#44 水晶の少女

 透き通るような銀髪を肩まで伸ばした少女は眠たげに細められた目をさらに細めた。

 ……どちら様?

 声量は小さいのに不思議と聞き取りやすい声だった。

 ――答えないとこのまま引き金を引くけど。

 ま、待って。アリサは両手を挙げた。――私はアリサ。スカベンジャーだ。こっちは連れのスヴェトナ。ここには宿と糧食を求めてきただけだ。邪魔ならすぐ出ていく。

 少女は微笑んだ。

 ついでに何かお金になるものを漁りにきたんでしょ。そんでもってわたしをどこかに売り飛ばすつもりなのね。おっかない大砲まで背負ってさ。ピクニックへと洒落込みにきたなんて下手な云い訳はよしなさい。――わたしに嘘は通じない。


 スヴェトナが後ろから声を上げる。――私達はほんとうに、――っ

 アリサの目の前、そして耳の奥で火花が散った。一瞬なにが起こったのか分からなかった。少女の構えた銃から煙が上がっていた。平衡感覚を喪って足元が揺れた。危うく落下しそうになった。短い悲鳴が口から漏れた。我に返ったアリサは慌てて振り返ったがスヴェトナは無事だった。目を見開いて凍りついている。

 少女は再び銃口をアリサの額に向けた。

 ――昨夜もついさっきも、あなた達ずいぶんと仲がいいみたいね。

 アリサは眉を上げた。……いつから見ていたの?

 教えない。でも知ってる。

 ――どうすれば信じてもらえるかな?

 そうね……。


 少女はアリサの顔をじっと見た。それからスヴェトナに視線を移した。髪と同じ色素の薄い白銀の虹彩は照明のない薄暗さのなかでも爛々と光を放っていた。彼女の声と同じくその瞳は奇妙なまでに存在感があった。

 やがて少女はふっと息を漏らすと銃をおろした。それから手を差し出してきた。訳も分からずアリサは振り返ってスヴェトナと顔を見合わせた。うなずきを交わしてから向き直り少女の手をつかむ。その手は見た目の雰囲気からは想像もつかないほどに体温が高かった。柔らかな感触と相まって春の日向にさらされた混じりけのない泥のような手ざわりだった。


 少女に引き上げられて二人は施設の一階に立つ。端から端まで店名が描かれた看板がズラリと並んでいる。観察もそこそこにアリサは銀髪の少女に向き直る。こうして並んで立ってみると彼女は自分やスヴェトナよりも頭ひとつ分は背が低い。年齢も三つくらい下に見えた。服装はラフで明らかに戦後のアウトドアを楽しめるような代物ではなく寝間着に近かった。おまけに大人用のものしかなかったのかサイズが合っておらず手の甲が袖で半ば隠れている。胸元には紺碧こんぺきの魔鉱石がはめ込まれたペンダント。それは彼女の瞳と同じく電光の恵みがない屋内でも輝きを放っている。


 アリサは訊ねる。……信じてもらえたって受け止めてもいいのかな?

 そこまであなた達のことは知らないの。

 じゃあどうして?

 少女は返事の代わりに右手を伸ばしてきた。外套の襟にかかっていたアリサの金髪に指でそっと触れる。そして感触を確かめるように何度か撫でさする。その顔は笑みを浮かべていた。

 アリサは動じずにされるがままにした。口だけを働かせた。

 ――えーと、これは一体?

 好い匂いがしたから。

 え。

 お姉さんの髪から好い匂いがしたから。今までここにやってきた人達とはちがう。そんなに悪い人じゃなさそうだなって思ったの。


 それだけ云ってしまうと少女は両手でアリサの髪を持ち上げて頬ずりした。アリサは口を半分開いてその無邪気な姿を見下ろしていた。首だけを動かしてスヴェトナを見た。従者の少女は人差し指の関節を唇に当てて笑った。それから云った。

 ……な、ちゃんと手入れをしといて好かっただろ?


   □


 少女がねぐら・・・にしているのは宝石専門店、――それも純度の高い魔鉱石を商う店だった。破滅の時代にあってはこうした店が真っ先に略奪の対象となるので割れたガラスの破片以外に光り物は見当たらない。寝具店から持ち出したベッドカバーがカーテンの代わりとして天井から吊り下げられている。カウンター裏の狭い空間には寝袋。その周辺には戦前の本がうず高く積まれて摩天楼を成していた。もはや役目を終えたレジスターの隣には花瓶があった。薄く埃の積もった造花が活けられていた。


 どうぞ。ゆっくりしていって。何もないけど。

 少女はものぐさそうに安楽椅子に座りしおりを挟んだ本の続きを読み始めた。

 ちょ、ちょっと待ってくれ――。スヴェトナが荷物を置いて声をかける。……私達は名乗った。目的も明かした。お前の名前も教えてくれ。

 銀髪の少女は目だけをちらっと動かす。

 ……トフィー。

 とふぃー?

