらに向かって来られないでしょうからね」
シャロンがそう言った直後、エリーの無線機が再び鳴り始める。
シャロンは、構わず霧の向こうを見つめて話を続けた。
「エリーのその無線機がノイズを走らせているのはおそらく、本来受信していた公共の電波を、あのロボットに乱されているからです。推測ですがあのロボットは今、僕達に向かって第三の目となるレーダーを使って、電波の発信源が無いかを確認している最中です。つまり、エリーの無線機が鳴っている間に電波をどこかへ送信すると、あのロボットは電波が飛ばされている地点に向かって転がってくるという事です」
「ということは、つまり……」
「はい。電波の送信を断ち切った今、おそらくあのロボットにはエリーと同様に僕の居場所も掴めていないでしょう。その証拠に、今まで無線機がノイズを鳴らした直後に襲いかかってきていたロボットが、いつまで経っても襲ってきません」
エリーの無線機も鳴り止み、しばらく座ったまま待つシャロンであったが、彼の予想した通り、歯車のロボットは一向に来る気配が無い。
すると、シャロンに語りかけてくる声があった。
《──シャロン。通信切断から三十秒が経過致しました。予定通り、通信を再開致します》
「ああ。ありがとう、マルス。それで、あのロボットの行動を封じる方法なんだけれど……」
《いいえ。言われずとも、通信を切断していた間のシャロンの記憶データを閲覧し、事情は把握しました》
「便利だけど不必要にやるなよ、それ……問題は、アイツの動きを封じてどうするかだ。ここにいれば危険は無いかもしれないが、ただ危険が無いというだけで、こちらからもロボットに対して何も手を打てない」
「……目的は、あのロボットを壊すこと」
「そのために、エリーがロボットに近付ける隙を作るのが大前提……しかし、あのロボットの視覚の有無が確認できない以上は、容易に霧の向こうに近付くわけにはいきません。確実にあのロボットを行動不能にする必要があります……マルス。何か策はないか?」
《敵対ロボットの発するレーダーに、誤った位置情報を拾わせるのは如何でしょうか》
「誤った位置情報?」
《例えば、シャロンの居ない壁際に電波を発信するダミーを設置し、それを狙って壁に衝突した敵対ロボットを、横からエリーが叩くという方法になります》
「ダミーか……成る程。となると、使うのは無線機が妥当ですが……」
シャロンが言いかけてエリーの方を振り向くと、エリーは手にしていた無線機をシャロンへと差し出した。
「……これは、拾い物です。無線機なら、必要な時は探せばいくらでも見つかりますから、使ってください」
渡そうとするエリーの瞳は、どこか険しく感じた。差し出されて手に取った無線機の保存状態の良さを見て、どうやらただの拾い物ではなさそうだとシャロンは思った。
しかし、今は渋っている場合ではない。エリー自身も、この無線機に込められた何かと、今やるべき事を天秤に掛けて、これを手放そうと決断したのだろう。
彼は、彼女の言葉を信じた事にしようと、首を縦に振った。
「しかし……先程も言いましたが、この無線機は側面のトリガーを引いていないと電波の発信は行われません。ずっと握っている必要があるということは、シャロンもその場に立っている必要があります」
「それは、問題ありません。僕も、ひとつ失うことにします。まあ、僕の場合はまた直せるものですが……そうだな、マルス?」
《はい。当該箇所が欠損した場合、修復する為の資材が十分に揃っていれば、二日ほどで元の状態まで修復が可能です》
「……直せるもの?」
ばきん、と鈍い音がした。そうしてシャロンの右手に掲げられたのは、無線機を握ったままぶらりと垂れ下がった、シャロンの左腕だった。腕は、肘から先が不恰好に引き千切られていた。
「あれ、痛くない……結構覚悟して引っ張ったんですが。何故か起きた時から全身ボロボロでしたし、中身がスカスカだったんですかね?」
