第2話『エレオノール』

 ──ああ、また駄目だった。失敗だ。


 扉を閉める。

 伸びきった金髪を掻き乱し、机に向かって差しうつむいた。

 今回で、68回目。そして、68回目も先程失敗に終わったところだ。

 窓ガラス越しに映る試験室のガラクタの山は、これまでの試行回数と浪費した時間を静かに体現しているようだった。

 薄らとガラスに反射してこちらを見つめる瞳は、酷く濁っていた。……もう暫く眠らずにを続けていたせいか。そろそろ、休息を摂らなくてはならない。

 ……一層の事。報われないのならば、このまま疲れで死んでしまった方が楽なのかもしれない。

 そんなくだらない思考を「雑念だ」と言わんばかりに振り払いながら、私は数日振りにベッドに顔をうずめた。


 その後の事は、よく覚えていない。


 *


 自然と目が開いた。十分な睡眠を摂ったと、脳が判断したのだろう。ロボットに十分な睡眠も、それを判断する脳もあるものかと問われるとそれは微妙なところだが、そんな気がしたのだから仕方がないのだ。


 今回は、横ではなく縦に九十度、世界が傾いていた。即ち、天井を向いて眠っていた。

 何処かは分からない。眼球をぐるりと回して見渡すが、意識を失う直前まで居た工廠とは雰囲気も匂いも、まるで別のものだった。

 ここで、いつの間にか嗅覚デバイスの修復が完了した事を知る。


 ゆっくりと起き上がる。すると、継ぎ接ぎだらけの布切れが彼の身体からするりとずり落ちた。毛布のつもりだろうが、薄すぎてただ掛けられていただけと言っていいくらいだ。

 しかし、この毛布にも、自分が眠ろうとしたことにも、全く身に覚えが無い。つまり、誰かが工廠からここまで彼を運び出し、ここに寝かせて、毛布代わりのこれを掛けたに違いなかった。

 では、その親切な『誰か』とは?

 分からなかった。

 この場には、自分以外に誰もいなかったからだ。


「おい、マルス」


 彼は、以前マルスと名乗っていた"声だけの存在"に呼びかける。しかし、彼からの返事はなかった。


「……寝てるのか?」


 これにも返答は無い。が、このままここに居ても仕方がない。

 溜め息を零しながら、ゆっくりと立ち上がる。また、あの気味の悪いロボット達に会わないことを祈るしかない。

 左足は変わらず痛みを訴えていて、思わず目尻を絞りたくなったが、別段歩けないほどではなさそうだ。自己修復様々だ。


 改めて辺りを見渡してみる。屋外だった。やはり、誰かが工廠から運び出してくれたらしい。砂を被ったセメントの床に、廃品が無造作に転がっていた。用途も知らない機械に、天板を何処かに失くした、足と引き出しだけのワークデスク。その傍らには、揺籠ゆりかごのような腰掛け。

 ここは、ゴミ置き場か? それなら、僕はゴミか。

 彼は、自身のボロボロの身なりを確認する。本当にゴミみたいだと思った。

 ジョークにもならないな、と鼻で笑いながら、彼は灰被りの道を歩き始めた。


 さて。つまらないジョークも口から出なくなったところで、ここが何処なのかをそろそろ冷静に考えなければいけない。本当にここが廃材置き場でなかったならば、元々何かの建造物であったはずだ。そうでなければ、道端に机や椅子などが放置されているのは少し、不自然に思う。

 ここは、始めの工廠よりも状態が酷かった。地表にはガラクタの山が、更にその上には、灰のような粉塵が満遍なく被っている。

 起き上がって視線が高くなってから気が付いたが、辺りは霧だか足元の灰と同じものだか判別できない、大粒の何かが何処までも立ち込めていた。見通し良好とはとても言えそうにない。


