#45 新しい玩具
わたし以外にも五人いたの。
商業施設の二階へと続くエスカレーターを登りながらトフィーは云った。
男の子三人と女の子ふたり。特別仲が好かったわけじゃないけど。
スヴェトナが訊ねる。
その子たちがいまどうしてるかは、――訊くまでもないんだろうな。
ええ。ご明察。わたしがお姉さん達に依頼したいこともそれに関してよ。
お前の代わりに友達のご遺体を探し出して丁重に弔えと。
端的に云うとそうね。
そして――。そのタイミングで藤色の髪の少女はアリサをかえりみて溜め息をつく。――その報酬がお前の世にも奇妙な物語というわけだ。ここで何があったのか。あるいはどうしてお前だけが五体満足でこうして私達の目の前にいるのか。
ええ。あなた達のことは気に入っているけれど。無償でなんでも教えるほどお人好しじゃない。
アリサ。さっきも云ったが私は反対だぞ。スヴェトナは装飾の施された魔鉱小銃を持ち直してから続けた。――水や食料には限りがあるしここに立ち寄ったのはあくまでも
もちろん分かってる……。
アリサは小さくうなずいた。エスカレーターを登り切ると散弾槍を担ぎ直してひと息つく。二階部分はこうした商業施設でよくあるように吹き抜けとなっており一階のフロアがある程度は見渡せるようになっていた。エスカレーターの上り口の周りは土嚢が積まれており空の薬莢が散らばっていた。同じく空っぽのヘコんだ弾薬箱も転がっている。乾いて黒くなった血痕が床に点々と残っていた。それらを見ながらアリサはスヴェトナに語った。
……たぶん、ね。いろんな話を見聞きして記録したり。あるいは再生機を通じて体験することが私にとっての潤滑油みたいなものなんだと思う。――もちろんスヴェトナの云うとおり
そこでひとつ呼吸を入れた。
――でも、それだと外にいる銃を振り回すだけの
スヴェトナは顔をそらした。
……カッコつけるのはいいが。私の目には好奇心旺盛な子猫にしか見えないぞ。飼い主が買ってきた新しいおもちゃに夢中な子猫……。
いつもごめん、スヴェトナ。
いやいい。いくらでも付き合うよ。それにお前の話にも一理ないことはない。お墓に持っていける土産話が食べ物を漁っているだけの毎日だなんてそれこそ何の救いもないからな。
父さんが云ってたんだ。いくら財産があっても結局土の中に持っていけるのは精一杯生きたというあかしだけなんだって。本当にその言葉の通りに生きた人だったよ。好くも悪くも。
前を歩いていたトフィーがくすくすと笑ってみせた。なんだ、とスヴェトナが訊ねると銀髪の少女は歩きながら半身を振り向かせる。
いやね。あなた達、――人間してるなぁと思って。
お前みたいなちんちくりんに人間の何が分かる。
だってわたしも久々に人間してるって感じがして楽しいの。本当に久しぶり。
変な云い回し。
さっきのメイドさんの喩えで云うとね。わたしにとってはあなた達こそが新しいおもちゃみたいなものなのかもしれないわ。
やれやれ。スヴェトナは肩をすくめる。せいぜい使い潰されないように気をつけないとな。
□
少女が一つ目の目的地として指し示した店はおもちゃ屋さんだった。戦前はたくさんの子供たちが訪れていたはずだった。略奪はされていたが他の店ほど深刻ではない。糧食や水、衣類と比べた場合の玩具の優先度は限りなく低くなっているようだった。
城の正門を模した装飾が店の入り口に施されていた。そこをくぐって店内をぐるりと見渡してからアリサは云った。
――組合に届ければ町の子供が喜ぶかもしれない。あまり高い値はつかないだろうけど。
どうかな。子供だってみんな働いてる時代だぞ。そう述べてからスヴェトナは自分の下腹部に左手をあてた。……小さい奴にもそれ相応の使い道があるんだ。
子供は遊びたがるものだよ。どんな時でも。前に寄った町では三人くらいが集まって廃車の中でタクシーごっこしてた。
トフィーは店内をひと通り歩き回ってから城の模型の前で立ち止まった。子供が中に入って遊べるようになっている代物だ。だが天井から崩落してきた建物の梁が城の中心近くに突き刺さっていた。無残な有様だった。
これは何ともはや。スヴェトナは云った。大胆不敵な攻城戦術だ。
たぶんこの中にサイモンがいるはず。
友達の一人か。
何度も云うけど親しくはなかったの。
はいはい。
スヴェトナはスカーフを結び直して鼻と口を覆った。それから四つん這いになって陥落した城の中に入っていった。懐中電灯を使って中のようすを照らし出す。いくらもかからずに彼女は出てきた。スカーフを引き下げて何度か咳をする。
――うん。いた。
元気そうだった?