《切り離す直前に、左腕の神経を予めオフにしておきました》
「ありがとう。下手したらまた足を撃たれた時みたいに、軽く気絶するかもって正直心配だったんだ」
「あの、シャロン……」
「ああ、エリー。あまり気にしないでください。僕の身体は、自己修復するように作られていますから、何の支障もありません。それを分かっていたから、この判断をしたんです。今はとにかく、あのロボットを倒す事だけを優先しましょう」
「しかし……、……そうですね。分かりました」
シャロンは、足元に散らばっている廃材の中から細く尖った鉄芯を拾い上げてそれを向かい側の壁に向かって突き刺し、先程千切った左腕を通してぶら下げた。
「……そういえば。どうして、僕には痛覚が備わっているのでしょうか」
「えっ?」
「僕に内蔵しているオペレーションシステム……マルスは、自分のことを『戦闘ロボット用オペレーションシステム』と言っていました。つまり僕は、何かと戦う為に作られた戦闘ロボットなのでしょう。それなのに何故、使命の妨げにしかならない痛覚なんてものを備え持っているのでしょうか」
《私の記憶は、シャロンの記憶に依存しています。故に、その疑問の答えを提示する事はできません》
「シャロン」
「……ああ、すみません。今はそんな事を話している場合ではありませんでしたね。また敵のレーダーが作動する前に、準備を済ませてしまいましょう」
心配そうに見つめるエリーを横目に、シャロンは念入りに無線機のトリガーを千切れた左腕の指先が抑えている事を確認すると、満足気に深く頷いた。
「よし。準備ができました。マルス、さっきと同じように、こちらからのデータの送信を全て停止してくれ」
《了解》
「僕達はロボットが来るまで、瓦礫の下で待機しておきましょう」
シャロンの提案にエリーは頷き、瓦礫の下に出来た隙間に二人で並んで屈み込む。
エリーは、リュックサックから件の銃を取り出して安全装置を指で弾き、引き金に指を充てた。
「本当に、その小さな銃であのロボットを壊せるのですか?」
「はい。これは、そうする為だけに造られたものですから」
「……分かりました。それでは、僕が合図をしたら、ロボットに接近しましょう。何かあった時の為に、僕もエリーに付いて走ります。いいですね?」
「はい、問題ありません」
間も無く、向かいの壁に仕掛けられた無線機がノイズ音を立てているのが聞こえてきた。二人はその音を一秒たりとも聞き逃さないようにノイズ音に集中する。やがて、ノイズ音はピタリと治まった。
「そろそろ来ます、走り出す体勢に入ってください」
どちらかが唾を飲み込む音が、瓦礫の下で一際大きく聞こえた。
そして。轟音と共に、霧を押しのけるようにして、それは姿を現した。歯車の姿をした巨大なロボットだ。
「来た!」
ロボットは、シャロンの思惑通りに壁にぶら下がった左腕に向かって速度を上げ、ついに勢いを殺さぬまま岩壁へとその身を激突させた。岩壁と歯車のロボットに挟まれた左腕はゴリゴリと音を立てながら関節を無視してバタバタと跳ねる。
やがて、歯車が壁にめり込んだロボットは、異常に気付いたらしく動きを止めた。
「──今です、エリー!!」
シャロンが叫ぶと同時に、二人は瓦礫の下から勢いよく飛び出し、歯車のロボット目掛けて走り始めた。歯車のロボットまで三メートル、一メートルと近付いたところで、エリーは銃口をロボットの側面に強く突き付けた。
「シャロン。少し、離れていてください」
「えっ?」
「分解銃イノセント。起動します」
エリーがそう告げて、銃の引き金に掛けた指に力を込める。
──ふと。妙な渇きが、シャロンを襲った。シャロンの喉だけではない。周囲の空気そのものが、まるで蒸発しているように感じられた。
イノセントと呼ばれた銃が、唸り声を上げる。聞いたこともないような、何か不安感を煽るような音だった。
風がシャロンの鼻先に触れて、どこかへと流れていく。何事かと辺りを見回したシャロンは、思わず絶句した。