「何だって、こんな所に……」


 首元の襤褸をつまみ、鼻先まで覆う。霧に悪臭の類などは感じられなかったが、宙を舞う得体の知れない物質を、無防備に体の中に取り込みたいとはとても思えなかった。


 それから、何分か彷徨った頃。ガラクタと灰色の霧ばかりが視界を埋める散策に飽きてきた頃だった。どこからか聞こえてくるノイズ音。彼は、足を止めた。

 音のした方向に目を凝らすと、そこには白衣を着た長髪の後ろ姿がぼんやりとあった。

 霧に覆われたその人影に、おそるおそる近づく。一歩近づくごとに、段々と輪郭染みていた姿が、鮮明としてきた。

 彼よりも頭二つ分ほど高い背丈。白衣に包まれた細身の身体。灰を被った金の髪と、雪のように白い肌。

 そして、それは唐突にこちらを振り返った。その左手には、無線機。右手には、銃器の類が握られていた。

 思わず、息を飲む。


 傷だらけの防塵ゴーグルに隠れされた瞳が、静かに彼の姿を捉える。交わる視線。銃器を握った右手に、力の込もる気配がした。


「……貴方は、何者ですか?」


 目が合ってしまったのならば、友好的にいこうと思った。一先ず、敵意が無いことを示すためにも、こちらから声を掛けてみた。

 すると、あちらの返答はこうだった。


「目を、覚ましたのですね。もう少しかかると思っていましたが、流石と言うべきですか」

「えっ?」


 女の声だった。それも、生身の人間の。

 銃器を握った右手を下ろし、白衣の人物は一歩、二歩と彼に歩み寄ってきた。彼が訳も分からずに困惑していると、目の前に立った女は防塵ゴーグルをずり上げ、彼を見据えた。綺麗な、空を映したような瞳だった。


「おはようございます、シャロン。私は、エレオノールといいます」


 彼は、霧除けに鼻先まで覆っていた襤褸を首元まで下ろして、恐る恐る尋ねた。


「エレオノール……もしかして、貴方は人間ですか?」

「はい。人間です」

「僕は、シャロンという名前なのですか?」

「分かりません。ただ、名前が無いと呼び方に困るので、そう名付けました」


 淡々とした返事をして、エレオノールと名乗る白衣の女は、再び防塵ゴーグルで目元を隠して歩き始めた。シャロンは、それについていくことにした。


「僕をあの工廠跡からここに連れてきたのは、エレオノールですか?」

「エリーで構いません。そうです、私が貴方を連れ出しました」

「何故そのような事を? エリーは、僕の関係者ですか?」

「関係者ではありません。ただ、貴方のことを少しだけ知っています。貴方は、優れたアンドロイドです。今の私に、貴方は必要な存在なのです。だから、貴方を連れ出しました」

「必要な存在?」


 エリーはシャロンの眠っていた場所に着くと、何も言わずに襤褸を拾い上げて、茶色のリュックサックに仕舞い込んだ。そして、そのまま再び歩き始める。


「どこへ行くのですか」

「街を目指します」

「街があるのですか?」

「かつてはありました」

「"かつては"? 今は無いのに向かうのですか?」

「いえ。厳密には、存続しているのか分かっていません。分からないから、街に向かいます」

「街があったら、どうするのですか」

「とあるロボットを探します」

「とあるロボット? それが見つかったら、どうするのですか?」

「壊します」

「壊す?」

「はい。壊します」


 エリーは眉ひとつ動かさずにそう答えた。もしかするとこのエリーという人間の女性は、かなり危ないタイプの人間なのかもしれない。そんな考えが、シャロンの頭を過ぎった。


「なぜ、ロボットを壊すのですか」

「そうする必要があるからです」

「そうする必要とは、何ですか?」

「……」


 エリーは、何も言わなかった。

 答えられないような事情があるのかもしれない。


「では、僕が必要な存在というのは何か、ロボットを壊す行為に関係があるのですか?」

「勿論、関係はあります」

「成程。つまり僕には、そのロボットを壊す力があるのですね?」

「いいえ、ありません。あるかもしれませんが、それは求めていません。壊すのは私ですから」

「では、僕は一体何に必要なのですか?」

「……」


 また、沈黙だった。

 どうやら、目的に近しいことを尋ねようとすると、答えてくれないらしい。

 二人分の足音だけが、ざりざりと空気を摩擦する。

 すると、不意に彼女は立ち止まって振り返り、面と向かって口を開いた。


「……それでも、ついて来てはくれませんか」


 そんな、投げ掛けだった。人間のエリーと、ロボットのシャロン。決定権は人間である彼女にあるはずなのだが、何故かエリーは、縋るように憂いな顔付きでそう言った。

「私についてこい」の一言さえ放てば、ロボットである彼は有無を言わずに従うというのに。

 やはり変な人間だなと、思った。だがそれ以前に、その表情に心が痛んだ。

 自分は半端なロボットだなと、シャロンは改めて思った。


「……僕にはこれから、特別何か目的があるわけでも、行く宛てがあるわけでもありません。それに、助けていただいた恩も返せていません。なので、一応ついていきます。ですが、あくまでです。エリーが明かさないその目的が、正しいことではないと思ったその時は、断らないにしろ少し考える時間をください」