 うん。

 それがお前の名前?

 そう。

 アリサはスヴェトナと顔を見合わせた。その名前には聞き覚えがあった。

 ツェベック老の好物じゃないか。戦前のお菓子の。

 ――悪い? トフィーは眉をひそめる。気に入ってるのよ。これでも。

 馬鹿にしてるわけじゃない。

 …………。

 スヴェトナは話を変えた。

 他にも質問があるんだが。

 ――まだ何か。

 お前はずっと独りでここに暮らしているのか?

 そう。たまにお客さんが来るけど。

 どれくらい前から。

 たぶんあなたが思うよりもずうっと・・・・前からよ。

 私達より前に四人、――いや三人ほどこの施設に来ているはずだ。一週間前。

 ええ来たわね。

 もう出て行ったのか。

 死んだわ。

 全員?

 ええ。


 少女の返答に二人は再び目を見交わした。何とも云えずに黙っているとトフィーはアリサに視線を移した。それから無言で手招きしてきた。アリサが恐るおそる近づくとトフィーは安楽椅子から立ち上がり人差し指で椅子を示した。

 アリサは首を傾げた。……なに?

 座って。お膝に乗せて。そこで本が読みたいの。

 逆らわないほうが賢明だと考えてアリサは安楽椅子に腰かけた。すぐにトフィーが膝のうえにちょこんと腰を落ち着けてきた。その体温はやはり高かった。湯舟が恋しくなる温かみだった。トフィーは本を読みながら指にアリサの金髪を巻きつける仕草をした。


 アリサは云ってみた。――よほど気に入ってくれたのかな。

 わたしのお母さんといっしょの匂いがするの。ずっとていたわ。そこのメイドさんがあなたの髪に塗ってた香油、――お母さんが使ってたのと同じ品名だった。

 見てたってどうやって? 君はずっとこのフロアにいたんだろう?

 トフィーは胸元のペンダントに指で触れた。それからぼそぼそと唇を動かした。術式だった。

 アリサの再生機と同じ、――だがよりはっきりとした映像が中空に映し出された。つい先ほど地下駐車場でスヴェトナがアリサの世話を焼いていたようすが実物の約五分の一のミニチュアとなって浮かんでいた。

 アリサもスヴェトナも目を見開いてその光景を見つめていた。慌ててトフィーに訊ねた。

 再生機なしで。魔鉱石単体で。しかも離れた場所の映像を映し出すなんて芸当ができるものなの?

 私の宝石は少しばかり特別なの。

 少しなんてものじゃないだろう……。


 トフィーは奇妙なまでに透明感のある瞳でじっと天井を見上げた。

 …………この宝石店は私のお父さんが経営していたの。これでも昔はけっこう繁盛してた。

 アリサとスヴェトナは三度みたび視線を交わらせた。

 何もかもがめちゃくちゃ・・・・・・になる前のお話。お金に不自由はしてなかった。幸せだったわ。

 スヴェトナはそれまで店の壁にもたれかかって話を聞いていた。今では壁から身を離していた。首に巻いている国旗を模したスカーフを指先でいじりながら彼女は訊ねた。

 ……トフィー、お前はいったい何歳なんだ……?

 最後に祝ったハヌキウのときは蜜蝋のキャンドルが十五本立ってた。

 ハヌキウってなんだ。

 あなた達が云うところの誕生日パーティーよ。歳の数だけ蜜蝋を立てるの。

 戦争が何十年前に終わったと思ってるんだ?

 覚えてないわ。

 だいたい食料はどうしてるんだ。十年単位で暮らせるほど物資は残ってないだろう。

 そういえば朝ごはんがまだだったわね。あなた達のことが気がかりで。


 トフィーは服のポケットから石ころのようなものを取り出した。魔鉱石の粒だった。少女はそれを飴玉か何かのようにためらいなく口に放り込んだ。そしてこれまたラムネのお菓子のようにぼりぼりと音を立てて咀嚼した。アリサは息を呑んでその音に耳を澄ませていた。スヴェトナは腰を抜かしたのかその場に尻餅をついていた。


 んっ――……、美味しかった。……店先に出してた宝石はほんの一部よ。あとは裏の金庫の中。

 と朝食・・を済ませたトフィーは呟いた。

 他の食べ物がみーんな無くなったあとも私だけはこれで命を繋いできたの。

 アリサは膝のうえに座ってこちらをかえりみている少女を見返した。吸いこまれそうなほどに透明度の深い白銀の虹彩に頭をぐらぐらと揺さぶられた。意識してゆっくりと息を吐き出した。


 ……ひと目見て水晶みたいに綺麗な子だなとは思ったけどさ。

 アリサは笑いになっていない笑みを浮かべて云った。

 まさか本当に鉱石が主食だなんて誰も思わないよ。

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