#46 固い地面

 祈りの言葉を唱え終えるとアリサとスヴェトナはシャベルを使ってベッドシーツにくるんだ遺体に土をかけた。その様子をトフィーは黙って見ていた。右手には本を持っていた。彼女がいつも読んでいる小説の類ではない。それは善き本だった。

 アリサは作業を続けながら訊ねた。

 ……意外と信心深いの?

 別に、とトフィー。この場にふさわしい本といったらこれしかないから。

 さっきの話に出てきた男の子も敬虔な信徒だったみたいだけど。

 フレイドね。

 次に探すのはその子のご遺体?

 いえ……。トフィーは云いよどんだ。小指と薬指を唇に当てた。初めて見せる仕草だった。……フレイドはいちばん最後にするわ。次はクライクにする。


 それからトフィーは話題を変えた。

 スカベンジャーさんは神様とか信じる方なの?

 いや……。アリサは作業の手を少し緩めた。――ただ、前に立ち寄った町で教会の廃墟にひとり暮らしてる女の子がいたんだ。とても信心深い子だった。その子から依頼を受けてね。思えばあの時も今回と似たような依頼だった。父親の遺品を探してこいって……。話してるだけで救われた気持ちになる不思議な子だったよ。元気にしてるかな。

 ――おいアリサ。

 スヴェトナがこちらを睨んで云った。

 手が止まってるぞ。

 ああ。ごめん。

 トフィーがくすくすと笑う。……メイドさんったら可愛いわね。たったそれだけの話なのに子犬みたいに嫉妬しちゃって。

 ――ぶっ飛ばすぞ。

 やだ怖い。


 アリサはスヴェトナに視線を戻した。彼女はこちらに背を向けており表情は窺えなかった。土山へと親の仇のようにシャベルを勢いよく突っ込んでは穴に投げ入れる。

 ねえ、スヴェトナ。

 さっさと作業に戻れ。日が暮れちまうぞ。

 分かったよ……。

 作業のあいだトフィーはくすくすと笑い続けていた。


   □


 ――本当にもらっていいの?

 ええ。わたしにはもう必要ないから。

 じゃあ、ありがたく頂いとこうかな。

 アリサはサイモンの形見である兵隊の人形をハーフトラックの荷台に安置した。それから乾いたオーデルの風と夕陽を浴びながらトフィーの“住み家”である商業施設をかえりみた。地面に突き立てたシャベルの取っ手に両手を乗せてしばらくじっとしていた。


 どうしたの、とトフィーが訊ねてくる。

 アリサは答えた。……こうした巨大な施設を見るといつも奇妙な感覚に襲われるんだ。むかしの人はこんな大きい建物なんか建てていったい何がしたかったのだろうね。

 そういえばあなたは戦後生まれなのね。

 私は君が戦前から生きてたなんて話は信じてないけどね。

 どうぞご自由に。それとあんたじゃなくてトフィーよ。わたしの名前。


 アリサは施設に向き直った。……ほんとうに不思議だよ。たくさんのお金や人員や資材をつぎ込んでさ。戦後に生まれたほとんどの人はその分の予算を保存食や飲み水の生産に回しといてほしかったと思うだろうね。

 あなたは、――アリサは違うのね?

 ただ理解したいだけ。アリサは風に揺らされる金髪を手で撫でつけた。――こんな施設を建てようと思ったら間接的な仕事を含めれば何千もの人が関わらないといけない。かつてはそれだけ沢山の人が一致団結してひとつの事業を成し遂げようとするだけの“確信”があったはずなんだ。世界に対する信頼というか。自分の足は固い地面のうえに立っているという確信が……。

 そうね。トフィーは二度うなずく。そうよ――。

 彼女は何かを云いかけたが口を閉じてしまった。

 ――二人とも。

 片づけを終えたスヴェトナがやってきて云った。

 さっさと戻ろう。ここは開けてる。誰かに見られてるかもしれない。


 墓標代わりの積み石をその場に残して施設に戻る道すがらアリサは従者の少女に小声で話しかけた。

 ……スヴェトナ。

 なんだ。

 怒ってる?

