#32 タリスマン (6)

 二輪車と半装軌車ハーフ・トラックに分乗して私達はセントラーダの街を出発し北に向かった。助手席にはリシュカ。私はトラックの運転を務めた。アリサのバイクが先導する。なけなしのお給金をはたいて買った中古の半装軌車。その出力ではバイクに追いすがるのもやっとといった具合だ。旧式の魔鉱駆動エンジンの騒音の煩わしさといったらなかった。全力疾走した巨漢のぜいぜいという息遣いを耳元でずっと聞かされているようなものだ。見かねたアリサが速度を落としてくれてようやく快適な旅になり始めた。


 リシュカが云った。――おいスヴェトナ。あんたこのオンボロにいくら払った?

 私が金額を伝えると彼女は唇をすぼませてぶーっ・・・という音を立てた。

 ……あたしならその半分の価格でもお断りだ。相場にうといのは昔から変わってないんだね、あんた。

 うるさい。

 あと目つきも相変わらず悪いな。

 うるさいよ!


 私はステアリングに乗せた両手に体重をかけて腰を持ち上げた。固いシートのせいで尻が痛かった。姿勢を正してからカーラジオの音量を下げた。トランジスタではなく旧式の真空管が使われており音質は及第点にはほど遠い。だが最新式の半導体を修理できる人間など生き残ってはいないのだ。私が出せる予算の範囲ではこれが現実的な選択肢だった。

 ……私だって吹っかけられてるとは思ったさ。――そう。思いはした。

 と私はハイウェイの前方を睨んだまま云った。

 でもあの時は急いでたんだ。アリサには三日で戻ると約束してしまっていたしツェベック様のご遺体を適正に処理するだけでも一苦労だった。元々の見通しが甘かったんだな。フォーレンホルンの屋敷にはツェベック様からの給金を貰いそこねた傭兵の代表達が今にも放火しかねない剣幕でお待ちかねだった。それで私一人だけがのこのこ・・・・と生きて帰ってきたもんだからあらぬ疑いだってかけられたよ。家令スチュワードの奴が私を叱責するときどんなに辛辣な皮肉を使ったかここでぶちまけてやろうか?

 いやいいよ別に。――それでどうした?

 お暇を頂いたさ。最後の給金をもらったあと放り出されたんだ。

 云っちゃ悪いがよく殺されなかったもんだな。

 スチュワードに云われた。ほとぼりが冷めるまで身を隠しなさいって。

 おいおい。

 要するにだ。せっかくの金づるを喪ったもんだから一部の傭兵が私を逆恨みしてる。だからこのオンボロ、――このハーフトラックを選ぶのにあまり時間をかけられなかったんだよ。

 …………それ、あんたの新しいご主人様は知ってるのか?

 まだ話していない。

 隣でリシュカが大きく息を吐きだす音が聞こえた。


   ◇


 北のドリステンに通じる邦間道路は幸いにもまだ生きていた。街中の下道。あるいは各地の村落をかろうじて結んでいた毛細血管。それら多くの道が草木のつるや砂塵に埋もれていく中でかつての連邦の大動脈はまだ血液を送り続けていた。最期の時を迎えた命がひと呼吸ひと呼吸を大事に繋いでいくように。

 片側二車線の道路を私達はノロノロと進み続けた。すれ違う車輌もなければ追いつくことも追い越されることもない。セントラーダから離れるうちに草木の数も増え始め北に向かうにつれてその背丈は高くなっていった。力尽きてたおれてしまい道の端に寄せられた白骨も目につかなくなった。


 しばらく無言の時間が続いていた。やがて私は旧友に訊ねた。

 ――いつからモーレイとかいう闇商人のもとで働いている?

 リシュカはそれには答えずに考えるふりをしていた。喪服のようなそれまでの服装の上から防寒用の古ぼけたトレンチコートを羽織っていたが前のボタンは留めておらずだらしない着こなしだった。下の服のタイも緩めており漂白剤でも混ぜ込んだのかと疑うほど白い鎖骨のくぼみを外気にさらしていた。外出した途端に清廉さを保とうとするスイッチも切れてしまったのかもしれない。

 ダッシュボードの上には古ぼけた首振り人形に枯草色のテンガロンハット、それとリシュカの足が一本乗っていた。外出用のブーツどころか靴下まで脱いで素足をお上品に乗せているわけだ。私はジロリと横目で見たが何も云わなかった。彼女はブルーのサングラスをかけて戦前の恐怖系雑誌を読んでいた。瀟洒しょうしゃな従者のそんな姿をひと目見たらモーレイ氏は即座に彼の唯一無二の聖域から彼女を放り出すだろう。


 ……モーレイ様に拾われたのはあんたと別れてから半年後だ。

 しばらくしてから旧友は雑誌に目を落としたまま云った。

 いや“別れた”は語弊だな。あんたがあたしを“置いて”いってから半年後だ。

 私は思わず前方から目を離してリシュカを見た。彼女も矢車草の瞳だけを動かして私を見返した。

 リシュカは云う。――事故るよ。前を見な。ただでさえひび割れた骨董品みたいな代物なんだ。こんなところで故障して立ち往生でもしたらあたしらは餓死しちまうことになりかねない。

 ……そんな云い方はされたくなかったよ、リシュカ。

 オンボロなのは事実だろう。

 ちがう。私はお前を、――あなたを置いていったんじゃない。リシュカがあの場所から私を逃がしてくれたんだろう?

 解釈の相違だね。

 時間が経ってお前の見方が歪んだんじゃないのか。

 それはあんたも同じだ。時の流れが互いの思い出を美化するなり汚濁しちまったりしたんだな。

 その“あんた”って呼び方、――嫌。

 他人行儀だって?

 うん、――ああいや、そういうことじゃなくてさ……。

 死別したはずの旧友と奇跡的な再会を果たしたんだからもっとフレンドリーになれってか。ベソでもかきながら両手を広げてハグしろと?


 私がもう一度彼女を見たときリシュカはすでに雑誌に視線を戻していた。

 私は云った。……昨日は両手を握りしめてきて嬉しそうにしてたじゃないか。

 ああそうだね。

 何が気に入らないんだ。

 …………。

 リシュカは答えなかった。サングラスを親指の腹で押し上げた。そして私達の前方を走るアリサの背中をじっと見ていた。

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