それはジョークか。
ええ。まあ。
真っ二つになってたぞ。ぜんぶは回収できないかもしれない。
それでもいいの。
スヴェトナがこちらを向く。どうするアリサ?
やろう。私が遺体を引っ張り出すからスヴェトナは――。
従者の少女はアリサの肩に手を置く。そして静かに云う。
交代でやろう。汚れ仕事はお互いさまだ。
……分かった。
□
まだ電力はかろうじて生きていた。少年はライトアップされた城の中でおもちゃの兵士をおもちゃの恐竜と戦わせていた。彼は頭にヘルメットをかぶっていた。軍用品を模したレプリカで榴弾の破片を運よく弾いてくれるほどの性能はない。革製の帽子をかぶるよりもマシといった程度。それでも少年はここに避難してきた日からというものそのヘルメットを一度も外したことはなかった。
サイモン。おいこら。――サイモン!
少年は我に返った。顔を上げた。別の少年が城の入り口を覗きこんでいた。懐中電灯を何度か点滅させる。そして大声で呼びかけてくる。
聴こえないならそのヘルメット外せっていつも云ってんだろ!
少年はうなずきとも否定ともとれないような首の動きを見せた。
もう一人の少年が溜め息をつく。
……来いよ。飯だぞ。
一階のフードコートに集まって卓を囲んでいたのはサイモンを合わせて三人だった。
男の子ふたりに女の子ひとり。
少女がさっそく缶詰の中身に手をつけようとしたがサイモンを呼びにきた少年が右手で制する。
……トフィー、食前の祈りだ。ワザと無視してんだろ。
いいじゃない。トフィーはフォークを持ったまま云う。神様なんていやしない。
それじゃ動物と同じだってんだよ、と少年。恵みに感謝できる知恵を授けられてるのはおれたち人間だけなんだ。父さんも母さんもそう云ってた。
またその話?
いいからフォークを置け。サイモンもヘルメットを脱げ。
そう云って少年はサイモンの被り物に手を触れた。サイモンはすばやく椅子を引いてヘルメットを両手で抑え激しく首を振った。そして少年を見つめ返した。目を見開いて。まばたきせずに。
…………わーったよ、と少年。仕方ないな。
ねえフレイド。早くして。お腹と背中がくっつきそう。
あいよ。
食前の祈りが終わりカセットコンロで温めた缶詰のシチューを食べてしまうとフレイドは片づけを始めた。もうおしまいなの、とトフィーは頬を膨らませる。
しょうがないだろ。フレイドは横目でにらみ返す。もう残り少ないんだから。
メイラとリッサの分ちょっとだけちょうだい。バレないよ。
だめだ。俺が責任を持って運ぶ。
ケチ。
食事を乗せたトレイを持ってフレイド少年が行ってしまうとトフィーとサイモンの二人だけになる。トフィーは食後の習慣であるインスタントのカフェオレを飲みながら読書と洒落込んでいた。しばらくしてサイモンが立ち上がろうとするとトフィーは顔を上げずに訊ねてきた。
……そのヘルメット、そんなに大事?
サイモンはうなずいた。
お父さんからもらったもの?
