私のケサランパサラン

葛瀬 秋奈

 ケサランパサランは白くて丸くてふわふわした物体で、正体や語源には諸説あるが、その起源は江戸時代にまで遡るという。持ち主に幸福をもたらすと言われているが真偽のほどは定かではない。


「ケサランパサランを知っていますか?」


 この質問をすると、だいたい次のような反応が返ってくる。


「何それ」

「ずいぶん前に流行ったヤツだっけ。持ってると幸せになるとかなんとか」

「ああ、子供の頃に漫画で見たよ」

「ゲームの敵にいたなあ。丸くて白いヤツだよね」


 そしてその話題は決まってこのように終わる。


「でも、それって都市伝説なんでしょう?」


 確かに世間ではそういうことになっている。

 しかし、ケサランパサランは実在する。何を隠そう私は、それを飼っていたことがある。


 私があれを捕まえたのは、小学校低学年のときのことだった。

 それは通学路の途中にあるビワの木の下でユキムシと一緒に宙を舞っていた。私は最初ユキムシを捕まえようとして近づいたのだが、虫ではなくましてや雪でもないその不思議なふわふわした物体に心を奪われた。そして、コイツは本で読んだケサランパサランに違いないと感じた。

 私はそっと手のひらで包んで持ち帰り、上等な菓子の空き箱に入れて、家族にも内緒で大事に飼っていた。母のおしろいを時々くすねて与えていたのでもしかしたら薄々気づかれていたかもしれないが、そのことを咎められたことはなかった。


 最初はユキムシと同じくらいだったそれは、おしろいを与えるうちにだんだん大きくなっていき、ついにはうさぎの尻尾ほどの大きさになった。その頃にはもう、ふわふわというよりもふもふした手触りになっていた。

 時折わずかに動くだけで目も耳もなく鳴きもしないけれど、その柔らかくかすかに冷たい毛玉を触っていると、少しだけ嫌なことを忘れられる気がした。


 あとから考えると、こういうところが持ち主を幸福にすると言われる由縁だったのかもしれない。


 だが、その幸福も長くは続かなかった。

 撫でているときにうっかり手から滑り落ちたそれは、ふわりと宙を舞って開いていた窓から出ていってしまい、戻ってはこなかった。しょせんは子供のやること、ということだ。


 それ以来、私がケサランパサランに遭遇することはなかった。

 

 あれからもう何年もたって私も大人になったが、今でもユキムシの舞う季節になると思い出すのだ。あの白い毛玉の、なんともいえない感触を。


「この間、友達と怪談大会したときにその話をしたら盛大に笑われてね。夢かなにかを勘違いしてるだけじゃないかって」

「へえ、僕は笑わないけどね。不思議なこともあるもんだ、っとゴメン、もう充電切れるから、またね」

「ん、こっちこそこんな時間に電話してゴメンね」


 ボタンを押して通話を切り、眼下に伸びた暗い坂道を見据える。

 左右にあるのは木々ばかりで店もなければ民家もない。飲み会で帰りが遅くなったからといって普段使わない近道など通るべきではなかった。これからここを一人で進まなければならない。

 さすがに引き返して大通りから回り込むべきかな、と思ったとき、急に強い光が見えた。コンビニだった。

 こんなところにこんな店あったっけ、と思いながらのぞき込んでみると、誰もいない。せっかくなので入ってみたが、やはり客も店員もいなかった。ひとしきり見て回って目新しいものもないことを確認してから、出ようとすると困ったことになった。


 自動ドアが開かない。


 反応が悪かったのではないかと思い色々試してみたが開かない。大声をあげて呼んでみても誰も出てこない。おまけにスマホは圏外だしネットにも接続できなくなっている。

 私は途方に暮れてその場にしゃがみこんだ。すると視界の隅に何か動くものが映った。虫だったら嫌だなあと思ったがそうではない。白い毛玉だ。


 それは紛れもなく、あのときのケサランパサランだった。


 大きさは相変わらずうさぎの尻尾大だったそいつは、器用に化粧品コーナーからファンデーションをとりレジへと運んでいった。そしてその場でふわふわ漂っている。


 まさか、私に金を払えというのか。


 何を考えているのかわからないながらにしぶしぶ代金を置くと、ケサランパサランは嬉しそうに私の頭を一回りしたあと猛スピードでファンデーションを持って出ていってしまった。自動ドアから、だ。

 私も慌ててあとを追ったが、外に出る頃にはもう、ケサランパサランの姿はなかった。


 明日彼に会ったとき、彼はまた笑わずにこの話を聞いてくれるだろうか。

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