 なんで私が怒らないといけない。

 いや……。

 お前の云いたいことは分かるよ。

 スヴェトナは目をそらしていた。頬が微かに赤みを帯びていた。

 ――アリサは私のことを知らない。お前が思いこんでるほど私は清廉な人間じゃない。

 少女は右手を挙げて団子状にまとめた藤色の髪をしきりに触る仕草をした。

 ……お前はさっき話してたな。私達は固い地面の上に立ってるわけじゃない。あまりにもたくさんの血が染みこんでグズグズに崩れた大地のうえで暮らしていくしかないんだ。生まれたときからそう運命づけられてる。

 それがなにさ。

 私達の関係もそれと同じってことだ。いつ一発の銃弾で引き裂かれちまうか分からないんだ。

 なんで……。

 アリサは手を伸ばしかけた。ふと気づいて遺体に触れた手袋をそっと外した。それからスヴェトナの肩に手を置いた。

 なんでそんなこと云うのさ――。

 スヴェトナは肩を激しく揺すってアリサの手を振り払った。それから給仕服の首襟をつかんで引き上げ紅潮した頬を隠そうとした。

 …………分かってる。わかってる、と少女は呟いた。私はお前を不安がらせたいだけなんだ。

 従者失格だ。友人としても……、と彼女は続けた。

 アリサは言葉もなく黙っていた。


   □


 ここよ、とトフィーは云った。

 屋上を除けばフロアは最上階。吹き抜けから身を乗り出すと一階の床は遥かに遠く感じられ目眩を覚えるほどだった。クライク少年が“居城”としていた場所はスポーツ用品店のようだった。防寒の役に立つウィンドブレーカーを始めとして動きやすいトレーニングウェアの類はまとめて持ち去られていた。靴は一足もなかった。ああいうのは好い値がつくのに、とアリサは溜め息をついた。

 ボールとミットなら沢山あるぞ、とスヴェトナ。バットは一本もないけどな。

 今ごろ釘と鉄片が埋め込まれてるだろうな。

 ボールは人間の頭か。

 ――それで目的のご遺体はどこにあるの?

 この店にはないわよ。トフィーは平然と答える。たぶん地下駐車場に散らばってる。

 スヴェトナが眉をひそめる。

 じゃあなんでここに案内したんだ?

 遺品回収よ。

 サイモン少年の人形みたいにか。

 ええ。


 トフィーはペンダントの魔鉱石に術式をかけて明かりにした。店内はまるで今も営業中であるかのように明るく照らし出された。だが積もった埃が却って目立つようになったために喪われた時間の長さをより雄弁に物語るようになった。トフィーはカウンターの裏に回った。彼女が普段暮らしている宝石店と同じようにそこにも寝袋が敷かれていた。寝袋の下から彼女が取り出したのは一足の古びたランニングシューズだった。

 走るのが好きだったの、あの子。

 淡々とそう述べるトフィーの表情は哀しげにも寂しげにも見えなかった。ただ両手に乗せたシューズの重みをじっと確かめていた。それから顔を上げた。店のすぐ外にある一階まで通じる吹き抜けの錆びついた手すりに視線を移した。


 わたしは地下には行けない。

 トフィーはそう切り出した。

 だからここで話しておくわ。報酬の昔話。その続きね。――といってもさっきのサイモンのお話から時間は少しさかのぼるけど。


 遺品のシューズを受け取ったアリサはうなずいてから商品棚に寄りかかってその場に腰をおろした。スヴェトナは終わったら呼んでくれと云ってその場を離れようとしたがアリサに制止されてしぶしぶ筋力トレーニング用のベンチに座った。


 トフィーは顔をわずかに伏せて両手の指を組み合わせた。眉間に微かに皺が寄っていた。それもまた彼女が初めて見せたはずの仕草だった。

 ――アリサがさっき云ったとおり戦前のわたし達は何かの確信を持っていたわ。いやそれは確信と云えるほど確固たるものじゃなかった。当たり前すぎてそれ・・の名前さえ忘れていたの。――ある日わたし達は早めに下校させられることになって学校まで親が迎えにきたの。詳しい話は何も聞かされなかった。何か悪いことが起きたんだってだけで。わたし達は何も分かってなかった。というかわたし達・・・・に何か悪いことが起きるなんて分かってなかった。

 トフィーは話し続けた。

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