 故に、これが彼の返答だった。


「……分かりました。善処します」


 シャロンは頷き、エリーの前を行く。


「それでは、さっそく街に向かいましょう。エリー、ここからどちらに向かって進めば──」


 シャロンが尋ねようとしたのも束の間だった。エリーが突然、早足で彼に歩み寄り、後ろから力強く抱擁してきた。


「え、エリー? どうしたんですか」


 突然の出来事に、シャロンはたじろいだ。自身より頭ひとつ分背の高い、エリーの顔を見上げる。彼が見上げると同時に、エリーは両手の平を彼の頬に添え、戸惑うシャロンの顔をじっと見下ろしていた。

 あまりにまじまじと覗き込んでくるので、流石のシャロンも気恥ずかしくなったのか、僅かに視線を逸らした。


「目は、もう治りましたか?」

「目? ……ああ。もしかして、工廠跡で目を焼き切ったところを見ていたのですか? それでしたら、もう大丈夫ですよ。少しまだ目に違和感はありますが、視界は良好です。と言っても、こんな灰まみれの場所での視界良好なんて、言うだけ全くアテにならないのですが……」

「回復したなら、結構です。前方に向けて、あの目眩しをもう一度使っていただけますか」

「……はい?」

が、こちらに接近しています」


 エリーがそう言った時、彼女が手に持っていた無線機のノイズ音が厭に大きくなっていることに気が付いたが、それを気に留める暇も無く、それはやってきた。

 弓形ゆみなりの軌道を地面に描きながら、霞みがかった視界の奥から姿を現したのは、巨大な歯車だった。容赦無く回る歯車が空気を切り裂き、轟音を響かせながら二人に向かって迫り来る。


 シャロンは、察する。これが敵というもので違いないと。


「エリー!」


 シャロンは咄嗟に自身の頬を覆ったエリーの腕の片方を取ると、接近する歯車の進路から左に向かって飛び退いた。歯車は、波のような勢いで二人の背後を通過し、灰のもやの中へと消えていった。


 二人は起き上がり、歯車が走っていった方向へと目を向ける。


「今のは一体、何ですか」

「ひとまず、隠れましょう。次が来ます」


 今度はエリーが戸惑うシャロンの手を引く。二人は、廃材と地面の間にできた隙間に、這うように身を潜めた。

 先程の歯車が戻ってくる気配は、今のところ感じられない。


「あのロボットが、エリーの壊したいと言っていたロボットですか?」

「いいえ、おそらく違います」

「おそらく?」

「パッと見では、これだという確証ができないので」

「なるほど。よく分かりませんが……ということはつまり、あの歯車に今のところ、用は無いのですね?」

「そういう事になります」

「じゃあ、この場はここに隠れてやり過ごすということで……」

「いいえ、壊しましょう」

「はい?」

「標的である確証がないということは逆に言うと、標的のロボットである可能性もあるということです。なので、壊しましょう」


 エリーがそう言った直後、先程の歯車が、来た道を折り返すように目の前を勢い良く転がっていった。歯車の通った後には、粉々になった廃材が散乱している。


「……そうですね。あちらも、何故だか我々を殺す気でいるようですし、このまま野放しにしておくのは危険です。分かりました、壊しましょう。しかし、エリー。肝心なアレを壊す手段が僕達にはありませんよ」

「その点は、問題ありません。あのロボットに私が近付けるほどの大きな隙ができさえすれば、あとはこちらで何とかします」

「何とかって、どうするつもりなんですか?」

「これを使います」


 そう言ってエリーは、背負っていたリュックサックから両の肩を抜き、開けたその口に腕を突っ込んだ。

 手の感触を頼りに中身を弄り、そうして掴んだと一緒に、彼女は色白の手を引き抜いた。


「それって……」


 握られていたのは、出会った時にも彼女が手にしていた小さな銃器だった。

 エリーは、指を掛けた引き金からシャロンへと視線を戻し、淡々とした口調のまま言った。


「さあ、始めましょう」

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