霧で出来た白い筋が、四方八方からエリーの持つイノセントの銃口へと集まるようにゆっくりと渦を描いていたのだ。
ここまで来てシャロンは、何か危険な物をエリーが起動させたのだと悟った。
「エリー、一体何をしているのですか!?」
「大丈夫です、私達に害はありません。それより、前に出ないでください。私の後ろに。なるべく、離れていてください」
「でも、何かこれは……!」
《警告。銃口付近で、急激な大気圧の上昇を確認しました》
「マルス! 教えろ、これは、何が起こっているんだ!?」
《同箇所にて、急激な温度の上昇を確認。警告。銃口付近で、次元規模の空間の歪みが生じています。危険ですので、その場を直ちに離れてください》
「マルス!!」
《警告。銃口付近で、非常に強力な重力場が発生しています。危険ですので、その場を直ちに離れてください。警告。銃口付近で、急激な温度の低下を確認。警告。銃口付近で、急激な空気の圧縮を確認。警告。銃口付近で、非常に強力なななな、なな、なななな重、重重重重重重重重重重──。
「──壊します」
マルスからの通信がブツリと途切れるのと同時に、イノセントは鼓膜を貫くような発砲音を上げた。直後、先程銃口に吸い込まれていった霧や空気や水分が、銃口と歯車のロボットの間で一気に放出された。その、一瞬だった。
銃口から、弾丸は出なかった。しかし、歯車のロボットの身体に音も無く突然、半径二メートル程の巨大な穴が空いた。そこにあった部品が吹き飛んだのではない。確かに、一瞬にしてそこにあったロボットの身体の一部分が消えて無くなったのだ。
シャロンが驚く間も無く、歯車のロボットはそのまま銃口から噴き出した暴風に押されて、前方に勢いよく吹き飛ばされる。霧の晴れた道に滑走するように打ち付けられたロボットは、やがて砂煙を立たせたまま十メートル程先で動かなくなった。
「な……なんだったんだ、今の……」
シャロンがやっとの思いで渇ききった口から出した言葉だった。
静まり返った霧の晴れたガラクタの道。エリーは、銃の側面に付いた安全装置を指先で押し上げ、緊張と疲れを溜め息と一緒に吐き出した。
「お疲れ様です、シャロン。これであのロボットはもう、動かないでしょう」
「……その銃は。イノセントって一体、何なんですか? 弾が出たような感じではありませんでしたし……それに、あのロボットの身体がパッと消えたように見えました」
落ち着かない様子のシャロンに、エリーはイノセントの銃身に付いた砂埃を払いながら答える。
「これは、撃ち出す為の銃ではなく、作りだす為の銃です。なので、弾は込められていません」
「作りだすって、何を……」
「擬似的な物なので、実際のものとは力の規模も大きく異なりますが……強いて言うなら、ブラックホールのレプリカを作る銃です」
「ブラックホールの、レプリカ……そんなに危険な物を、いつも持ち歩いているのですか?」
「はい。私の目的の為には、これは必要不可欠な物ですから」
そう言うとエリーは、横たわった歯車のロボットの残骸に向かって歩き始める。シャロンはその白衣を旗めかせる背中を追うように続いた。
「エリー。やっぱり、聞いておいてもいいですか。エリーの言う"目的"って一体──」
「──資材が」
「……資材?」
「まだ使える資材が、この歯車のロボットの残骸から回収できそうです。シャロンの左腕は改めて修復する必要がありそうですから、修復に必要な分だけ、持って行きましょう」
エリーはそれだけ言うと、後は何も言う事は無いといった様子で、口を結んだ。
まただった。振り返った彼女は、彼女に旅の同行をシャロンに頼んだあの時のように、縋るような憂いな表情をしていた。
「……そうですね」
シャロンはそれ以上聞かずに、頷いた。
聞くことが出来ずに、頷いた。
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