五十一節 「夢幻」
Ep.51-1 変えられないもの、変わらないこと
◇◆◇
月のホールを辞した後、埃を被った服をはたきながら、僕らは湖畔で佇んでいた。
連城恭助の置き土産。八代みかげに関わる、何らかの座標を記した煙草の箱。恐らくは前の世界で、彼が掴んでいた、掴みかけていたいくつかの手がかりだった。
「もし、こうなることを見越していたのなら、彼はどうして、もっと早く手を打たなかったのでしょう。あるいは彼自身だって、生き延びることが出来たかもしれないのに……」
どこか口惜し気に、皐月は言った。一度宇宙センターで連城たちと接触していたことは道すがら聞いていたから、きっと思うところがあったのだろう。
「助けられない人は助けられないんだ。それがたとえ……自分自身だとしても」
突き放すように、僕は言う。
思い出すのは一人の女性の横顔だった。
寂しげで、それでいて気高く、威厳のある面立ち。厭味ではあったけれど、僕や葉月やしぐれの前を歩いていた、殉法者。
……法条暁。
彼女は自分では救えない範囲まで救いたいと願った。叶わないと、適わないと知っていながら、奇跡に手を伸ばそうとした。
当然の帰結として、彼女は壊れた。
出来ないことは出来ない。
叶わないことは叶わない。
僕たち一人一人に出来ることなんて高が知れている。
ちっぽけで、あまりにもやるせない、そんな儚い。何か。
「この座標は……」
皐月はいくつか書かれている座標を市の地図で改め、ペンで囲っている。ふと、首を傾げた。息をのむ音が聞こえた。
「ボクたちの家です」
「どういうことだろうね……」
僕も地図を覗き込み、座標と位置を素早く確かめた。勿論、僕たちがいた世界とこの世界の地図はところどころ違っているから、「僕たちの世界」での元の位置を朧気に思い出し、記憶と照らし合わせながらの作業だった。それは思いのほか、骨が折れる工程だった。
連城の書き記した場所は大雑把に、次の八か所だった。
①朱鷺山ビル(南)
②市街地のマンション(東)
③如月家(東)
④美桜市立病院(西)
⑤畔上ビル(西)
⑥美桜南高校(南)
⑦美桜宇宙開発センター(北)
⑧美桜市民ホール(北)
東西南北に二箇所ずつ……。散在してはいるものの、いやに規則的だった。妙な予感を覚えて外周を結ぶと、やはり複数の点は正円を描いていた。中心に不自然な空白。……円。不死や永遠の象徴。散りばめられた符号の一つ一つが、あまりにも虚構染みているからか、現実のことのように思えなかった。
その後もペンを走らせ続け、まるで一筆書きのように地図上の点をなぞっていく内に、ふとある図形がぼんやりと浮かび上がった。
ベツレヘムの星。
遥か昔、東方の三博士をキリストへと導いた、希望の星。
「そうか……。これは、八代みかげが現れた場所だ……」
僕は思わず心の中で快哉を叫んでいた。
思えば八代みかげと初めて遭遇し、葉月と皐月に拾われたのも、如月家の近く……。八代みかげはいつも、目の前に急に現れていた。あれは何かしらの、ヒントだったとでも言うのだろうか……。
連城恭助は八代みかげの動向にも、仔細に気を配っていたのだろう。何が彼をそこまで焚きつけたのかは分からないが、連城は初めから、そのために、八代みかげへと肉薄するために、契約者たちから距離を置いていたのかもしれなかった……。
「真偽は不明ですが……この中心に何があるのかは、少し気になりますね……」
皐月が空白の空き地を指差す。……建築予定地となっている。
「念のため、街を最後に、観ておこうか」
僕たちは再び町に戻ることにした。
◆
「そういえば、まだこの世界ではゲームは始まらないようですね」
思い出したように皐月は言った。
「そうみたいだね、不幸中の幸いかもしれない……」
きっと、まだ彼女の方でも準備が終わってないのだろう。
「つい数時間前まで、神を決める戦いをしていただなんて、信じられないですよ……もうあれから。数か月も、数年も経ってしまったみたいだ」
林道を辿りながら、僕たちは目的地を目指す。
「まさか、最後にはこうして、君と一緒に戦うことになるとはね……正直、意外だったよ。夢から醒めてもまた夢って感じだ」
「まあ、そうですね……あまり話しませんでしたしね、ボクたち」
皐月は呆れるように溜息をついてから、
「ボクのことは、最後まで敵と思ってくれていいですよ。ボクが如月葉月を、姉さんを殺意を持って殺したのは、列記とした事実ですから」
葉月の顔を、声を、体温を思い出す。
「そうだね、あくまで手を組むのは、みかげの相手をするまでの時間だけだ」
その後は。
……その後は、どうするのだろう、僕たちは。
街に着き、座標を順に見て回った。中心は最後に残して、八芒星の頂点や交点となる場所は全て見て回った。そのうちのいくつかは、朱鷺山に縁の土地なようだった……。彼女が過ごした、生活の跡地。親戚宅を転々としたと言っていた。誰からも認められなかったと卑下していた。彼女の自己評価はいつも低かった。彼女は最初は、寂しかっただけなのかもしれない。何処か安らげる場所を、時間を、求めていただけなのかもしれない。結局、本当のところは誰にも分からなかった。だが、それでいいはずだ。誰だって、土足で他人に入ってきてほしくはない領域が少なからずあるはずだから。
夕刻、座標の中心に来て、僕たちは顔を見合わせた。恐らく、最初で最後の対峙。
「最後の……戦いですね」
エレベーターのボタンを押しながら、皐月が口にする。
「そうだね、どうしようもない臆病者二人の、最後の挽回のチャンスだ」
順に下がってくるランプを見ながら、僕は言う。
これまで彼女に踏み躙られてきた多くの命を想う。
最後の瞬間、僕は、彼女は、隣にいる少年は、何を想うのだろうか……。
散っていった彼ら彼女らにせめてもの顔向けが出来るくらい、立派な務めを果たせるのだろうか……。
誰かのためでも、自分のためでも、ましてや世界のためでもない。
理由なんてない。
そうして空っぽな僕たち二人は、屋上に辿り着いた。
空。
夕焼けを背景に、美しく佇む少女のシルエット。
紅い髪が、微風に揺らぎ空を漂っている。
「遅かったね。もう少し、早く来るかと、思ってたよ……。余り物のお二人さん」
嘲笑う口調に、かつてのような力はない。
「最後の決着を、着けようか」
朱鷺山しぐれは、酷く物悲しそうな口調で、歌うようにそう言った。
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