少年は再びうなずいた。
わたしもこれもらったの。トフィーは胸元のペンダントを取り出す。うちの店の一級品。純度の高い魔鉱石よ。これがあればわたしはお父さんやお母さんと繋がっていられるの。
サイモンは三度うなずいた。
トフィーはペンダントを再びシャツの中に隠した。
……うん。そんだけ。役目は果たした。もう行っていいよ。
サイモンは首を傾げた。
トフィーは語った。……あんた無口だからしっかり見といてやれってフレイドが云ってたの。だから構ってやったの。それだけよ。あいつの頼みだから仕方なく、ね。
サイモンは口を開いた。ありがとう、と唇の動きだけで気持ちを伝えた。だがトフィーは読書に戻ってしまっておりその声なき声を聞いていなかった。サイモンは自分の住み家に歩いて帰った。
□
戻ってきたフレイドが席についた。彼はしばらくのあいだ周囲を見渡していた。節約のために照明が落とされたフードコート。椅子が散乱しており壁には銃弾の痕。緩やかなカーブを描いて軒を連ねている店はどれも永遠に営業を停止している。フレイドはかつて休みの日になると両親に連れられてはここのホットドッグをなんども食べさせてもらったものだった。そのときの味はもう覚えていないがそれでも口内に唾液は湧いてきた。哀しみよりも食欲ばかりがただ強烈だった。
フレイドは目をきつく閉じた。呼吸をひとつ入れた。そしてトフィーに話しかけた。
……――なぁ、クライクのやつはどうする。
トフィーは顔を上げずに答える。
食後にしていい話じゃないでしょう。それ。
わかってるよ。でもあのままにしとくのもまずいだろ。
あそこには行きたくないの。
おれだってごめんだ。でも誰かがやらないと。そんで一人じゃ無理だ。
女の子にやらせる気?
よく云うぜ。こんな時だけ女子になりやがって。
サイモンは?
あんな調子だしなぁ……。
まあそうね。
フレイドが続けて何か云おうとするとトフィーが閉じた本を突き出してきた。
……なんだよ。
これも読み終わっちゃった。次のおすすめを教えて。
はいはい。
□
その日もサイモンは自分の
物語はいつも同じだった。その繰り返しが毎日続いた。何十回も。何百回も。
恐竜をもとの棚に戻すとサイモンは居城でひとり仰向けに寝転んでいた。そして兵隊の人形を顔の前に掲げた。その人形には顔が描かれていなかったので代わりにマジックを使って表情をつけた。それは少年の父親の顔だった。
他の大人達と一緒に連れていかれる直前に父親はサイモンにレプリカのヘルメットを被せてくれた。これがお前を守ってくれる。だから安心して隠れていなさい。音がしなくなるまで決して出ていってはいけないよ。声を上げずにじっと待っていなさい。静かになったらそっと抜け出して誰か、――善い人に助けを求めなさい。お父さんは行かなくちゃいけない。責任を果たさないといけない。順番が回ってきたんだ。それだけなんだ。
そうして父親は連れていかれた。その後の出来事は悲鳴と銃声以外には覚えていない。云いつけどおり城の中でじっとしていたからだ。その日からその場所が自分の世界となった。ぼくは安全なんだと思える唯一の場所。戦争が始まってから今に至るまでその場所は縮小に縮小を続け世界はどんどん小さくなった。少年は父親に読み聞かされてきた冒険譚や旅行記のロマンから非日常とはすなわち世界の拡張を意味しているものだと思っていた。実際にはそれは大きな間違いだった。
日常の裏付けのない非日常はどこまでも不自由なだけだった。
音がした。
恐竜のうなり声を思わせるような腹の底に叩きつけられる鈍い音だった。
サイモンはゆっくりと身を起こした。
その時がきたと思った。
彼は兵隊の人形をポケットに入れた。それからいつも手元に置いている短い鉄パイプを拾い上げた。上下に軽く素振りした。恐竜相手にはいかにも頼りない代物だったがないよりマシだった。
新しいおもちゃはもう必要なかった。
小さな城の天井を見上げた。
そこが最後の居場所だった。
順番、と父親は云った。
じゅんばん、と唇が動いた。
それだけなんだ。
音が大きくなった。
来いよと少年は云った。
あの日以来、初めて声が出た。
もう一度パイプを素振りした。
ポケットの中で兵隊が温かみを持っているように感じられた。
□
だが少年にとってはそれが何であろうと好かった。
彼にとって大事なのは果敢に立ち向かったという事実だからだ。
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